強豪国を破り、W杯ベスト16という結果を残したサッカー日本代表。だが、森保一監督への評価は少し複雑だった。それはなぜなのか。金子達仁が不人気のメカニズムに迫る。連載3回目。【#1】【#2】
森保監督の不人気への流れの源は既存メディアではない!?
森保監督の就任直後から、木崎伸也は不安を覚えていた。だが、彼がその不安や不満を書くという形で表に出し始めたのは、実はワールドカップ本大会が近づいてきてからの話だった。
「森保さんになって最初の頃って、ぼく、取材できてないんですよ。カンボジアに行っていることが多かったんで。なので、どこか人ごとみたいに、きっとつまらないサッカーをやるんだろうし、取材する人は苦痛だろうなと思っていました」
スポーツライターとしての仕事をこなしつつ、彼は本田圭佑が監督を務めるカンボジア代表のコーチング・スタッフとしても名を連ねていた。メディアとして、記者として、ではない。本田圭佑とともに、カンボジア代表のベンチに入っていたのである。
つまり、木崎が抱いていた森保監督に対する不安は、あくまでも彼個人の感情であり、そのオピニオンが表に出ることはなかった。そして、早々にワールドカップ予選から離脱したカンボジア代表からひとまず離れ、木崎が再び日本代表を追いかけるようになった時点で、森保監督の不人気ぶりは動かしがたいものになっていた。
では何が、あるいは誰が流れを産み出したのか。
それは、既存のメディア、ではなかった。
森保批判が減らない理由は、一人のユーチューバーの出現!?
「U-18の試合を取材したときに、驚いたことがあったんです。現場にいたスカウトやスタッフの方々に、森保監督が挨拶をしていたんです。それも、自分の方から出向いて行って。こんなことをやるA代表の監督ってなかなかいないと思いますし、実際、森保さんの人柄に触れれば触れるほど、シンパになっていく人は多いんです。ぼくの個人的な印象だと、現場に来ない、来られない人ほど森保監督に辛くて、言葉を交わしている人ほど惹かれているって感じはありました」
もとより、日本ではメディアが声を大にして選手や監督を批判するということが欧米ほどには当たり前にはなっていない。厳しい意見を公にするのは、言ってみれば限られた「いつもの人たち」であり、それはハリルホジッチの時も変わらなかった。
だが、木崎によれば選手たちの評判は最悪に近かったハリルホジッチでさえ、ネット上での評価はさほど低いものではなかった。彼の更迭が決まった際は、日本サッカー協会が下した決断に対する怒りの声も相当数あった。
なぜ、森保監督はワールドカップでベスト16に入っても「ペルドン」の声が挙がらないほど不人気になってしまったのか。
木崎には一人、思い当たる名前があった。
「ぼくのような立場って、いわゆるインサイダー情報が手に入るわけじゃないですか、選手サイドから。でも、新聞やテレビにはそれが出ない。昔の『Number』とかには中田英寿さんの気持ちだったり、川口能活さんの見立てとかが載っていることがあって、読者としては内情の一部を垣間見た気持ちになれていたんですけど、ハリルホジッチのあたりから、そういうのが一気に出なくなった印象があるんです。だからこそ、『レオザフットボール』さんの出現は大きかったと思います」
彼が挙げたのは、一人のユーチューバーの名前だった。
※続く(2023年6月16日10時公開)
金子達仁/Tatsuhito Kaneko
1966年神奈川県生まれ。スポーツライター。ノンフィクション作家。1997年、「Number」掲載の「叫び」「断層」でミズノ・スポーツライター賞を受賞。著書『28年目のハーフタイム』(文春文庫)、『決戦前夜』(新潮文庫)、『惨敗―二〇〇二年への序曲―』(幻冬舎文庫)、『泣き虫』(幻冬舎)、『ラスト・ワン』(日本実業出版社)、『プライド』(幻冬舎)他。