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2025.05.22

ミシュラン10年連続星獲得。「ラ・ボンバンス」岡元信シェフが挑んだ、ロサンゼルス出店までの死闘4ヵ月

2024年10月から準備を開始し、2025年2月にオープンしたロサンゼルスの日本料理店「麻倉」。「ミシュランガイド東京」で10年連続で星を獲得した実績を持つ名店「ラ・ボンバンス」を率いる岡元信氏は、突然始まったロサンゼルスでの出店の挑戦に、“あの頃”と同じ情熱をたぎらせている。

岡元信氏
岡元信/Makoto Okamoto
La BOMBANCE料理長。1973年新潟県生まれ。日本料理「鴨川」や「紀尾井町福田家」などを経て、2004年に「ラ・ボンバンス」をオープン。以来、多くの食通で賑わう店は昨年開店20周年を迎えた。

新日本料理を心の底から伝える仕事人

南青山から西麻布の交差点に向かう下り坂の途中。「B」と1文字だけ書かれた看板を目印に地下へ向かう階段を降りる。隠れ家と呼ぶにはあまりにも有名になりすぎたその店が「ラ・ボンバンス」だ。

オーナーシェフの岡元信氏がこの店をオープンしたのは2004年。フランス語の“ごちそう”を意味する店名からもわかるように、岡元氏が目指したのは「日本料理の新しいルールをつくる」こと。日本料理をベースにフレンチや中華、イタリアンなど世界各国の料理技術を駆使。素材や料理はもちろん、皿やインテリアも含め、従来の日本料理の常識を大きく覆したラ・ボンバンスは、多くの食通の胃袋を摑み、今なお予約困難店としても知られている。

そんな岡元氏が2025年2月、新たな挑戦を始めた。ロサンゼルス、サンタモニカブルーバード沿いに開業した日本料理「麻倉」がその挑戦の地だ。大谷翔平らドジャース所属の日本人選手の活躍で注目のロサンゼルスに、日本の有名料理店が新店をオープン。大きな話題になっているのだろうと思いきや……。

「店を始めて2週間後くらいに予約サイトをオープンしたんです。それまでほとんどPRをしていなかったのですが、これでお客様は来るだろう、逆に予約が入りすぎたら準備が大変だなとか思っていたんですけど……予約が入らない。1日1組とかポツンポツン。もしかしたらインターネットがつながってないのかなって疑いましたよ(笑)。21年前にラ・ボンバンスをオープンした時のことを思いだしました。ショックはショックですけど、落ちこんでいる暇なんてない。よし、ここからだ。ラ・ボンバンスの味、麻倉の味、日本料理の味をロサンゼルスの人たちにどうやって伝えていこうかと、さらにやる気が湧いてきました」

50歳を過ぎて、ゼロからのスタート。この出店のために大きな借金も背負った。

「眠れないくらい苦しい時もありますよ。寝ても覚めても料理のこと、店のことばかり考えている。でもこうやってもがいているのが、正直楽しい。この年齢でこんな思いができるなんて幸せだなと思っています」

21年前もゼロからのスタートだった。「鴨川」や「紀尾井町福田家」、新阪急ホテルなどで料理を学んできた29歳の岡元氏は、自信満々、意気揚々とラ・ボンバンスをオープンする。しかし開店当初の客足はサッパリ。客がひとりも来ないという日も珍しくなかったという。

「あの頃は、お客さんがいない店でスタッフに夢ばかり語っていました。こんな料理をつくりたい、こんな店にしたいって。あまりに予約の電話が来ないから、スタッフに『電話かけてみて』って。電話が壊れているんじゃないかって思ったんですよ(笑)。半年くらいはそんな状態。ピノキオみたいに伸びていた鼻がポキポキに折られました」

「麻倉」の内装
麻倉のインテリアを手がけたデザイナーは、日本のラ・ボンバンスと同じ。「とにかくお金がなかったので、なるべく安くしてほしいとお願いしました(笑)」。ラ・ボンバンスは日本料理でありながらガラスや白磁の器を使うことで知られているが、麻倉では和風のものを使う。「日本だと洋風の器と日本料理の組み合わせが新鮮ですが、海外だと当たり前。味だけでなく見た目も、真正面から日本料理の魅力を伝えていきたいと思っています」。

