ビジネスは闘いだ。百戦錬磨の男たちは何を心の拠り所としてきたのだろうか――。9人の勝負師のパワーアイテムから、仕事との向き合い方を知る。今回は、NBA Japan代表の渡邉和史氏に話を聞いた。【特集 勝ち運アイテム】
NBAのカルチャーを日本に根づかせたい
28年前の興奮が今も忘れられない。
「1996年、当時LAドジャースにいた野茂英雄さんがノーヒットノーランを達成したんです。僕は大学生でテレビ観戦していたんですが、スタジアムの観客が総立ちになって拍手を送っている様子を見て、日本人の可能性、スポーツの可能性を感じました。自分が今から世界的なアスリートになるのは無理。でもサポートはできる。日本人アスリートを世界に送りだしたい。そう考えて、スポーツビジネスの道に進もうと思いました」
2024年10月にNBA Japan代表に就任した渡邉和史氏は、これまで多くの世界的スポーツイベントを支えてきた日本のスポーツビジネスのキーパーソンだ。
2002年のサッカー日韓W杯開催前に広告代理店からFIFAに転職。その後、日本コカ・コーラで数々のオリンピックやW杯などのマーケティングを担当。東京五輪後には、錦織圭選手や平野歩夢選手ら世界的アスリートが所属するスポーツマネジメント事務所、IMG東京支社でバイスプレジデントを務めていた。
「IMGの仕事は楽しかったんですけど、NBA(北米のプロバスケットボールリーグ)が日本支社をつくると聞いて、チャレンジしてみたいと思いました。ちょうど50歳になったタイミングで、残りの人生、全力で突っ走れるのも10年くらい。それなら、代理店、スポンサー、協会、アスリートマネジメントなど、これまで自分が学んできたスポーツビジネスのすべてを注ぎこめる仕事をしてみたいと思ったんです」
一流の人間を目指すなら一流のモノを持つべき
そんな渡邉氏が重要なサインをする時に必ず使うのが、結婚した2003年のクリスマスに妻から贈られたルイ・ヴィトンのペンだ。
「一流の人間を目指すなら一流のモノを持つべきという妻のメッセージが込められています。今回のNBA Japan代表への就任を含め、これまでのキャリアのなかで大切な書類にするサインには、このペンを使ってきました。これでサインするたびに『スポーツを通して日本の素晴らしさを世界に伝えていく』という初志、ライフミッションを思いださせてくれる、自分にとっての“道標”のような存在です」
NBA Japanの代表とはいえ、現在はオフィスもない状態。経理や人事、マーチャンダイジングなどすべての業務をひとりで行っている。
「僕はバスケについては初心者。NBA本国との最終面接で『君はバスケットボールをどのくらい愛しているのか?』と質問されたので、正直に答えました。『僕はバスケをちゃんとやったことがないし、2年前に映画の『SLAM DUNK』を観てバスケって面白いなと思った程度。でも大多数の日本人は僕と同じ。そんな僕だから日本人にNBAの魅力を伝えられる』と。そうしたら採用されたので、今は必死で勉強している段階です」
Bリーグが盛り上がり、代表の注目度も高い。八村塁選手や河村勇輝選手がNBAでプレイしている。渡邉氏は、日本におけるNBAのファン拡大には自信を持っている。
「1、2年で爆発的なブームをつくるというよりは、まずは10年くらいかけて日本にNBAのカルチャーを根づかせるというのが目標。NBAに関する音楽やファッションなども発信して、カルチャーとしての魅力を伝えていく。野茂さんが道を拓いたことで日本人がMLBの魅力を知り、その積み重ね、流れがあって大谷翔平選手が出てきた。バスケもそういうふうに根づき、そして大谷選手のように、NBAを代表するプレイヤーが日本からどんどん羽ばたいていったらいいなと思っています」
道標を胸ポケットにさし、50歳の渡邉氏の“最後の”挑戦はまだ始まったばかりだ。
POWER ITEM 1|ルイ・ヴィトンのペン
POWER ITEM 2|NBA Japanの名刺とリモワのスーツケース
KAZUFUMI WATANABE Steps in History
27歳|博報堂からFIFAに転職。2年後に日韓大会で調整役の役割を担う
35歳|日本コカ・コーラに転職。スポーツマーケティングを担当してW杯、五輪などを経験
46歳|東京五輪開催
48歳|IMGに転職
50歳|NBA JAPAN代表に就任
この記事はGOETHE 2025年2月号「総力特集:仕事を極めたトップランナーたちの勝ち運アイテム」に掲載。▶︎▶︎ 購入はこちら