ちょっと低めのスタジオの扉が開くと、背中を丸めて、その男は入ってきた。仙座学。190㎝近くはあろうかという身長と柔和な瞳、セクシーな声で場の雰囲気が引き締まった。1989年にパーリーゲイツを立ち上げ、現在ではアパレル企業TSIで数多くのゴルフブランドを統括する男の魅力に迫る。
トッププロらが父親のように慕う
1月某日。都内のスタジオでは、パーリーゲイツ2023のCM撮影が行われていた。この日のモデルは、ジュニアの頃からTSIのウェアを着用し、2019年からウェア契約を結んでいる原英莉花プロ。撮影が終盤にかかる頃、ひとりの男性がふらりとスタジオに現れた。パーリーゲイツの生みの親であり、TSIホールディングス上席執行役員である仙座学である。
ひときわ目を引く高身長と、ファッショナブルな服装のせいだろうか、スタジオの空気が一瞬にして変わる。撮影待機だった原プロもすぐ気づき、仙座に笑顔を向けた。
「原プロと初めて出会った時、そのスター性に惹かれました。笑顔と動き、身体のバランスを見て洋服が似合う人だなと」
当時の印象を感慨深げに話す。
しばらくすると原プロと入れ替わりに撮影が始まる上田桃子プロもスタジオに現れた。
「上田プロのお父さんは熊本のセレクトショップのオーナー。僕の前職ブランドの服を取り扱っていてくれた関係で40年来の知り合い。ある日『うちの娘がプロになったんです。パーリーゲイツのウェアを着せたいんだけど、どうしたらいいですか?』と相談されたんです」
CM制作の責任者がスタジオに現れ、緊張が走るかと思いきや、娘の活躍を見にきた父親とも見てとれる和やかさ。撮影中、ちょっとしたトラブルが起きた際も、仙座に謝るスタッフに「いいよ、いいよ、誰にでも失敗はある」という大きな声が響き、緊張した場が一気に和んだ。
常にフラットであることが信条の仙座がパーリーゲイツを立ち上げたのは、1989年春のこと。
「その頃はメンズブランドの事業部長で、スタッフとゴルフに行こうと話した際に『我々が着れるようなかっこいいゴルフウェアがない。自分たちで作ろうか』と、着ていて楽しくなるゴルフウェアを作ろうと話したのが始まりでした」
当時、芹澤信雄プロがワッペンのついたスウェットとチノパンでプレイする姿が記憶にある人も多いのではないだろうか。
「機能よりデザイン重視だったので、ジャンボ尾崎プロに『芹澤、パジャマ着てきたの?』と言われたりと、彼には肩身の狭い思いをさせちゃいましたね」
ブランド立ち上げ当時は3年間赤字が続き、その数字は累積で4億5000万円となった。
「社長からそろそろ真剣にやれ! と喝を入れられ、新しいデザイナーとレディスを強化した5年目ぐらいに、パーリーゲイツは一気に花が咲きました」
アメリカでは、マンデートーナメントから勝ち上がってPGAツアーの出場権を獲得する選手を「ラビット」と呼んだ。そんな希望への飛躍を込め、ウサギのキャラクターを採用。そのアイコンとデザイン性の高さがゴルフを始めた女性たちの心を摑み、狙いどおりの大きな飛躍が始まった。
パーリーゲイツがゴルフ業界のモンスターブランドであることは、数字が示している。2013年から売り上げはほぼ右肩上がり。コロナ禍においても数字は落ちず、約10年で3倍近い伸び率を見せ、2022年はついに過去最高の売上高を叩きだした。
「コロナ禍でも店舗を開けてスタッフががんばってくれた。販売員のファンになってくれるお客様が多いのも、売り上げが落ちなかった理由じゃないかな」
パーリーゲイツのもうひとつの強みは、1994年から開催し続けている『パーリーゲイツカップ』の存在だ。顧客が参加できるコンペで、顧客、販売スタッフに加え、契約プロが花を添え、参加者全員が幸せな時間を共有するコンセプト。これも仙座ならではの遊び心から生まれた独自のイベントだ。
服も縫えるし、パターンも引ける
仙座は北海道出身である。父親がモデルもやっていたこともあり、自身も札幌でファッション誌『メンズクラブ』の読者モデルに登場するおしゃれな学生だった。
