芸術の大きな喜びの一つは新しい才能に出会うことだ。世界的アートコレクターとしての前澤友作を支えているのは財力だけではない。情熱やときめく気持ちも人一倍だった。そしてそれは誰もが持てる力だ。前澤がそんな情熱で発見した画家ラファエル・バーダーの展覧会が開催中。作家本人に話を聞いた。■連載「アートというお買い物」とは
世界的アートコレクター前澤友作の発見
かのフィンセント・ファン・ゴッホの生前に売れた絵はたった一点だった。これには諸説あるともいうが現代のゴッホ人気からしたら信じ難いのでしばしば話題になる。そんなに大昔の話ではない。たった150年前に活動していた画家で、その頃ヨーロッパではすでに鉄道網は発達していたし、電話だって発明されていた時代だ。現代の我々とそう違わない生活をしていたともいえる。絵の売買をする画商という職業も成り立ち、ゴッホ自身、画家になる前は画商として働いていたこともあったのだ。
なぜそんな話をしたかというと、現代においての画家という才能の発見のしかた、またはされ方について考えたからだ。
ドイツのライプツィヒ生まれ、ライプツィヒ視覚芸術アカデミーを卒業し、現在も同地を拠点に活動している画家ラファエル・バーダー。3年前、まだ特定の画廊にも所属していなかった彼はインスタグラムで作品を発表していた。コレクターや画商の目に留まるべく、そうするのは現代では普通のことだ。
そんな彼のインスタグラムを見て、「この人良い!」(関係者談)と目に留めたのが、今や世界的にも名が知られる現代美術コレクター、前澤友作だった。前澤は惚れ込んだ作品に対してはオークションで100億円を超えて競り落とすこともあるが、一方で若手アーティストの発見や育成に熱意と私財を注いでもいる。しかも自身の眼でアーティストを探すことを心がけていることもあり、インスタグラムなどのパトロールに余念がない。そのときも前澤はさっそくスタッフを通じて、バーダーに連絡をとった。
「インスタグラムのダイレクトメッセージでコレクターの方から連絡をもらうことはよくあります。しかし、前澤さんのような大コレクターがインスタグラムを見てくれて、連絡をくれることはまずない。たまたまパンデミックのときだったのでそういうこともあるのかと思いましたが。連絡をくれるのは、たいていはコレクションを始めた若いコレクターということが多いので驚きました」
前澤が連絡をしたころ、バーダーはギャラリーにも所属せず、インスタグラムの作業も全部、自分でやっていたという。撮影、アップロード、コレクターとのやりとり、そして販売、発送すべてだ。今はギャラリーにも所属していて、制作に集中できている。
「ギャラリーはアーティストにとって、今でも重要な存在であり続けてはいますが、SNSなどでコレクターがアーティストを見つけるというのは新しいかたち、進化ですね。ギャラリーと仕事をしていないアーティストでも、多くの人に知られ、作品の販売もしやすくなりました。ギャラリーにとっても、そのアーティストを扱い始めた段階ですでに顧客やステータスを持っていたりするというメリットもあります」
まだ知らなかったアーティストを見つけ出すこと、つまり、才能を発見することは美術愛好家やコレクターにとって、無上の喜びなのである。そうではなくて誰もが知っていて、憧れであり、しかし、なかなか手に入れることができないものというものもあるのも事実だが。それはとても高額なものだったり、数の少ないものだったり、高級ブランドの長年の顧客のみが手に入れられるものだったりというのもあるだろうが、そうではなく、自分だけがいち早く見つけ、満足すること。
才能を「発見」することはたとえば、誰よりも早く新しい彗星を発見したいという天文家の仕事や地を這うダイヤモンドハンターの仕事に似ているだろうかなどと思いを馳せる。美食家ブリア・サヴァランはこう言っている。「新しい料理の発見は、新しい星の発見よりも人類の幸福に一層貢献する」。発見はいつの時代も人々を虜にし、人類の発展を押し進める偉業なのだ。
そんな、アーティストの発見に情熱を注ぐ前澤が発見したひとり、ラファエル・バーダーの日本初個展が現在、東京・六本木の現代芸術振興財団で開催されている。
直感で発見し、話を聞き、満足感に浸る
独特の色彩と画面構成をもつ抽象絵画として見ることもできるが、風景画でもあるようだ。
「第一印象で風景画と見てもらうのも正しいです。私自身、自然の中で育ち、そこからインスピレーションを受けてきたので。けれども、これらは特定の場所の風景ではなくて、自分の心の中に残った風景を自分の表現として見せているものです。私にとって、都市の中にいるよりも自然の中に身を置くことの方が、周囲と自分の深いつながりに一層、踏み込める感じがしています。なぜなら、人間も自然の要素の一つだからです。日常の中で私たちは人工的なものに囲まれて生きていますが、ときにそういう現実から離れ、自然の中に戻るのが重要かと思います」
彼は自然の中に身を投じ、ドローイングを制作する。それは手描きでシンプルなものだという。自分が吸収したものをメモのように描き記す行為なのだそうだ。アトリエに戻ったあと、彼はドローイングの中からペインティングに発展させるものを選ぶ。その選び方だが、そのとき自分が置かれた状況や感情と呼応するようなドローイングを選び抜く。それがペインティングに進んでいく。
「まずはキャンバス全体を一色で塗ることから始めます。たとえば黄色一色で塗る。その上でどうやって色を選ぶか。自然の中で見ていたとき、この色だなと思う色があっても、その色に近づいてよくよく長く見てみるとその色だけではない、別の色もたくさん含められていることに気がつきます。空は青いというふうに思いますが、時間をかけてじっくり見ていくと、赤や黄色やグリーンにも見えてきます。観察した色を思い出すこと、同時に色に対する自分の反応はどうなのかという2つの側面を大事にしています」
自然の中でドローイングし、それをアトリエに持ち帰り、本画に仕立てあげていくという話を聞いたとき、それは印象派やポスト印象派の画家たちのやり方というよりも、日本の画家たちがやってきた方法に似ていると思った。風景を前にしてキャンバスに向かい、チューブ入り絵具を捻り出して描くという衝動はない代わりに、落ち着き醒めた目で描かれた、リアルかどうかはさして重要ではない風景、またはそこから発展した色面構成に見える。聞けば、子供の頃から、葛飾北斎の絵が好きでよく見ていたという。
落ち着き醒めた目で描かれているように見えると伝えるとさらに秘密を教えてくれた。油絵具を水彩のように扱うメディウムがあり、それの効果が出ているようだ。それが表す薄塗りの感じ、そうかと思えば、油絵具を普通の使い方で使うところ、それとオイルスティックも使う。乾いていない油絵具の上にオイルスティックを使うことで出せる質感もあり、それぞれのテクスチャーで表現が成り立っている。
「自分の作品はフラットな印象を持たれることが多いけれども、異なるテクスチャーを共存させることによって、いわゆる伝統的な遠近法ではない奥行きを絵画に与えられると考えています。見ているうちに段々と、近景、中景、遠景が入れ替わるような体験もできるのです」
初めて会った画家がこれまでに絵と格闘し、得てきた知見や技法の話に聞き入る興奮。新しい出会いに感謝し、そしてその仕事を発見した満足感に浸るのは、確かに「人類の幸福」である。
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。東京都庭園美術館外部評価委員。
■連載「アートというお買い物」とは
美術ジャーナリスト・鈴木芳雄が”買う”という視点でアートに切り込む連載。話題のオークション、お宝の美術品、気鋭のアーティストインタビューなど、アートの購入を考える人もそうでない人も知っておいて損なしのコンテンツをお届け。