ドイツで伝説と呼ばれ、2年連続「デュエル勝利数1位」、遅いタイミングでの海外移籍など「不可能」だと思われたことをことごとく覆してきた、サッカー日本代表・遠藤航。なぜ彼はこれまで不可能だと思ったことを可能にできたのか。正解を作らず【最適解】を探してきたその哲学とは。2022年11月に上梓した『DUEL 世界で勝つために「最適解」を探し続けろ 』より一部抜粋してお届けする。【最適解】最も適した答え。現状から最適と考えられる解答(『大辞林』より)。第1回。
「現場の意見」と「リーダーの意見」が合わさって、チームのスタイルができる!
印象的だったのは最後のチュニジア戦です。チームも僕自身もいいパフォーマンスができず、日本代表のサッカーをしっかりと研究してきていた相手に対して、重要なミスを繰り返す完敗ともいえる内容でした。少なからぬショックを受けていた選手もいたと思います。
試合後、ホテルに戻るチームバスの中で選手たちはその危機感を口にし合っていました。この後、チームは解散となります。顔を合わせて話す最後のチャンスでもありました。
──いまのままではドイツにもスペインにも勝てない。
ある選手がボソッと口にしたことがきっかけでした。
「ドイツ相手にどういうサッカーをするべきか」
「どんなシステムで戦うべきなのか」
「それがうまくいかなかったときどうやって修正していくのか」
見えている課題に対して、選手の数だけ解決策がありました。
代表チームには各国をよく知っている選手がたくさんいます。例えば、(原口)元気くんは2014年からブンデスでずっとプレーをしてきてドイツのサッカーを熟知しています。タケ(久保建英)は、小さいころからスペインで指導を受けており、リーガで多くの監督とサッカーをしています。
対戦相手のレベルや戦い方を知り、それに対応してきた選手たちが増えたことで、いろいろな意見が出たわけです。
戦い方やお互いにどういうプレーをしてほしいと思っているか、という選手同士のやり取りはこの森保ジャパンでずっとなされていたことでした。それは、森保監督自身が、歓迎し、求めていたことでもあります。
それはこれまでのサッカー人生で経験したことがないほど熱のあるものでした。それをやり続けてきて、ふと思ったのです。
ここまで深く選手同士がピッチ外で話し合い、ピッチで共有しながらプレーていくことは「日本サッカーにしかできない」長所になっているのではないか──?
想像になりますが、森保監督が「選手たちに話し合わせる」スタイルを取っているひとつの理由にロシアワールドカップがあったと思います。ハリルホジッチさんが解任された後、ワールドカップ開幕1ヵ月前という大変な時期に監督に就任したのは西野朗(あきら)さんでした。スタッフとして森保さんも入閣していましたが、西野さんは選手たちがピッチで判断すること、話し合って戦い方を決めていくことを推奨していました。
結果はグループリーグを突破し、ベスト8をかけたベルギー戦も後半途中まで2対0でリードするなど善戦しました。何より、あのチームにはすばらしい一体感がありました。そのひとつの理由は、選手たちが自立的に意見を言い合い、短い時間の中で戦い方を作り上げたことがあったと思います。
一番ダメなのは「選手同士で話す」で終わること
いずれにしても、この6月シリーズ以降の日本代表の「選手同士の議論」はとても活発で、積極的だったと思います。チームバスの中だけでなく、トレーニングの中で、ランニングをしながら、または食事のとき……。それはロシアワールドカップ前の比ではなく、熱く、具体的なものでした。
誤解を恐れずに言えば、こうした「選手が戦い方を考える」こと自体が、日本代表への批判を高めた部分があると思います。いわく、監督が戦い方を提示しない、決められない、と。確かに「決めてほしい」と思っている選手たちはいました。僕もそう思ったことがあります。
けれど、もっと違った視点があることに気が付き始めます。
例えば日本代表は話し合った「選手の考え」をキャプテンである麻也くんや僕が森保監督に伝え、コミュニケーションを取ることができていました。
チームマネジメントとしてもっともよくないのは「選手だけで話す」ということです。
仕事に置き換えても同じだと思います。現場の人たちの意見はもっとも尊重されるべきもので、核心に近いものが常にあります。しかし、それを現場だけで留めてしまえば何も変わらない。外から見れば「愚痴」や「責任のなすりつけ」とされてしまうかもしれません。
チームの方針を決める上司、リーダーに現場の意見を伝えること。そこでも話し合い、そのうえで出された決断を全力で遂行していくこと。
そんなチームはとても強いはずです。
僕は森保監督をとても信頼しています。それは他の選手もそうだと思います。
日本サッカー界でもっとも実績がある。サンフレッチェ広島で3度のリーグ優勝をしていることはその表れです。そんな実績を持ちながら、選手たちの意見を聞き入れ、試合を重ねるごとに新たな変化を取り入れる。ときにはブレることなく「変えない選択」をする。大きなプレッシャーがある中で、いつも選手を尊重してくれる……。
一選手が監督について書くのは無礼でしたが……、こうした「現場の意見」と「リーダーの意見」が共有されたうえで、チームのスタイルが作られるのは、ヨーロッパではあり得ないやり方でした。
遠藤航/Wataru Endo
1993年2月9日神奈川県生まれ。中学3年時に湘南ベルマーレユースからオファーを受け、神奈川県立金井高校進学と同時に湘南ベルマーレユースに入団。2010年、湘南ベルマーレに2種登録選手として登録され、Jリーグデビューを果たすと2011年よりトップチームに昇格。主力選手として活躍し、19歳でキャプテンも務める。2015年に浦和レッズに完全移籍。2017年にはAFCチャンピオンズリーグで優勝し、初の国際タイトルを獲得した。また、2015年には日本代表に初選出され、2018年のロシアワールドカップでメンバー入り。同年ベルギーのシント=トロイデンVVへ完全移籍。2019年8月にVfBシュツットガルトへ期限付き移籍。主軸として1部昇格に貢献、2020年4月に完全移籍となる。20-21、21-22シーズンと連続でブンデスリーガ1位のデュエル勝利数を記録。21-22シーズンからはキャプテンを務めるなどチームの中心として活躍。日本代表としても不動のボランチとしてカタールワールドカップアジア最終予選を戦った。日本代表は44試合に出場、2得点。ブンデス1部は75試合8得点(2022年10月8日現在)。
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