赤字続きだったドムドムハンバーガーをV字回復させた商品開発の秘策などを紹介したインタビュー第1回。続く第2回では、経営者・藤崎忍が生まれ育った墨田区向島での幼少期のエピソードや、経営者としての原点となった渋谷109での体験を紐解いていく。 #1/#3/#4 ※順次公開。
幼少期に育まれた経営者としての素地
就職経験ゼロの専業主婦から渋谷109のショップ店長になり、新橋で居酒屋を経営した後、ドムドムフーズサービスの代表取締役社長に就任した藤崎忍。
そんな藤崎が生まれたのは、東京都墨田区の向島にある1軒の煎餅屋だった。
地方議員だった祖父を持つ藤崎の家庭は、父親も都議会議員を務めた筋金入りの政治家一家。母方の家業である煎餅屋のほかに、不動産屋や保険代理店なども営んでいた、まさに下町の“なんでも屋”のようなビジネスモデルである。
「1階に煎餅屋と事務所を構える建物の4階に、兄弟を含めた家族6人で生活していました。幼い頃からよく煎餅屋の店頭に立つ母を手伝ったり、選挙に出馬する父の活動を応援したり。
お正月には、隅田川沿いにある『隅田川七福神』で煎餅を売っていて、家族みんなで煎餅を商品箱に詰めるんです。いくつ箱に詰められたかでお年玉の金額も変わってくるので、兄弟全員で必死に家業を手伝っていました」
そんな藤崎の家庭は、父親が政治家だったこともあり、地域住民との関わり合いが盛んだった。近所の大人が自宅の居間にいることも多く、自然と人とのコミュニケーション能力が身についたという。
「常に人と触れ合う家庭環境だったので、コミュニケーションが上手く取れないと生きていけない状況でした。
両親は忙しくて子供の相手をしている暇がなく、よく近所の人に面倒を見てもらっていて。夏休みの宿題に彫刻の課題が出た時は、家の隣にあった床屋のおじさんに手伝ってもらいました(笑)」
家業である煎餅屋で働きながら兄弟4人を育て上げた母親は、子供たちとゆっくり話をする時間がないほど、昼夜を問わず仕事や家事に明け暮れていた。
家計を支えるために日々奮闘していたそんな母親の姿は、仕事に労を惜しまない現在の藤崎の働き方に大きな影響を与えたのだとか。
「母は、朝から晩までずっと働いていたので、中学生ぐらいの時から夕食後の後片付けは、私がやることになっていました。
高校生になった頃には、大学生だった兄たちがよく部活の友人を家に呼んでいて、その料理を作るのも私の役目。母に教わりながら覚えていくうちに、自然と料理が得意になりました」
そうして鍛えられた藤崎の料理の腕前は、44歳で開業した居酒屋「そらき」で見事に開花。自ら考案した創作料理の美味しさが評判となり、ドムドムフーズサービスで商品開発の仕事をするようになり、結果として、今日の代表取締役社長としての役職につながった。
渋谷109での“衝撃”から学んだこと
その後、青山女子短期大学を卒業した藤崎は、21歳の時に地方議員だった藤崎繁武と結婚。24歳で第一子に恵まれ、専業主婦として家事をこなしながら夫の政治活動も支えていた。
しかし、藤崎が39歳の時に夫が選挙で落選、さらに心筋梗塞で突然倒れ、藤崎は人生初の就職を余儀なくされる。そんな時に出合ったのが、学生時代の友人の母親が経営していた、渋谷109のアパレルショップ「MANA」だ。
それまで就職したことがなかった藤崎だったが、突如として従業員を抱える店長として抜擢され、多くの若者が集まる渋谷の街で“セカンドキャリア”を歩むことに。
「当時は、毎日が無我夢中でした。自分よりも20歳近く年の離れた女の子たちに、レジの打ち方から教えてもらって。でも、私のやるべきことは服を売ること、そしてその服を着るのは彼女たちのような若い女性。だからこそ、若い従業員の感性を尊重するようにしていました。
逆に、彼女たちからネイルのやり方を教えてもらったり、一緒にカラオケに行ったりプリクラを撮って遊んだり、それまで経験してこなかったことができました。
時には、ドレッドヘアーの子に『編み込みをすると1ヵ月くらい髪を洗えないんです』と言われて、あまりの衝撃に初めは理解できなかったこともありました(笑)。
