岸博幸が望む方向に舵を切れたのは、恩返しを意識したことに加え、余命の捉え方を変えたことがきっかけだった。人生の区切りを「1年」単位にすることで得た気づきや変化について語ってもらう。3回目。

コンテンツに着目することで地方創生を実現
高市政権は、日本のコンテンツを海外市場で大幅に拡大することを積極的に進めようとしている。非常に正しい方向性を目指しているので、僕も民間人として関わらせていただこうと思っているが、この取り組みは、輸出拡大という経済面だけでなく、日本の外交や安全保障の面でも大きな役割を担うものだ。
外交用語に、「ソフトパワー」というものがある。経済力や武力といった「ハードパワー」ではなく、自国の文化や価値観を海外で広めることで、自国のファン、つまり味方になってくれる国を増やし、外交を優位に進められるようにする力を指すのだが、音楽やアニメ、マンガといったコンテンツは、まぎれもない日本が世界に誇れるソフトパワーだ。
軍事力も経済力も乏しい日本が、中国と対峙していくためには、武力で米国に頼り切る(日米同盟)だけでは不十分で、ソフトパワーを活用して中国に向き合う仲間の国を増やすのが有効だと思う。要は、ソフト面の魅力で日本を好きになってもらい、味方を増やすという戦略だ。
ちなみに、日本が世界から評価されているコンテンツは、他にもまだまだたくさんある。代表的なのが、食。アメリカやヨーロッパでは、地方活性化の切り札は農産品を含め地元の食になっている。2025年、アメリカ・サウスカロライナ州のチャールストンに行った時、それを痛感した。
アメリカ国内のアンケートで“住みたい街・行きたい街”の常に上位に入っている場所なのだが、それほどまで支持されている主な理由は食。もともと南部料理は人気があるけれど、港町なのでシーフードもうまいし、農業も盛んなので野菜も美味しい。地元の農産物だけで料理を提供する有名レストランもあり、そこを目当てに米国中はもちろん世界中から人が訪れているくらいだ。
このケースは、日本もぜひ参考にすべきだと思う。和食に限らず日本の食はハイレベルだし、日本酒やウイスキーといった酒類、肉や果物などの食材も、海外からの人気が高い。ここ数年、東京の有名シェフが地方に移り、店を始めるという事例が増えているが、僕はこの流れが大事だと思っている。

今や食は地方文化の体験という要素に加え、SNSの普及によりエンタメの要素も兼ね備えるようになっている。店を目当てに観光客が増えれば、地元の食材を販売する店や農業も活況になるなど、地域全体が潤う。働く場所が増えれば、若者の流入も見込め、地方活性化につながるはずだ。
伝統文化やものづくりなど、日本が世界に誇るソフトパワーは、他にもたくさんある。日本は近年、観光立国を目指した活動を盛んにやっているけれど、昔からあるつまらない観光地をアピールするだけでなく、地域独自の食や伝統文化などをもっと魅力的にして世界に発信することで、地方を活性化させることは十分できるはずだ。
僕のライフワークのひとつは、地方創生。高市政権のコンテンツ政策に関わらせていただき、日本のソフトパワーという外交力を強化するだけでなく、コンテンツの範囲を食や伝統文化などにまで広げ、世界に発信することで、地方創生も高市政権で実現できると考えている。
選挙をきっかけに、考え方も仕事も変わった
政策を良くすることにもう一度関わる、音楽業界への恩返しをする、そして、地方創生。ここ数ヵ月の間で、自分が人生を賭してやりたかった仕事のベースが整い始めた。そのきっかけになったのは、2025年夏の参院選立候補だ。結果的に落選してしまったが、この時立候補して本当に良かったと思っている。なぜなら、出馬を機に、仕事を半ば“強制的に”整理することができたからだ。
3年前に余命10年と分かった時、残りの人生は有効に使おうと決心した。具体的に言うと、日本を良くすること、そのために自分が一番貢献できる政策の仕事に多くの時間を使うようにするために、テレビの仕事や講演会など、それ自体勉強になって楽しいし、かつそれなりにお金は稼げるけど、ダイレクトに日本を良くすることにつながらない仕事はセーブするつもりだったのだ。
それなのに、退院してしばらく経ったら、気がつくとテレビや講演ばかりの元の生活に戻ってしまっていた。人間はこうも弱いのかとつくづく実感。仕事でも何でもやはり今までやっていたことを延長するのが楽だ。それが、参院選に出たことをきっかけに大きく変えることができた。

1962年東京都生まれ。1986年に一橋大学を卒業し、通商産業省(現経済産業省)に入省。小泉内閣で竹中平蔵大臣の秘書官等を務めた後、2006年に経産省を退官。現在は慶應義塾大学大学院教授や企業・団体の社外取締役等を務める傍ら、メディアでも活躍。2023年夏、多発性骨髄腫罹患を公表。2024年春、“人生の期限”を意識したことで変わった人生観、仕事観などを綴った『余命10年』を上梓。
参院選に出馬することを決めた時に変わったことが、もうひとつある。それは、「余命7年」ではなく、「あと1年しか生きられないとしたら何をするか」と考えるようになったこと。人生まだあと何年もあると思うと、無理やり日々の仕事や生き方を変えるのが無意識のうちに先送りになってしまう。病気が分かった時に心に決めたことを、いとも簡単に覆し、元の生活に戻ってしまったのだから。
でも、「人生残りあと1年」と考えれば、そんな余裕をかましてはいられない。今の自分にとって何が一番大事で、何を一番優先すべきかが、はっきりと見えてくるし、行動に移せるようになった。我ながら、この考え方は気に入っていて、1年ごとにこれを更新していくつもりだ。
そうやって、1年1年、やりたいこと、やるべきことに真摯に取り組んでいく。それがきっと、悔いのない人生につながるのだろう。

