小野伸二、高原直泰、稲本潤一、小笠原満男……1999年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)準優勝の1979年生まれの選手たちは、ゴールデンエイジと呼ばれ、日本人選手のヨーロッパ移籍の土台を作った。その一員として活躍した中田浩二。鹿島アントラーズ強化部の責任者であるフットボールダイレクター就任1年目で、9年ぶり9度目のリーグ優勝を果たした中田浩二インタビュー。最終回は、仕事観について。1回目はコチラ。

「優勝」のプレッシャーを選手が背負うべきではない
――現在の立場だと、たとえ不安を抱いたとしても、周りに悟られるわけにはいかないと思うのですが。
「不安を感じることがあっても、それを周りに見せるわけにはいかないですよね。選手やスタッフに伝染してしまうということは常に考えています。チームを編成し、人事を司る仕事ですから、責任は大きいですよ。人の人生を左右させてしまう立場ですから。いろんなことを抱えている、背負っている覚悟はあります。そんな僕のことを理解してくれる人間が周りにいるありがたみも感じています。だからコミュニケーションは欠かせないですね」
――言葉選びにも気を使う?
「もちろん。僕が発する言葉の影響は小さくないですから。監督やスタッフ、選手に対して評価をくだし、ジャッジするのが仕事。いろんなことに気を配る必要を実感しています。でも、だからこそ、自分が思うようにやるしかないとも考えています。1年目の2025年シーズンは、思い描いた通りできた。『新しい鹿島を』という僕の想いを理解してくれた鬼木達さんが監督に就任してくれたこと。僕の編成にクラブが後押ししてくれたこと。もちろん選手もそうです。そういういろんなものが上手く巡り合わさって、タイトルを獲ることができました。でも、それで満足というわけでもないけれど」
――鬼木監督が優勝後、選手たちが背負う「鹿島は優勝しなければいけないクラブ」というプレッシャーが想像以上に大きかったと話していました。
「最終節で優勝を逃した2017年を経験している選手、優勝のためにとヨーロッパから帰国した鈴木優磨、植田直通、三竿健斗らが必要以上に背負っていたと感じます。でも、それは健全じゃないと僕は思っています」

――それでも、鹿島は4位や5位では許されないという空気がある。
「確かにそれはあります。でも、どこかで、『常勝鹿島』、鹿島はこうあらねばならないというのが、先走りしていた部分もあったと思うんです。今はそうじゃないのに、昔はこうやってタイトルを獲った、だからこうやるんだというのが強すぎたんじゃないかと。そういうものを変えていきたいと思っています」
――もう少し詳しく言うと?
「選手が優勝したい、優勝しなくちゃいけないと思うのは大事なことです。だからこそ、日々の練習、ピッチに注力してほしい。優勝しなくてはいけないというのを抱えるのではなく、もっとうまくなりたい、負けたくないと日々の練習に取り組んでほしい。優勝するための環境を整えること、優勝するための空気を作ることが、僕の仕事だと考えています。優勝に対する外圧を背負うのは監督であり、僕であるべきだから」
――だからこそ競争力の高いチームを編成し、練習の強度を上げるんですね。競争という意味では、鬼木監督はベテランにも厳しい言葉をみんなの前で伝えると聞きました。誰も特別扱いしない。そして、居残り練習も最後まで見ている。
「たとえば鈴木優磨は、うちの大黒柱だし、選手からの信頼も厚いベテランです。だから過去の監督のなかには、そんなに強く言えないという人もいたと思います。でも、鬼木監督は、優磨が良くなければ、しっかりそれを指摘する。ベテランも若手も関係ない。しかも、それを選手みんなの前で伝える。それは鬼木監督の良いところのひとつだと思います。しかも、個別にもきちんとフォローするようなコミュニケーションも取っている。だから選手との信頼関係が築けているなと感じます」
――公平であり、平等な視線が指揮官にあるからこそ、選手も頑張れるんですね。
「監督だけでなく、コーチ陣も選手に対して同じように接しているので、本当に信頼関係が築かれた、風通しの良いチームだと感じました。僕も監督と話すときは、練習後のグラウンドでみんなが見える場所で話しています。誰もいないところで、コソコソふたりで話しているのはやめましょうと」

まずは相手の話を聞く!
――現在の立場で仕事をするうえで、他に気を配っていることはありますか?
「基本的には、まず相手の話を聞くことですね。やっぱり相手の思っていること、考えていることをキチンと聞いたうえで、コミュニケーションをとるべきだと意識しています。僕が先に話すと、立場的に押し付けになってしまう面もあるだろうし、それが答えになってしまうこともあるから。でも、それは良くない。相手の本音を聞き出せずに会話が終わってしまうことは、避けるべきだから」
――中田さんに強いリーダーシップを感じますが、子どものころからそうなんですか?
「僕はそんなにキャプテン気質ではないですよ。どちらかと言えば、バランスを見ながら、整えるタイプですかね。強烈なリーダーシップを持った人というのは、鹿島でも、同世代の選手にもいろいろ見てきました。彼らに比べると僕はバックアップじゃないけど、周りとコミュニケーションをとりながら、リーダーを支えていく人間ですね」
――けれど今は強化部の責任者。リーダーであるべき存在ですね。
「そうですね。いろんなことをジャッジする仕事ですから。でも、だからこそ、コミュニケーションをとりながら、多くの情報を集めて、決断しなくちゃいけないと考えています。僕のジャッジによって、人生が変わる人もいるわけだから、そこは気を付けているところです」
――中長期的という意味で、今後のビジョンを聞かせてください。
「リーグ優勝すれば、その先にはアジアの大会があり、世界の大会があります。そういう場所で戦っていくためのチームを作るうえで、どういう選手が必要か、アカデミー(下部組織)も含めて、どういう成長曲線を描くべきか。予算は足りるのか? など、考えることはいっぱいあります。組織という意味でもまだまだ弱い部分もありますから」
――ヨーロッパでのプレー経験のある強化責任者はまだ少ないと感じます。
「ヨーロッパではスポーツダイレクターと呼ばれる強化責任者の地位が日本よりも高いと感じました。日本では社長や監督への注目が高いですが、チームの勝敗や成長を託されている強化責任者の地位が日本で上がれば良いなと思います。だからといって、僕がメディアに出ていくというのではなく、仕事、結果で示せればと考えています」

1979年7月9日滋賀県生まれ。帝京高校より鹿島アントラーズ加入。1999年ワールドユース(現U-20 W杯)で準優勝。2000年シドニー五輪、2002年日韓と2006年ドイツのW杯出場。2005年以降フランス・オリンピックマルセイユ、スイス・FCバーゼルで活躍し、2008年鹿島へ復帰。2014年現役引退。その後、鹿島のクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)に就任。筑波大学大学院で社会工学を専攻。2024年から強化担当者となり、同年秋、強化責任者であるフットボールダイレクター就任。2025年は鬼木達監督を招聘するなど、9年ぶりのリーグ制覇を牽引した。
――楽しそうですね。
「楽しいですよ。大変だから楽しいです」
――鹿島アントラーズが好きですか?
「はい、好きです。高校を卒業して、最初に入ったクラブ。良いことだけじゃなくて、いろんなことを経験させてもらったクラブだから。このクラブが進化していくことが一番ですね」
――海外へ移籍した選手も多くが、鹿島へ戻ってきますね。
「そうですね。やっぱり『ファミリー』という文化は、変えてはいけないところだと思います。海外に行った選手もそうだし、引退した選手もまたクラブで活躍できるような場を作れればね。より良くなっていくと思うので、そういう風にしていきたいですね」