他にも、ローライズのパンツを履いている従業員が、棚の下の方にあるものを取ろうとした時に、中の下着が見えていたんです。それで、『ちょっと!』って声をかけたら『わざとですよ!』と笑われて。
そんな日々を過ごしているうちに、小さいことにあまりこだわらず、なんでも吸収したほうがいいということに気づいたんです」
あえて“挑戦しない”という選択肢
これまで、ドムドムハンバーガーの新商品の開発や、ECサイトでのグッズ販売など、新しい企画や事業に積極的に取り組んできた藤崎。
なにか斬新なアイデアを実現する時は、「目的に対してコンセプトさえ崩してなければなんでもやれる」という言葉を胸に果敢に挑んできた。
しかし、そんな挑戦心に溢れる藤崎にも、あえて“挑戦しなかったこと”があるという。それが、コロナ禍でのデリバリーサービスの導入だ。
コロナ禍で多くの飲食店が経営難に苦しんでいた頃、ドムドムハンバーガーもその例外ではなかった。しかし、不要不急の外出や人との会食が制限されたことで、多くのファストフード店がデリバリーサービスを始めるなか、藤崎は断固として宅配での商品販売を拒否していたという。
「デリバリーサービスを始めると、配達する人が店まで受け取りに来るので、必然的に店舗の人口密度が上がってしまう。そうなると、せっかくお店まで食べに来ていただいたお客様に、不安な思いをさせてしまうと考えたんです。
また、従業員がコロナに感染するリスクを抑えるために、本社の人間が店舗に行くことを禁止していて。デリバリーサービスの導入のために指導員を送ることで、店舗にいる従業員を混乱させるよりも、今までのやり方を続けたほうがいいと決心しました」
そんななか、従業員の安全を第一に考えていた藤崎は、日本全国でマスクの品切れが叫ばれていた状況を目にし、ドムドムハンバーガーのオリジナルマスクを考案。
従業員が安心して仕事をできるように、各店舗にドムドムハンバーガーのロゴマークが入った特製のマスクを配布した。
さらに、マスク不足で困っている人のために、店頭でのオリジナルマスクの販売も開始。SNSで話題になったこともあり、お店にはマスクを求めて訪れたお客が長蛇の列をなすようになった。
そんな状況がきっかけとなり、店舗の人口密度が高くなることを恐れた藤崎は、新たにドムドムハンバーガーの公式ECサイトを開設。オリジナルTシャツやストラップなどのグッズ販売まで事業を拡大した。
その結果として、多くのファンを生み出したドムドムハンバーガーは、コロナ禍という厳しい状態のなかでも、売り上げが前年比の109%を突破。2021年3月期の決算では、藤崎が社長に就任して初めて黒字化に成功したという。
「コロナ禍は、とにかくお客様と従業員の安全を考えていたので、売り上げのことはあまり心配していませんでした。もちろん、会社は数字で動いているので売り上げのことは意識していたのですが、ただ闇雲に収益を追うのではなく、自分にできることを見つけて少しずつ解消していくような感じです。
目の前にある課題をひとつひとつクリアしていくうちに、どんな大きな困難も乗り越えられてくる。常にそう考えているので、仕事で過度なプレッシャーを感じることがないんです。だから、コロナ禍もプレッシャーに駆られてというよりかは、自分がしたほうがいいと思ったことをやっていただけで。
居酒屋を経営していた時も、2店舗目をオープンしたのは売り上げを増やしたかったからではなく。せっかく来ていただいたお客様に対して満席を理由に断ってしまうと、これまでの関係が壊れてしまう気がして怖かったんです」
目標にこだわるのではなく、お客様との信頼関係を大切にする。それが藤崎にとってビジネスにおいて最も重要なこと。
何事にも“こだわらない心”を持って向き合うことで、企業としてやるべきことが見えてくる。ファストフードチェーンらしからぬ、斬新なアイデアで人々の注目を集めるドムドムハンバーガーは、これからも私たちを楽しませてくれるに違いない。