ナイキ、アシックス、アディダス、プーマ、ニューバランス。超レッドオーシャンのスニーカー市場において、ここ数年よく見かけるようになったのがスイスのOn(オン)。今、アメリカでも大ヒット中。それを日本で広めたキーパーソンが、元Onジャパン代表の駒田博紀だ。後進ブランドであるOnが大躍進を遂げている秘密とは? 『なぜ、Onを履くと心にポッと火が灯るのか?』(幻冬舎)より、一部を抜粋して紹介する。【その他の記事はコチラ】
「0を1にする」ことの難しさ
Onは2013年に日本に上陸しました。東京マラソンEXPOや宮古島トライアスロンなどにブース出展しながら、限られたマーケティング予算で販売していったことは、すでにお話しした通りです。
翌2014年も同様の取り組みを継続し、2013年の2倍の販売数でした。そして、日本撤退の危機を乗り越えてOnジャパンが立ち上がった2015年は、さらに倍の数字が目標となりました。
マーケティング戦略の大枠は変わりませんでした。SNSやリアルのコミュニティを通じて、ファンを増やしていくことです。コアなファンを作り、そこからまたファンを広げていくことです。
2013年にOnを始めた当初は、もっと多くのマーケティング予算さえあればうまくいくのに……と思っていました。しかしこの頃には、潤沢なマーケティング予算はあるに越したことはないが、お金があったからといって必ずしもうまくいくわけではない、と考えていました。
僕たちOnジャパンが挑んでいたのは、巨大ブランドがひしめく世界です。その中で、世間の皆さんは新しいブランドを待ち望んでいたわけでもありません。
そのような環境で、伝統的なマーケティング手法で入っていこうとしたところで、太刀打ちできるはずがないと思いつつありました。中途半端にお金を使って上からマーケティングメッセージを落とし込もうとしても、コミュニティの「殻」に弾かれてしまうだけだろうと。
それよりも、自らコミュニティの中に飛び込んで、メンバーと同じ目線で同じスポーツを楽しむことが大切なのだと思いました。そうすれば、発したメッセージは弾かれることなく、コミュニティ内で水平に広がっていくと確信しつつあったのです。
一緒に体験することこそが、ファンづくりの最短距離
ランニングイベントを開催して一緒に走る。一緒に楽しみ、一緒に喜ぶ。極めて原始的なやり方かもしれませんが、それこそがスポーツブランドの原点。
そのやり方でOnを知ってもらい、Onのファンになってもらうことが、遠回りに見えても最短距離なのだと考えました。
実はOnの3人の共同創業者も、当初は手売りから始めたと言っていました。チューリッヒマラソンに長机を持ち込んでロゴ入りのテーブルクロスを敷き、数少ないモデルを並べて、「どうぞ履いてみてください」と声をかけたのが始まりだったのです。
日本で僕がやろうとしたのも、同じようなことでした。日本各地のイベントやレースで出会った人たちとフェイスブックやインスタグラムでつながり、Onのファンになってもらう。それを日々続けていきました。
まるで、目標レースに向け、地味なトレーニングを積み重ねる日々のようです。うまくいくときも、そうでないときもありました。そんなとき、自分は本当に目指す場所に向かっているのだろうかと不安に思わなかったわけではありません。「0を1にする」ことの難しさは、誰よりも身に染みて実感していました。
それでも、自ら行動して学んだことを信じ、仲間の力を信じました。2015年末、僕たちは2014年の倍という目標を達成します。