ライフワークとして、最先端医療の取材を研究者たちに続けている実業家堀江貴文。「人工冬眠」や「人の意識の機械移植」など、一瞬SFかと見紛うような医療の最前線をまとめた書籍『不老不死の研究』(2022年12月刊)より、一部抜粋してお届けする。第2回は高齢化や障害などにより低下した身体機能や力作業の支援につながる新学術領域「サイバニクス」。#1
世界初の装着型サイボーグ「HAL」
筑波大学の山海嘉之教授(CYBERDYNE社 代表取締役社長/CEO)は、世界初の装着型サイボーグを開発した天才イノベーターだ。アカデミズム(学知)とイノベーションが融合した山海教授の仕事ぶりは、惚れ惚れするほどで、尊敬する。山海教授の構想には、イノベーションによって単に富を蓄えたいという邪(よこしま)さはない。その研究は、超高齢社会を生きる未来の人類、そして難病患者への福音となるに違いない。
山海教授は「Cybernics」(サイバニクス)という新しい学問の分野を打ち立てた。このカタカナ語を初めて聞く読者もいるかもしれない。「Cybernics」(サイバニクス)とは、「cybernetics」(サイバネティクス:人工頭脳学)と「mechatronics」(メカトロニクス:機械電子工学)と「informatics」(インフォマティクス:情報学/IT)を中心にさまざまな学問を融合複合した新学術領域だ。
〈高齢化や障害などにより低下した身体機能を支援したり、力作業を支援したりするための機器を開発しようとするなら、工学だけではなく、神経の信号伝達など人体に関する知見も必要であるほか、社会への適合を考えれば、倫理面や法整備などにも配慮をする必要がある。そのため、ロボット工学などの工学系の研究分野はもちろん、脳神経科学、生理学、行動科学、心理学、法学、倫理、感性学など、幅広い分野を体系化する必要に迫られる〉(ジャパンナレッジ版『情報・知識 imidas』より)
2004年に「CYBERDYNE」(サイバーダイン)という産学連携ベンチャー企業を創業した山海教授は、HAL(Hybrid Assistive Limb)という世界初の装着型サイボーグを完成させた。映画「2001年宇宙の旅」に出てくるAI(人工知能)「HAL9000」を彷彿させるネーミングがいい。
「人間が体を動かすとき、脳から筋肉へ動作意思を反映した微弱な生体電位信号が流れます。身につけたHALがその信号を受け取り、まるで自分の体の一部になったかのように一体化して動いてくれるのです。装着するだけで人をサイボーグ化する革新技術と言えるでしょう」(山海教授)
ベッドから車イスに高齢者を移乗させたり、入浴介護をしたりするとき、介護従事者の腰にはものすごい負担がかかる。体重が何十キロもある大人を1日に何十回ももち上げているうちに、腰を破壊されてしまう介護従事者も多い。
「イギリスでは介護従事者の腰を守るため、ベッドから車イスに人を移乗させるときには、二人でやらなければならない決まりがあります。1年以上検証を重ねた結果、介護用HAL(腰タイプ介護支援用)の導入が正式に決まりました。このHALを使えば腰部への負担が大きく軽減されます。そのため、導入した施設では、HALを装着していれば、介護従事者が人をもち上げるときに一人でもかまわないという新たなルールが運用されています」(山海教授)
介護業界の人手不足を解消し、重い肉体労働をテクノロジーによって支援する画期的なイノベーションだ。
なお、HALには「腰タイプ作業支援用」というモデルもある。工場、建設現場、空港、災害現場、雪かき現場などで用いられていて、重たいものを運ぶ作業やもち上げる作業での腰の負担が大きく軽減される。今後は引っ越し業者や配達業者に普及が進むといい。
ALSやパーキンソン病の患者を救いたい
理論物理学者として有名なスティーヴン・ホーキング博士は、筋力が次第に失われていく難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に苦しんだ。この難病は進行性であり、時が経つにつれて体の筋肉が少しずつ動かなくなっていく。2022年現在、根本的な治療法が見つかっていない厚生労働省指定難病だ。
進行性の神経や筋肉の難病はALSばかりではない。パーキンソン病、筋ジストロフィー、SMA(脊髄性筋萎縮症)、CMT(シャルコー・マリー・トゥース病)、先天性ミオパチー、遠位型ミオパチーなどたくさん種類がある。
「脳神経系の患者さんは、健常者と違って思うように体が動きません。たとえ体が動かない状態でも、脳が『動け』と命令している微弱な信号さえ受け取れれば、その人の意思に従ってHALが体の一部のように動いてくれます。難病患者の皆さんに、HAL(医療用下肢タイプ)を使った治療を2万回以上実施してきました。難病によって歩行に困難を抱えている患者さんであっても、HALを装着することで体に過剰な負担をかけることなく歩くことができるのです。HALを外した後の評価では、患者さんの筋力低下や筋破壊を抑えながら歩行機能を改善できるという素晴らしい効果が確認されています」(山海教授)
放っておけば、ALSやパーキンソン病や筋ジストロフィーの患者はどんどん動けなくなっていってしまう。難病患者が、1日でも長く自由に動き回ることができるようになればとの山海教授の想いが実を結んだ。
HALは、ただ脳から言われるがまま機械的に動いているわけではない。おもしろいことに、HALと人間の脳の間で双方向のフィードバック機能が働いているそうだ。
「HALを体に装着して体が動くと、その動きと同期して脳に信号が戻ります。信号が人間とHALの間をクルクル行ったり来たりして、神経と神経、神経と筋肉の間のシナプス結合がどんどん強化・調整されることで機能改善や機能再生が実現できるのです」(山海教授)
