第4回に渡ってドムドムハンバーガーの経営者・藤崎忍の半生を紹介してきた本連載。最終回では、藤崎が働くきっかけにもなった夫の介護生活や、現在、墨田区の区議会議員を勤める息子との親子関係について深掘りした。 #1/#2/#3
人生のどん底と夫の闘病生活
1990年代には日本全国に約400店舗を構えていたドムドムハンバーガー。しかし、2017年の時点では36軒にまで店舗が減少、ハンバーガーチェーンの“絶滅危惧種”とまで呼ばれるほど業績不振に陥っていた。
そんな状況のなか、社長就任からわずか3年という短期間で、3年連続黒字という驚異の復活劇を見せた藤崎忍。決断力のある経営者に見えるが、藤崎は意外にも自らのことを“ウジウジした性格”だと話す。
「私、こう見えてウジウジしていることが多いんです。この前も、社員と言い合いになって『もういい!』と途中で帰ってしまい。帰り道で失礼なことをしたなと反省しながら、ずっとウジウジと落ち込んでいました。
でも、メンタルは強い方だと思います。一度、人生のどん底を経験しているので。どんなに辛いことがあっても、明るく笑っているほうが楽だなと思えるようになりました。何事も前向きに受け止められるくらいには」
藤崎が語った人生のどん底とは、夫が脳卒中で倒れた43歳の時のこと。それは39歳の時に夫が初めて心筋梗塞で倒れた4年後、選挙に再出馬しようとした矢先の出来事だった。
政党から公認をもらい応援者を集めて決起集会を開く数日前。選挙への再出馬に意気込む夫が、脳卒中で再び倒れ、左半身麻痺で身体障害者1級・要介護4の認定を受けた。そんな厳しい状況のなか、藤崎は渋谷109のアパレルショップが経営方針を変えたことで仕事を失うことになる。
「当時は、仕事がなくお金もなかったし、息子もまだ高校から大学に進学するところだったので、本当に最悪の状態でした。でも、働かないと家庭を支えることができないので、ニュー新橋ビルにあった居酒屋で働き始めて。仕事が終わると夫がいる病院にそのまま通う介護とバイトの日々でした。
夫は、政治家として夢を持った人だったので、突然その夢を絶たれてしまったことがかわいそうで。でも、闘病生活に入ってから精神状態が不安定になってしまい、性格が変わってしまった夫の介護をするのは本当に辛かったです。介護をしているなかで、夫と言い合いになることも多くて。
ある日、クルマを運転している時に、そんな夫に対して『優しい人になろう』って思ったんです。今の自分のままで介護をしていたら、自分のことを嫌になってしまうし、夫婦としての道も歩めなくなってしまう。もともとの私が“優しい人”ではないので、夫に会う時はできるだけ優しく接するように努力しました」
そのような時期に、藤崎の心の支えになっていたのが毎日の仕事だった。
渋谷109や居酒屋での仕事は肉体的に辛かった反面、仕事に集中することで家庭のことを忘れることができ、悩み事から解放される束の間の休息になっていたと話す。
また、夫婦仲を良好に保つために、週に1度は夫婦で外食をしていたそう。おぼつかない足取りの夫と一緒に、行きつけの寿司屋などを訪れ、他の常連客とともにたわいもない話をする。そんな何気ないひと時が、夫婦にとって大切な時間だった。
「イベントごとが大好きな夫だったので、結婚30周年の時には赤坂のWakiyaという中華料理のお店に連れて行ってくれて、30本のバラを用意してくれていたんです。
すごく夫婦仲がよかったわけではなく、頭にくることもいっぱいあって。でも、どうにか2015年に夫が亡くなる最後まで一緒に人生を歩むことができました」
申し訳なかった親子関係
一方、介護生活をしながら仕事を続ける藤崎の傍らで、学生生活を送っていた息子との関係はどうだったのだろうか。
「息子が幼い頃は、べったりではないですが、いつも寄り添ってあげていました。でも、中学3年生になった頃に、夫が心筋梗塞で倒れたことで、私が渋谷109のショップ店長として働き始めることになって。それからは本当に申し訳ない母親でした。
毎朝、朝ごはんを食べさせてお昼のお弁当を持たせるんですが、夜は仕事で帰りが遅かったので、私の母に夕食を用意してもらっていて。息子も野球部に所属していて忙しかったし、夫の状態を目の当たりにしていたので、反抗期でしたが親に対する反発などはなかったですね」
当時のことをそう振り返った藤崎だが、野球部だった息子の応援には全力を尽くしていた。
練習のため朝4時に家を出る息子を、最寄り駅から離れた御茶ノ水駅までクルマで送り、始発の電車に乗せてから自分の仕事に向かう日々。しかし、そんな毎日に藤崎は幸せを感じていたという。
「本当はもっとちゃんと面倒を見てあげたかったんです。プロ野球選手は、小さい頃から英才教育を受けていた人も多い。でも、うちは忙しかったから、親が素振りを見てあげることすらできなかった。いつもかわいそうだなと思いながら、できるところは応援していました。
だけど、親として言うべきことは言うようにしていました。野球で疲れて帰ってきて態度が悪かったりすると、『じゃあ辞めれば?』と言って絶対に許しません。
応援することと、甘やかすことは違う。それは会社でも同じことです。従業員のことはいつも応援しているけれど、その人にとってマイナスになることは注意しています」
今も続いている親子二人三脚
現在は、墨田区の区議会議員として活動している息子と良い関係を築いているという藤崎。
最近、シングルファーザーになった息子のために、休みの日には孫の面倒を見ている。時には、政治家として働く息子と、しばし口論になることもあるという。
「この前も、20代くらいの男性が夫婦で一緒に子育てをしていると聞いて、素晴らしいと思って息子に話したんです。そしたら、『お母さん、それは違うよ。もう社会が子育てをするくらいの勢いでないと、お母さんみたいに女性は働けない』と言われて。
さらに、『お母さんたちの世代から核家族化が進んで、近所づきあいとかもなくなったんだよ。それなのに、今のお嫁さんはって言うじゃん』って。すごい生意気なことを言うので、聞いていて腹が立ったのですが、最後には『確かにそうだ』と納得してしまいました(笑)」
どんなに苦しい時も、親子で二人三脚のように歩んできた2人。お互いのことを一番間近で見てきたからこそ、ともに応援し合い、言いたいことを言い合える。そうやって生きてきた親子は、いつしか母と子の強い絆を結んできた。
「実は、こうやってメディアの取材を受けるようになったのも、息子のひと言があったからなんです。初めて自分の本を出版することになった時に、これまでのキャリアを話すと多くの人を巻き込んでしまう。それで嫌な思いをする人がいたらと思って、人前に出ることを躊躇していたんです。
でも、息子が『受けた仕事をやってきて今があるんだから、いただいた仕事はしっかりやったらいいじゃん』と言ってくれて。それがすごく後押しになりました。家庭のことを話すと、息子に迷惑をかけるかもしれない。でも、そこは腹をくくって私を応援してくれた。だから、この仕事も彼のおかげなんです」
明るい笑顔でそう語った藤崎は、取材が終わると店で食事をするお客に深くお辞儀をしながら、また次の仕事に向かっていった。
人生には自分でどうすることもできないことがたくさんある。しかし、そんななかでも自分にできることを見つけていく。そんな藤崎の挑戦は、まだ始まったばかりなのだろう。