高級時計とは単に時を刻む道具ではない。持ち主の人生哲学や美意識を映しだし、それを次世代へと受け継ぐことができるからこそ、時代が移ろうなかでも変わらない価値を放ち続けるのだ。今回は、建築家の丹下憲孝氏に話を聞いた。【特集 100年後も受け継ぎたい高級腕時計】

建築家。1958年東京都生まれ。ハーバード大学大学院建築学専門課程修了後、丹下健三・都市・建築設計研究所に入所。2003年に丹下都市建築設計に改組し、現在は会長を務めている。モード学園コクーンタワー、フジテレビ本社ビルなどを手がけた。
父との思い出とともに人生を刻み続ける
いつ好きになったか、記憶は定かではないが、時計はいつも身の回りにあった。祖父が柱時計や懐中時計のコレクターだったこともあり、ゼンマイを巻く姿をよく見ていた。1970年代にスイスの寄宿学校に留学した時、入学祝いにもらったセイコーのクオーツウォッチをつけていた。当時はクオーツの技術が世界を驚かせていた時代で、高級ブランドの時計をつけた同級生たちが羨望の目でその時計を見ていた。ハーバード大学に入学した際に父からもらったのは、ロレックスの「オイスター パーペチュアル」。父がつけていたモノだったが、その時計は寮で盗難にあった──。
新宿のモード学園コクーンタワーやお台場のフジテレビ本社ビルなどを手がけた建築家の丹下憲孝氏が本格的に時計の魅力を知るのは、“世界のタンゲ”と呼ばれた建築家、父の丹下健三氏の研究所に入り一緒に働くようになってからだ。
「父は仕事でシンガポールに行く機会が多かった。現地の有名時計店を当時の首相に紹介されてからは、毎回店に顔を出すようになりました。そこに同行すると僕の分まで買ってくれる(笑)。父は多忙だったので趣味に使えるような時間がなかなかなかった。シンガポールで美しい時計を買うことが数少ない趣味だったような気がします」
子供のころから機械好きで美しいもの好き。機械式時計の機能美とそのバランスは、若き日の丹下氏を魅了した。
「東南アジアは暑いから、男性は年中半袖。だからお洒落をするとしたら腕時計しかない。腕時計はコミュニケーションツールとしても優秀で、ヨーロッパ、特にイタリアで仕事をするとまず相手の腕時計を見る。そこから話が始まって仲良くなることも多いんです」
丹下氏が所有する腕時計には、20年前にこの世を去った父との思い出が詰まったモノも多い。
「ゴールドの『カラトラバ』は、’80年代に父から誕生日にもらったものです。父は白い文字盤で使っていたんですが、もらった時に青に換えました。父は腕が細かったので僕の腕にはストラップの長さがギリギリなんですが、気に入っています」
オーデマ ピゲの「ジュール オーデマ トゥールビヨン」は、やはり’80年代にシンガポールの時計店で父に買ってもらった。
「最初は父が薦められたんですが、父の腕には大きかった。文字盤のバランスがすごく美しかったので熱心に見ていたら、買ってくれたんです。すごく価格も高かったと思いますが、いくらだったか知りません(笑)」
シンガポールの時計店との絆も父から引き継ぎ、そこからの縁でフランク・ミュラー氏やリシャール・ミル氏との親交も生まれたという。
「僕は建築で彼らは時計と、つくるモノのサイズは大きく違いますが、限られた空間の中に機能を詰めこみ、それを美しく表現するということでは似ている。彼らと話すと楽しいし、すごく刺激をもらえます」
50年近い時を経ても、父との思い出の時計は美しく精巧に時を刻み続ける。
「僕にとって腕時計は機能や価値以上にセンチメンタルな存在。それぞれの時計をつけるたび、父との思い出や人生の出来事が浮かんでくるんです」

この記事はGOETHE 2025年8月号「特集:100年後も受け継ぎたいLUXURY WATCH」に掲載。▶︎▶︎ 購入はこちら