とある児童養護施設で暮らす7歳から18歳までの子どもたちと、施設を巣立った19歳の青年の成長を追ったドキュメンタリー映画『大きな家』が、2024年12月6日から公開される。そこで、企画・プロデュースを担った齊藤工氏と監督を務めた竹林亮氏にインタビューを実施。前編では、作品に託した想いを紐解く。
児童養護施設。その存在は知っているものの、どんな子どもたちがそこに集い、どんな日常を過ごしているかを理解している人は、ほとんどいないのではないだろうか。映画『大きな家』は、そんな児童養護施設での子どもたちにスポットをあて、彼らが何を想い、考え、どう成長していくかを、ていねいに記録した長編ドキュメンタリーだ。
齊藤工氏が、舞台になった児童養護施設を1日限定のイベントで訪れたのは、4年前のこと。それを機に、その施設に足を運ぶようになり、子どもたちと親交を深めるうちに、齊藤氏の心に芽生えたのが、「子どもたちのこれまでの物語や施設での日々を、多くの人に知ってもらいたい」という想いだった。
児童養護施設を舞台にしたドキュメンタリーを制作する。そう心に決めた齊藤氏が、監督として白羽の矢を立てたのは、2021年公開の青春リアリティ映画『14歳の栞』で、出演者のプライバシーを尊重し、 “被写体ファースト”に徹した竹林亮監督。2年以上に渡り、子どもたちと誠実に向き合いながらつくられた作品で、ふたりは何を想い、感じたのだろうか。
商業的成立に体重をかけない挑戦
――『大きな家』は、配信もDVD化もせず、映画館でのみの上映と、昨今の映画の在り方とは一線を画しています。それは、出演者のプライバシーを尊重し、“被写体ファースト”に徹したからだそうですね。
齊藤工(以下齊藤) そうですね。プロデューサーの役割は、本来映画を商業的に成立させることだと思うんですが、今回は、そこに体重をかけない、かなりアドベンチャーなトライをしていると思います。製作費が潤沢にあるわけでもないし、この世に出るかどうかも定かではない、ある意味、映画にとって不誠実なところからスタートしているというか……。竹林さんには、そんなゼロイチの段階で、監督をオファーしました。
竹林さんとは、彼が監督、僕が被写体という関係で、ドキュメンタリーの撮影でご一緒したことがあり、竹林さんの被写体に対する距離感は信頼していました。何より大きかったのは、竹林さんが監督した『14歳の栞』です。
映画館に観に行った時、客席に1枚のわら半紙が配られたんです。そこには、「作品の性質上、現時点では配信やDVD化を予定しておりませんが、じっくり長い時間をかけて、少しずつ観ていただける方を増やし、この作品を育てていけたらと、考えております」という言葉と、「この映画に登場する生徒たちは、これからもそれぞれの人生を歩んでいきます。SNS等を通じて、個人に対するプライバシーの侵害やネガティブな感想、誹謗中傷を発言することはご遠慮ください」というお願いが書いてありました。これがあったからこそ、この企画が生まれたというか。このチームでなければ、『大きな家』の企画は成立しなかったと思います。
背景を説明しないからこそ、届くものがある
――竹林監督に伺います。『大きな家』は、実存する児童養護施設を舞台にしたドキュメンタリーです。それゆえの難しさはありましたか?
竹林亮(以下竹林) ドキュメンタリーの場合、観客は、登場人物のバックグラウンドが気になると思うんです。それを示すのがドキュメンタリーの王道なのかもしれませんが、『大きな家』は、子どもたちの背景や事情をオープンにしないことを前提としています。だから、この作品がどう成り立つのかという怖さみたいなものはありました。
ただ、個人的には、背景を説明することで、観ている人が、子どもたちのことをわかった気になってしまうこともあるんじゃないかと思っていて。なので、バックグラウンドを描かなかった分、観客が、子どもたちの言葉に耳を澄ませ、背景を想像するというか、「自分に近いところがあるかもしれない」と思いながら観てくれるのではないかという気もしています。
被写体となった子どもたちは、7歳から19歳まで、年齢順に登場しているんですが、それも、「こういう背景があって、こういう性格だから、この順番」と、個人にフォーカスするのではなく、もっと広く、ひとりの子どもの成長を見守るような気持ちで、観てほしいという想いがあったからなんです。
子どもたちの「人生のお守り」になるような作品に
――確かに、子どもたちを年齢順に登場させることで、自分の環境の捉え方や周囲とのかかわり方などが、年齢を追うごとに微妙に変化していく様子が伺え、いろいろと考えさせられました。そもそもドキュメンタリーとはどんなものだと、おふたりは考えていらっしゃいますか?
竹林 僕はドキュメンタリーでもけっこう我流なことをしているので、僕がドキュメンタリーを語るのはどうかとは思うのですが……。
観る人、観られる人の双方にとって、良い意味があるということ。それが、ドキュメンタリーで大事なことなんじゃないかと、僕は思っています。この『大きな家』は、出演した人が、「この映画に出て良かった」と思えるようにと考えながら、記録し、編集しました。
子どもたちは原則18歳になると施設を出て、自分の力で生活していくわけですが、そこで苦労を味わうことも多いそうです。そんな時、彼らがこの映画を観て、自分には前に進む力がある、周りの人に応援されながらここまでやってきたんだと思い返せる、人生のお守りになるような作品になればという想いで、つくりました。
齊藤 ドキュメンタリーで被写体になった経験から言うと、ドキュメンタリーでは、時としてカメラが武器に見えることがあるんですね。自分を狙い、襲い掛かる武器に。だけど、竹林さんのつくる現場は、まったく違う。心を許せるというか、むしろ、独白しているような気分になる場所なんです。そう考えるとドキュメンタリーは、切り取り手の、被写体との心の距離がそのまま映ってしまう、ある種残酷なコンテンツなのかもしれません。
でも、竹林さんは、映画のサビになるような部分を半ば強制的に導いたり、過度な期待をして、それを待ったりしていない。それは、フィクションには辿り着けない境地だと思います。いわば竹林監督の作品は、ドキュメンタリーというより“竹林”というジャンル。僕は、そう思っています。
竹林さんが言うように、この作品は、被写体となった子どもたちにとって、これからを生きるお守りになると確信していますし、それこそが、観客の心に一番響くのではないかと思います。
利益ではなく、子どもたちの未来を優先した『大きな家』。それは、ある種社会の歪みによって生まれた問題を、自分ごととして抱えなければいけない彼らへのエールでもある。後編では、社会の理不尽さや将来の不安を抱く子どもたちに、我々大人はどう対峙すべきか。映画制作を通じて、齊藤氏と竹林氏が感じたことを明かしてもらう。
衣装クレジット(齊藤氏):セットアップ・スニーカー(ワイズフォーメン/ワイズ プレスルーム TEL:03-5463-1540)、シャツ(ヨウジヤマモト/ヨウジヤマモト プレスルーム TEL:03-5463-1500)