2024年6月、1万8000点ものワインが集まり審査される世界最大級のワインコンペティション『デキャンター・ワールド・ワイン・アワード 2024』で、1本の日本ワインが最高賞を受賞した。初ヴィンテージにして世界を制する快挙を成し遂げたそのワインとは、「SUNTORY FROM FARM 登美 甲州 2022」。さらに、サントリーがワールドクラスの赤ワインを目指して1982年からつくり続けている「登美 赤」も、近年、大きな変革期を迎えているという。その躍進の背景をこの目で見ようと、登美の丘ワイナリーへと向かった。
世界に肩を並べる日本ワインを目指して
JR中央本線の甲府駅からクルマでおよそ30分。甲府盆地を見下ろす小高い丘の斜面に、約150万平方メートルの敷地をもつ登美の丘ワイナリーがある。標高約600メートルの眺望台からは、天気の良い日には南の方角に富士山がきれいに見える。
南向きの斜面は日照時間に恵まれ、風通しも抜群。西から流れてくる雨雲は、南アルプスや甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳といった山々に阻まれ、年間の雨量も比較的少ない。かくのごとく、登美の丘はワイン用ブドウの栽培に適した基本条件が揃っている。
ブドウ畑の畝間(うねま)には、自然に芽を出した草花も青々と育っている。除草剤で枯らしたり、耕運機で刈り取ることもしない。自然と共生するブドウ畑は土中の微生物を活性化し、団粒化を促進。保水性の高い粘土質の土壌でも良好な水はけを約束する。
眺望台から下った先に2015年に植樹した甲州の区画がある。甲州は1000年以上の長きにわたり、ここ山梨を中心に栽培されてきた日本固有のブドウ品種。DNAを解析したところ、その大部分がワイン醸造に適したヨーロッパ系(ヴィニフェラ)の品種ということがわかっている。
ところがこの甲州、もっぱら生食用として育てられてきたため、ワイン用としてのポテンシャルを十分に発揮できず、シャルドネやソーヴィニヨン・ブランといったフランス原産の高級ワイン用品種と比べて過小評価されてきた感が否めない。そこで近年、この甲州にワイン用ブドウとしての資質を目覚めさせるべく、さまざまな取り組みが行われているのだ。
甲州のワイン用品種としての覚醒
「ブドウを植える前の年にこの区画に立った時、ここならば凝縮感に富む甲州ができると確信しました」
そう語るのは、登美の丘ワイナリーの栽培技師長・大山弘平氏。もとは別のブドウ品種が植えられていたこの区画は水はけがすこぶる良く、水分ストレスが強くかかる。大山氏はここに糖度の上がりやすい系統の甲州を選んで植え付けた。系統とはクローンとも呼ばれ、同じブドウ品種でも際立った特徴をもつもの。長年にわたって山梨県果樹試験場と県内のワイナリーがともに取り組み、推奨系統の選抜が行われている。
結実した甲州の房は、「えっ、これが甲州?」と首を傾げるほど小さく、しかも粒の着きが粗いバラ房。これは凝縮したブドウになりそうだ。
「ブドウ畑のテロワール(自然条件)をつぶさに見極め、この品種のこの系統を植えれば、こういう味すじのワインができるだろうと考える。それがFROM FARMのコンセプトです」
甲州のもうひとつの畑に案内された。「垣根仕立て」の甲州だ。
勝沼あたりのブドウ園を訪ねたことがある方ならご存知だろうが、日本ではブドウの枝葉を人の頭よりも上に張り巡らせる「棚仕立て」が一般的。垣根仕立てよりも風通しがよく、多湿な日本では病害のリスクが少ないとされてきた。その一方、1本の樹からたくさんの房が成るため、糖度の上昇に限度があり、凝縮感にも乏しい。
ワイン用ブドウとしての資質を引き出すには垣根仕立てが理想だが、いくつものワイナリーが甲州の垣根仕立てに挑戦しては挫折を味わった。甲州は樹勢が強く、垣根仕立てにすると結実不良を起こして実がつかない。
登美の丘ワイナリーで甲州の垣根仕立てを始めたのは2015年のこと。ワインショップ下の真南を向いた斜面に植え付けた。やはり、樹勢の強さには悩まされたが、1本の樹から結果母枝の数を増やすなど工夫を行い、現在は順調に育っている。
「生育が早く、収穫のタイミングも垣根の甲州のほうが早い。ただ、苦渋みのもととなるポリフェノールも多いので、ワインづくりではなるべく苦渋みが出ないよう工夫する必要があります」と大山氏はいう。
ボルドーの脇役が日本の舞台では主役に
さて、初ヴィンテージで快挙を成し遂げた登美の甲州だが、登美のオリジンは1982年に誕生した赤ワイン。この赤ワインも登美の丘本来の特性を見つめ直し、大きな変化を遂げている。
