1843年の創業以来、傑出したシャンパーニュを生み出し続けてきたクリュッグ。そのメゾンが毎年催す“Behind the Scene”は、世界各地のジャーナリストを本拠地へ招き、畑から醸造の舞台裏まで包み隠さず披露する稀有なプログラムだ。

真摯な日常から“非凡”を生むクリュッグの静かなる情熱
2025年4月に行われた“Behind the Scene”の主役は、「クリュッグ グランド・キュヴェ 173 エディション」と「クリュッグ ロゼ 29 エディション」。少なくとも7年以上の熟成期間を経て毎年再創造されるメゾンの真髄だ。
さらに、アッサンブラージュが完成したばかりの、2024年収穫のベースワインを用いた“将来の「クリュッグ グランド・キュヴェ 180 エディション」”もテイスティング。現在と未来が交差する絶妙なタイミングでプログラムが行われた。
今回の会場は、コート・デ・ブランの特級畑の中でも特別な「クロ・デュ・メニル」。17世紀から石塀に守られてきた1.84haの特別な区画だ。畑の三地点に設えられた木樽の“テイスティング・ステーション”で、参加者は2024年にまさにその場で収穫されたベースワイン3種を味わった。

驚くべきは、その個性の際立ち方である。同じ畑、同じ品種(シャルドネ)、同じ収穫年であるにもかかわらず、樹齢、日照、風向きなどの違いが香りと味を劇的に変える。「1.84haでこれほどなら、300を超える区画からの収穫を手がける私たちの多様性は想像を超えるでしょう」というメゾンのメッセージをまさに身をもって感じ取る体験となった。
多様性の芸術としてのアッサンブラージュ
クリュッグの哲学は1843年、創業者ヨーゼフ・クリュッグが掲げた「いかなる気候条件でも毎年、自らが造り得る最高級のシャンパーニュを世に贈り届ける」というビジョンに始まる。
「クリュッグ グランド・キュヴェ 173 エディション」は時間軸としては2017年収穫のワインを主体にして、最古のものでは2001年収穫にまで遡る。地理的な広がりに目を向ければ、3万4000ha、5県にまたがるシャンパーニュ生産地をほぼ網羅する150種類ものベースワインをブレンドしたもの。つまり“時間と空間の旅”の結晶がそこにある。
「ジェネロシティ(寛大)」という形容詞でクリュッグの最たる特徴を表現するのは、6代目当主のオリヴィエ・クリュッグ氏だ。

オリヴィエ氏が考える寛大さとは「すべてを余すところなく注ぎ込むこと」だという。
「私はストラヴィンスキーの『春の祭典』が好きなのです。なぜなら、演奏家たちがそれぞれの楽器を全力で演奏しているオーケストラだから」
150のベースワインがそれぞれのポテンシャルを最大限に発揮しつつ見事なハーモニーを奏でるアッサンブラージュの妙と、それはまさにオーバーラップするものなのだ。
“Behind the Scene”では、セラーマスターのジュリー・カヴィル氏率いるチームのメンバーたちが日々の仕事を具体的に熱く語ってくれる。およそ300区画ごとに醸造するベースワインを醸造チームのメンバーたちは6ヵ月かけて、各自が毎日15〜17種ずつテイスティングし、記録してゆく。その膨大なデータがアッサンブラージュの最終比率を決定する羅針盤になる。
その丹念な仕事の積み重ねがあるからこそ、あらゆる表現が幾重ものレイヤーとなって深みをもたらすシャンパーニュが生まれるのである。
激動の時代の渦中で
2025年の“Behind the Scene”は、奇しくも米国の追加関税発表という揺らぎの直後に行われた。オリヴィエ氏はこう語る。
「難しい時代こそ静けさと平常心が必要です」
メゾンの歴史を紐解けば、フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)で畑が壊滅的な状態になった時代があり、第一次大戦中、ランスは1051日間も砲火を浴びた。ドイツ軍の大砲がメゾンから10キロほどのところにあったのだという。続く復興の後には世界大恐慌の波、禁酒法の時代、そして第二次世界大戦……。
数々の困難を乗り越えてきた歴史が、現当主の言葉に説得力をもたらす。そして、大の日本通でもあるオリヴィエ氏が両掌を膝に向け、静かに放った日本語は「ごゆっくり」。どんな時代にあっても翻弄されることのない姿勢がそこに見えるようだ。
フランス語のExtraordinaire(エクストラオーディネール)は、「素晴らしい!」とか「抜群の」というような意味合いで使われる。だがオリヴィエ氏は、そこにハイフンを入れたいという。
Extra‑ordinaire──“平凡(ordinaire)を越える(extra‑)”。
その言葉で語られるのは、平凡なる一日の丹念な積み重ねが、7年後、10年後に非凡の輝きを放つという真理。一杯のグラスに、フレッシュな果実、熟成の妙味、季節、歳月、あらゆる記憶をアッサンブラージュしたクリュッグの哲学は、激動の時代を生きる私たちへの静かな指針のようにも思えてくる。