料理に気持ちなんて入るわけないだろ

店の外に出ると、六本木通りは人で賑わっていた。でも誰ひとりラ・ボンバンスに目を向けてくれない。追い詰められた岡元氏は、かつて修業した店の人気メニューを店で提供。それでも客が増えることはなかった。地下鉄工事の現場を見て、「あそこでバイトしようかな」と考えたこともあったという。

「資金の状態を考えたら、もってあと2、3ヵ月。もう最後かもしれないから、自分ができることをすべてやりきろうと。そこからは自分の料理を、塩のひと振りまでこだわってつくりました。そうしたら、あるお客さんから『とても気持ちのこもった料理でした』と言われた。何言っているの? と思いましたよ。その頃、料理は技術でつくるものだと信じこんでいましたから。気持ちなんて入るわけないって」

ラ・ボンバンスとして、料理人として、最後かもしれない。そう思ってつくった料理。そこに込められた岡元氏の“気持ち”は、本人も気づかぬうちに客を呼びこむようになっていった。

「そのあと、同じように『気持ちを感じる』というお客様が続きました。それまでは有名店、人気店と同じようにつくってもぜんぜん客が来なかった。でも自分が美味しいと思う料理を精一杯つくったら、お客様が喜んでくれるようになった。そうか、気持ちだったんだ。料理を通して自分の気持ちを伝えなきゃいけなかったんだって、ようやく気づけたんです」

以来、ラ・ボンバンスは予約が取れない人気店へと成長していくことになる。

無知だったから出店を決断できた

話を新店の麻倉に戻そう。ロサンゼルスで出店した理由をたずねると「無知だったからです」と岡元氏は苦笑した。もともとロサンゼルスでの出店は、ある企業家の方と合弁という形で話が進んでいたという。

「店の名前、メニュー、出店場所、内装まで一緒に考えて、2024年9月、よしいよいよという段階になった時に、先方の都合で話が立ち消えになってしまった。正直、困惑しましたし、怒りも湧いてきました。でももう決まったことにあれこれ言っても仕方ない。自分ひとりのことなら、そこで出店を諦めて終わりだったと思います」

しかし岡元氏には終わりにできない理由があった。それはロサンゼルス行きを決心し準備を進めていたふたりのスタッフの存在。

「彼らをなんとかしなきゃと。家族も含めてロサンゼルスに行く準備をしていましたからね。1ヵ月くらい考えて、自分でやろうと。そもそも2分の1の責任で店を出そうという考えが甘かったんだ。すべて自分で背負って、彼らが働ける場所をつくればいいんだと。なんにも知らない、英語もまったくできない。でもなんとかなるだろう。これまでもそうだったし、ロサンゼルスもなんとかなるはずだと、無知だからこそ決断できたんだと思います」

10月にロサンゼルスでの出店を決断すると、2週間後に渡米。案内されるがままに銀行や不動産会社を回った。

「次から次に書類が出てきて、それにどんどんサインしていく。もちろん英語ですから、内容はわからない。これが詐欺だったら根こそぎ持っていかれるんだろうなと思ったけど、それを見抜く力がないわけですから、もうしょうがないなと(笑)」

店名は麻倉に決めた。Aで始まる名前にしたかったこと、麻には魔除けの力があると聞いたこと、倉をつくれるくらい根を生やしたいと思ったこと。理由はいろいろあったが、

「たまに行く千葉のゴルフ場が麻倉ゴルフ倶楽部。そこでゴルフしながらいろいろな人に相談したりしていたら、この名前がいいなってなりました」

本当の苦労が始まったのは、そこからだった。店が決まり、料理人がいても、料理をつくるための素材がなかった。

「ロサンゼルスならなんでも揃うと思っていました。実際、あるにはある。でも味も品質も食感も日本とはまるで別物。特に野菜類は、これが胡瓜? これが茄子? と不思議になるレベル。日本なら自分の希望を伝えたら、最高の食材を揃えてくれる人たちがいますが、ロサンゼルスだとそこから自分でやらなければならない。クルマを何時間も走らせていろんなマーケットに行って、片言の英語で交渉する。肉を買うにも20キロが最低単位だったりしますからね。無知も無知。なんとかなると思った自分をちょっと恨みました」