「親の薦めで入った大学が、周りと話が合わず、勉強も面白くない。中退してドレスメーカー学院に入り、そこで3年間服作りを学びました。だから洋服も縫えるし、パターンも引けます。ゴルフとの出合いは中学3年生の時。親父に『将来はサラリーマンになるんだろうから、ゴルフぐらい覚えておけ』と練習場に連れていかれたんです」
21歳で上京した。小さなファッションメーカーで職を得て、寝食を忘れるほど服作りに没頭し、ゴルフをする暇はなかったという。
「1986年にデザイナーの中野裕通さんがメンズブランドを立ち上げたいと僕をサンエー・インターナショナル(TSIの前身)に引っ張った。本当はデザイナーを目指したかったんですが、いろいろなことを経験し、営業職になった」
パーリーゲイツのほか、プロたちからの要望に応え、機能性を重視した『マスターバニーエディション』。そして家族や子供も楽しめる『ジャックバニー』を立ち上げた。また成功したためしがないといわれたギアブランドとの提携にもチャレンジし、2001年にはCallaway Apparel、現在はPING ApparelやNew Balance Golf、St ANDREWSも統括する。
「ゴルフは競技ではあるものの、一般の人にとっては遊び。たくさんのお客様と付き合うには、自分が遊べる人間じゃないと楽しませることができない。だから自らが遊べる人間であろうと思っています」
とはいえ、仙座は多忙である。2022年だけでも韓国、タイ、アメリカ、スコットランド、イタリアなど世界中を飛び回り商談、視察を繰り返す。帰国後も国内を飛び回り、ほぼオフィスにいることがない。
「仕事が好きで止まっていられないし、デスクに座っているのが得意じゃないんです。でもZoomの会議は正直、苦手です」と言うが、秘書嬢いわく「とはいえ、いろいろ仙座が発言しているのは聞こえますので、会議に対する集中力はすごいと思います」
2022年末発表の新しいプロジェクトでは、仙座が単なる仕事人間ではない一面が露呈した。パーリーゲイツは車いすバスケットボールチーム『NO EXCUSE』のユニフォームのロゴスポンサー契約を締結させたのだ。
「次男が、車いすバスケの選手なんです。彼からユニフォームを作ってと頼まれたのがきっかけ。苦労? 彼が小さい頃は、より家族が団結して応援していました。今はみんな独立したけれど、最初に家を出たのが次男です(笑)」
現在65歳。ミスターパーリーゲイツの今後の夢を聞いた。
「やっぱりアメリカで勝負したい。韓国ではすでに200億円売っている。ただどうしてもアメリカで売りたいんです」
感性がまだイケているなと思ううちは、自分が動いて飛ばしたいと話す。年齢で諦める気などさらさらない。自らが「ラビット」となり、本戦出場を虎視眈々と狙っているのである。
仙座学3のつの信条
1.店舗で実際に服に触り、接客する販売を重視する
「販売員と話をしながら買い物をするのが好きなんです。パーリーゲイツの売り上げには販売員の貢献が大きい。コロナ禍でも忙しく働いてくれたので、その分はきちんとボーナスとして反映させました」
2.選んだスタッフには、責任を持たせ、任せる
「僕が部下を指名した以上、ここまでは君らの責任だよと、ある程度まで任せる。任せることでやる気も生む。そこでいい数字が出たら、その成果分の給料を僕が保証します」
3.ハイリスクハイリターンの覚悟がなければ成功はない
「海外出店の際、1店舗出して半年の売り上げで諦めてはダメ。チャレンジを決めたのなら、ある程度の投資は覚悟すべき。ハイリスクハイリターンの覚悟がないと成功もない」
Manabu Senza
TSIホールディングス 上席執行役員
1959年北海道生まれ。TSIホールディングス 上席執行役員事業担当兼TSIウェルネス事業ディビジョン長。21歳で上京、ファッションブランドで働き、26歳でメンズの取締役に。1986年サンエー・インターナショナル(現TSI)入社。2014年TSIグルーヴアンドスポーツ代表取締役社長。2021年グループ再編で現職。