今から2年前、俳優・小栗旬が下した決断は誰にとっても意外だった。自身も名を連ねる組織のトップとして、そして、成熟した俳優として。これまで歩んだ道と、これから目指す未来を、今初めて語る。「役者論」編。

たった3人だった頃には想像すらできなかった未来
熱気冷めやらぬなか、幕を閉じた大運動会から2週間。小栗旬は本誌の撮影のため、スタジオに姿を現した。肉離れはすでに完治し、足取りも軽やか。最新の春夏の装いに身を包みカメラの前に立つその姿は、まさに当代屈指の人気俳優の、風格と自信が漂っていた。
「怪我だけはしないようにと、みんなに口うるさく言っていたのに、まさか自分がやらかすとは思ってもみませんでした。しかも、他の現場に迷惑をかけるかもしれないという焦りで、病院に直行するクルマの中では頭がいっぱいに。2日ほど経ってようやく『やってよかったな』と、余韻を感じられるようになりました。事務所のみんなからも心配のメールをたくさんいただいて、本当にありがたいことです」
運動会の余韻は? との問いに、笑いながらこう答えた小栗。怪我の痛みと安堵が交錯するなか、小栗のなかでは、かつてのトライストーンの姿がいくどとなく思い返されたという。田中圭、鈴之助、そして小栗旬。かつては、わずか3人の俳優の所属のみだったこの事務所が、今や50人以上を抱え、ついには冠イベントで感謝祭を開催するまでに成長した。自身の現在の立ち位置にしても、20年前には想像すらできなかった未来だったと、小栗はその歩みを静かに振り返る。
「20代前半は主役の隣にいる役が多くて、どうすれば主役が輝くかということばかり考えていた時期がありました。自分は俳優として主役を張るタイプじゃないのだろう。だったらスーパーサブになりたいと思っていた時期もあります」

そんな小栗のマインドが変わり始めたのが、2007年に映画『クローズZERO』の主演に抜擢された頃から。さらに遡れば、その数年前から小栗の才能を見いだし、自身が手がける舞台作品に起用し続けた演出家、故・蜷川幸雄氏の存在も大きい。“お前は主役をやる人間なんだから、もうちょっとちゃんと主役として振る舞え”─蜷川氏から投げかけられた愛のこもった檄(げき)は、彼の役者魂に深く火を灯した。
その後の俳優・小栗旬の活躍は、今さら語るまでもない。数多くの話題作に出演・主演を重ね、主演舞台もほぼ毎年上演。2023年にはNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で主演を務め、称賛を集めた。名実ともに日本を代表する俳優のひとりとなったのは、誰の目にも明らかだ。だからこそ、その翌年に所属事務所の代表取締役社長に就任したというニュースには、多くの人にとって予想を超えるサプライズとなった。
リーダーとなったのは風通しをよくしたかったから
「もう2年が経ちます。でもその間、リーダーになりたいと思ってやってきたわけではないし、今も自分をリーダーだとは思っていません。とにかく会社の風通しをよくしたいという気持ちがあって、運動会もその一環で行いました。俳優にはそれぞれにスタイルがあり、マネージャーもそれぞれを支えることが仕事で明確な決まり事がない。僕たちは同じ製品やプランを扱っているわけではなく、すべてが人と人との関係性で動いていますから」
立場が変わった今、小栗は日々、アーティストとマネージャー双方の話を聞きながら、会社の業務にどう落としこむかを模索している。ちょうどいい落とし所やバランスを取ることの難しさを感じながら、よりよいコミュニケーションを探っている。

俳優とリーダー、ふたつの顔を持つ現在。立場の変化で、自身が思い描く役者像に変化はあったのだろうか。その問いをぶつけると、小栗は「どうかなぁ……」としばし考えこみ、口を開いた。
「俳優という仕事に邁進したいなら、会社の業務に携わらないほうがいいとは思います。俳優は主観的な生き物だと思うし、僕が会社でやっているのは、すごく客観的な視点で全体を見る作業ですから。でも自分は昔から、俳優をやりながらも自然とそういう目線で作品を見てきてしまっているんですよね。役に対して圧倒的な没入力を持っていたり、自分を信じて一歩も揺るがない俳優に出会うと、自分はそこまでたどりつけているかという不安を抱えてしまう。そういう思いは、ずっと心のなかにありました。そしてそれは、会社で別の仕事に向き合うようになってから、さらに強く感じるようになりましたよね」
はたからみれば順風満帆とも見えるキャリア。俳優として到達点に達したかに見えても、役者としてまだ渇望を抱き続けている。小栗はそんな内に秘めていた思いを明かしてくれた。

自身がプロデュースする作品の企画も走りだした
目指したいのは“没入型”。2003年の舞台『カリギュラ』など、これまでのいくつかの作品で、確かな手応えを感じたこともあった。ただ、その境地に達するには自分ひとりの力だけでは足りないこと、共演者やスタッフの力を借りなければならないことも小栗はよく知っている。自己満足の世界とも紙一重であるだけに、その加減の難しさもまた実感している。
「そのたびに“プロフェッショナルとはなんだろう”と悩むんですよね」

そんな小栗のもとには、若い俳優たちが次々と悩みを相談に訪れる。先輩として、事務所を率いるリーダーとして、小栗は彼らにはどんな言葉をかけているのか。
「そのたびにまず言うのは『僕に聞かれてもわかんないよ』ということです。当時の僕と今の彼らとは状況がまったく違う。オーディションで『トライストーンの◯◯です』と名乗っても不思議な顔をされないでしょう? と。意地悪な言い方かもしれないですけれど、これだけの環境を会社が用意してくれているのだから、あとは君たちしだいだよと。運動会で周りを見渡した時に『うちってすごいじゃん』と、心の底から本当に頼もしい仲間が増えたなと思いましたしね」
今後は自社の俳優を起用した作品のプロデュースも見据えており、プロジェクトも動きだしているという。俳優として、そして、リーダーとして。ふたつの軸を走らせながら、小栗旬はなお止まることなく走り続けるだろう。その眼差しの先にあるゴールは、まだ、はるか遠くにある。