「麻倉」の料理
季節の食材で彩られた美しい料理の数々からなるひと皿「美味幸福」($300のおまかせコースより一例、メニューは月替わりで変更)。だが、そのひとつひとつをつくるのに岡元氏はすべての食材に「日本の10倍以上」の手間ひまをかけている。例えばアメリカのイチゴを日本のものと同じ味、食感にしようとすると「砂糖の浸透圧で表面の数ミリだけを柔らかくすることで、日本のイチゴと同じような甘さと食感になる。液体に漬けすぎるとグニュグニュになるので、最適な漬け具合を見つけるのに苦労しました」。

これまで培った技術と知識を総動員

そんな岡元氏を救ったのは、イベントなどで行った海外での料理経験だった。これまでにブラジル、香港、韓国、メキシコ、ジャカルタ、ハワイなど、アウェイの地で日本料理をつくってきた。その時の経験を思いだしながら、アメリカの食材と向き合った。

「塩茹でしたり、マリネしたり、漬けこんだり。和食や中華など、これまで学んだ技術と知識を総動員することでようやく日本の食材と同じようになる。日本で食べるのと同じような美味しいものを提供したい。そのためには5倍、10倍の手間ひまがかかりますけど、それをやるしかないんです」

日本料理としての真っ向勝負。料理人としても経営者としても苦闘の日々が続く。

「50歳を過ぎて何でこんなこと始めちゃったんだろうって思う日もありますよ(笑)。でもいくつになっても学ぶって本当にすごい。やらなかったらこんな唸るような気持ちにもならないし、見る世界も変わらない。自分って何もないな、なんにもできないなということにまた気づけたのは本当によかった。それに、自分の気持ちを伝えるということを忘れなければ、それがお客様に届くはず。しばらくは日本とロサンゼルスを行き来する予定です。

今、アプリで英会話を勉強中なんですが、僕にとっては料理が最高のコミュニケーションツール。ロサンゼルスで本物の日本料理を伝えることができたら、僕にとっても、ラ・ボンバンスにとっても、日本料理にとっても新しい扉が開くのではないかと思っています」

料理をする岡元信氏
「何枚書いても食材が揃わなくて満足するものができず。自分でやってみて、ロサンゼルスに”本物”の日本料理店がない理由がわかりましたよ」(岡元氏)。普段なら1時間もかからないというコースメニューづくりに2ヵ月以上の時間を要したそう。渡米を決めていたスタッフのためにとロサンゼルスでの開店を決めたが、困難の連続が料理人の魂に火をつけた。”本物”がないからこそ白米とおかずの組み合わせの美味しさなど、日本らしい料理にこだわる。開店から2ヵ月。まだ予約はポツポツだという麻倉だが、いずれ多くの客で賑わう”予約の取れない店”になるだろう。

事業を発展させてきたラ・ボンバンス開業20年の軌跡

  • 2004.6.15 OPEN
    La BOMBANCE(西麻布本店)
  • 2014.10.26 OPEN
    南青山Sudachi
  • 2016.5.17 OPEN
    La BOMBANCE香港
  • 2019.3.25 OPEN
    La BOMBANCE祇園
  • 2020.11.22 OPEN
    La BOMBANCE環水公園
  • 2021.7.21 OPEN
    La BOMBANCE古宇利島

岡元信の3つの信条

1.ラ・ボンバンスにスターはいらない

「スターシェフになろうとは思っていません。それもひとつの方法だと思いますが、それだと僕がいない店、いない日にお客様ががっかりすることになる。岡元 信ではなくラ・ボンバンスとしての実力を上げ、認知を上げることで長く愛される店になると思っています」

2.常にオリジナルを目指していく

「何でも同じだと思うんですが、高く評価されているものをコピーするのはいいと思うんです。でもそこに自分の命、オリジナリティを入れていかないと人が集まらない。難しいことではないんです。自分ができるすべてを注ぎこめば、それがオリジナルになるんです」

3.スタッフにすべてをさらけだす

「スタッフとはなるべく密にコミュニケーションを取って、経営状況なども伝えるようにしています。そうすることで責任感が出るし、独立した時の参考にもなる。失敗した時はただ怒るのではなく、なぜそれがいけないのかという理由も説明するようにしています」

TEXT=川上康介

PHOTOGRAPH=鈴木香織

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