装着型サイボーグで寝たきり高齢者を元気にする
骨折など大ケガをすると、筋力が衰えてそのまま寝たきり状態になってしまったり、認知症が一気に進んでしまったりする。要介護状態にならず、いつまでも自分の足で歩き続けることが健康長寿の秘訣だ。
「腫瘍の摘出手術を受けた86歳の男性の事例を紹介しましょう。人間は1日ベッドで寝ているだけで、筋肉は数%も衰えてしまいます。高齢者の筋力の衰えはもっと早いです。手術を受けて1~2週間ベッドで横になっていると、もう自力では立てないほど筋力が低下してしまうのです。この方に、腰に装着するタイプのHALを使ってもらいました。20分間のコースを作って1カ月間、立ったり座ったりに挑戦してもらったところ、自立生活に戻れるほど一気に筋力がV字回復しました」(山海教授)
10メートル歩くのに、27秒もかかっていた84歳の女性がいた。この人にもHALを使ってもらったそうだ。
「HALを使うと、3倍くらい歩行速度が上がります。HALを使って7~8回歩行訓練をやってもらったところ、HALをはずした後の歩行速度がグンと上がり、以前では考えられなかったほどスタスタ歩けるようになりました。神奈川県の施設で詳しくデータを取ったところ、HALのおかげで機能が34.7%改善されたエビデンスもあります」(山海教授)
新型コロナウイルスの感染を恐れ、外にまったく出かけることなく引きこもり状態になってしまった高齢者は数多い。要介護状態に近づいたり、新たに要介護状態に陥ったりする高齢者が激増していることは間違いない。
「病院に出かけたら、そこでたくさんの人とすれ違って新型コロナに感染するかもしれない。外に出るのも嫌だし、病院に行くのも嫌だという高齢者がいます。自宅で小さな段差につまずいたり、転んでケガをしたりして立ち上がれなくなったりした人もいるでしょう。家庭でHALを使い、少しずつ立ったり座ったりといった訓練を続ければ、パンデミックの中でも筋力を保って自立度を高めていけるはずです」(山海教授)
HALが大量生産されて単価が安くなれば、町内会に1台とか、一家に1台ずつ配備される未来が訪れるかもしれない。何もせず漫然と時を過ごしていれば、高齢者はますます老いて死へと近づいていく。いつまでも筋肉を若々しく保ち、90歳、100歳になっても元気に過ごせるのならば、HALへの投資は安い買い物だと思う。
スパコンとクラウドと脳神経系を連結する
山海教授の構想は、単にHALの大量生産によって健康寿命を延ばそうとか、医療介護の社会負担を減らそうといった直線的なものではない。脳神経系がスパコン(スーパーコンピュータ)とクラウドにつながる壮大な未来を、サイバニクスは志向している。
「生命誕生からカンブリア紀(5億数千万年前から始まる古生代の最初の紀)を経て人類に至るまで、生物は遺伝子を変えながら進化してきました。しかし、道具(テクノロジー)を手に入れたホモサピエンスが成立してから、人類は遺伝子を変えるのではなく、そのテクノロジーを進化させ変えることによって社会変革の道を歩んでいると考えています。狩猟採集社会から農耕社会、工業社会、情報社会を経た新たな未来社会Society5.0を見据えた今、サイバー空間とフィジカル空間が一体化したサイバニクス空間で、どうやって人とテクノロジーが共生していくか。これが人類にとっての課題です」(山海教授)
山海教授は、「サイバニクスの技術を駆使した『サイバニクス産業』はIT産業、ロボット産業に続く新たな産業です」と言い切る。
「人間の内側情報である脳神経系情報・生理系情報からスパコン・クラウド系までをシームレスに一気につないでしまう。神経細胞レベルのミクロの世界から行動レベルの活動の世界に至るまでをコンピュータと接続し、ヒューマンビッグデータを集積・解析・AI処理することで『予防・早期発見・改善を日常化』することが可能な時代が近づいてきました。これまで医療は病院の中で行なわれてきたわけですが、病院の外側にある退院したあとの世界や予防の世界は非医療ゾーンで、高齢化が進めば進むほどこの医療ゾーン/非医療ゾーンの境界線がどんどんグレーゾーン化しています。サイバニクス技術を駆使し、病院・施設・自宅・職場をつなぎ、シームレスにデータ連携することで、このグレーゾーンそのものが、新しい開拓領域となるのです」(山海教授)
HALやサイバニクスの技術が家庭にどんどん普及すれば、体温計や血圧計を使うのと同じように気軽に、デバイスを身につけるだけでサイボーグ化し、サイボーグキットを使って健康寿命を自在に延ばすことができるようになるかもしれない。
アメリカやヨーロッパや日本のような先進諸国は、すでに社会保険制度が完成して規制でガチガチになっている。法律による縛りは厳しく、国会でロビイング活動を行なって規制緩和を進めるのは容易ではない。
「中国では日本のような黒電話の時代がありません。通信デバイスはいきなり携帯電話(いわゆるガラケー)からスタートしました。アフリカ諸国はガラケーですらなく、いきなりスマートフォンからスタートしています。日本のような先進国で最初に思いきったイノベーションを進めるよりも、規制や社会の仕組みがまだ柔らかい途上国のほうがサイバニクスの世界的な推進地域になりうるかもしれません」(山海教授)
サイバニクスのリープフロッグ(leapfrog=カエル飛び、飛び級)現象が、ケニアのマサイ族の村で突然始まり、私たちよりも彼らのほうが先にサイバー空間で「永遠の命」を手に入れるかもしれない。そんな夢想をするだけで、今からワクワクしてくる。
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