「登美 赤」は長らくカベルネ・ソーヴィニヨンをメインに用いたボルドー・スタイルの赤ワインとしてつくられてきた。なぜかといえば、当時はシャトー・ラフィット・ロートシルトやシャトー・ラトゥールなど格付けトップのシャトーへの憧憬があったのだろう。ところがこれらのワインを生むボルドーのメドック地方と登美の丘では土壌や気候があまりにも違いすぎる。かつてカベルネ・ソーヴィニヨンが植えられていた眺望台下の区画も、今はメルロに植え替えられている。
メルロは「登美 赤」を構成する品種のひとつだが、昨今の温暖化で夜間の温度が下がらず、色づきが悪くなり、糖度も上がりづらいという問題を抱えるようになってしまった。
その解決策として始められたのが、山梨大学との共同研究となる副梢栽培だ。6月上旬に新梢を途中で切り落とし、傍芽を選んで副梢を伸ばす。その副梢にブドウの実が成る。
「生育が40日ほど遅れ、ブドウが色付き期を迎えるのは9月中旬。この頃には夜温も下がるので、色の濃さは倍になり、糖度は上がる一方、酸も保たれるようになりました」
そして、カベルネ・ソーヴィニヨンにとって変わり、今や「登美 赤」の品種構成比で最大を占めるようになったのがプティ・ヴェルド。フランスのボルドー地方では、カベルネ・ソーヴィニヨンやメルロに少量ブレンドされる脇役で、現地ではしばしばスパイスのような存在といわれる。ところが、90年代後半にプティ・ヴェルド100パーセントのワインが勝沼で生まれて以降、この品種の山梨における適正が注目を浴びるようになった。
大山氏が見せてくれたのは、2種類のプティ・ヴェルドが栽培されている区画。かつては重い粘土が2メートルの深さまで堆積していた土地だが、そこを造成して粘土を取り払い、凝灰岩の土壌に植えている。
2種類とはひとつがニュージーランドのプティヴェルドで房が小さく、凝縮したワインとなり、もうひとつはフランスのものでたくさんの房をつけ、果実味が高いという。
プティ・ヴェルドで思い出されるのが、サントリーがボルドーに所有する格付け3級のシャトー・ラグランジュだ。1983年にサントリーがこのシャトーの経営権を取得した際、ブドウ畑は好ましい状況ではなく、とくにジロンド川に近い最良の丘の区画は荒れるがままで、ブドウを植え替えるほかなかった。そこでこの丘に植えたカベルネ・ソーヴィニヨンがパフォーマンスを発揮するまでの間、ワインに骨格を与えるため頼った品種が古木のプティ・ヴェルド。通常、プティ・ヴェルドの比率は多くても5パーセント前後のところ、99年ヴィンテージでは17パーセントもブレンドされた。こうしたプティ・ヴェルドに対する知見が、今、登美の丘で生かされていることは想像に難くない。
スーラの作品を彷彿させる「登美 甲州」
では、いよいよ試飲に移ろう。
「登美 甲州 2022」は間違いなく、型破りな甲州だ。甲州にはグレープフルーツなど柑橘系の前駆体が含まれていて、山梨の一部のワイナリーではその特徴を最大限引き出したワインがつくられているが、これはまったくベクトルが異なる。あらかじめ甲州と知らねば、シャルドネと間違えそうなほど、しっかりしたボディと骨格をもっている。リンゴ酸が少ないといわれる甲州だが、酸味もフレッシュで重苦しさは感じられず、きれいにバランスが整っている。大山氏は言う。
「デキャンター・ワールド・ワイン・アワード 2024の最高賞を受賞した際の試飲コメントに、『点描画のよう』という表現がありました。なにかが突出するのではなく、さまざまな要素がひとつの点として集まり、全体像を描き出す。そういうことを言いたかったのだと思います」
「登美 赤 2020」は、プティ・ヴェルド54パーセント、カベルネ・ソーヴィニヨン46パーセント。副梢栽培のメルロがブレンドされるのは21年以降という。ボルドーではパワフルだが垢抜けないといわれるプティ・ヴェルドだが、そうした粗野な印象はいっさい感じられず、洗練されたボルドースタイルの赤ワインで、プティ・ヴェルドがいかに登美の丘に向いているかが窺い知れる。
凝縮感のある黒い果実にスギ、丁子、バニラなどのフレーバー。ストラクチャーはしっかりしているが、全体に優しく、しなやかなテクスチャーだ。
「よいワインはよいぶどうから」はサントリーがワインをつくり始めて以来、一貫して主張してきたスローガン。それも国内最大級のブドウ畑を所有し、新しい試みにもためらわず挑戦する人材が揃ってこそできること。
副梢栽培のメルロがブレンドされる、次の「登美 赤 2021」も楽しみだ。
サントリー登美の丘ワイナリー
住所:山梨県甲斐市大垈2786
TEL:0551-28-7311
営業時間:10:00~17:00(最終入場16:30)
休業日:水曜・年末年始(その他臨時休業あり)