戦後初の三冠王で、プロ野球4球団で指揮を執り、選手・監督として65年以上もプロ野球の世界で勝負してきた名将・野村克也監督。没後3年を経ても、野村語録に関する書籍は人気を誇る。それは彼の言葉に普遍性があるからだ。改めて野村監督の言葉を振り返り、一考のきっかけとしていただきたい。連載「ノムラの言霊」11回目。
小さな決まりごとを守る
2023年夏の甲子園を見て、長髪の高校球児が多いことに時代の趨勢を感じた。出場49校中、少なくとも7校が丸刈りではなかった。
昔の日本野球には、いろいろな「しきたり」があった。
「水を飲まないで我慢することが精神鍛錬につながる」「肩を冷やさないように水泳は避けたほうがいい」。精神野球的な色彩が濃かったのだ。そのひとつに学生野球の「丸刈り」があった。
今のプロ野球において、西武の髙橋光成と今井達也の両エースが「ロン毛・茶髪・ヒゲ(高橋のみ)」の風貌だ。親会社の株主総会でもその是非が取り上げられ、物議をかもした。
野村克也は「長髪・茶髪・無精ヒゲの厳禁」「時間厳守」を徹底した。そのふたつが「どう野球と関係あるのだ?」と思う人がいるかもしれない。
しかし、「長髪、茶髪、無精ヒゲ」を気にしない人もいれば、不快に思う人もいる。
「プロ野球は人様の前に出る“客商売”なのだから、不快な人が少しでもいるのなら控えなさい」
一般社会における協調性のために最低限の気づかいは必要。どんなに成績がよかろうと、「個性」と「自由」をはき違えてはならないということだ。
しかも、プロ野球選手は超一流を除き、選手寿命は平均8~9年だ。35歳までにはほとんどの選手がユニフォームを脱いで、第2の人生を歩み始める。平均寿命が85歳だと仮定しても、第2の人生のほうがはるかに長い。
「社会の小さなルールを守れなければ、野球上達の小さなルールは守れませんよ」
――野村の真意はここにある。だから「選手育成・再生の達人」と呼ばれたのだ。
野村が起こした「ポカリ事件」とは
最近は、高校部活動の「体罰」や「言葉の暴力」に関して、かなり厳正になっている。
プロ野球において、中日時代の星野仙一監督の「厳しさ」は有名だった。1994年から3年連続首位打者に輝いたアロンゾ・パウエルは、1996年から就任した星野の「愛のムチ」に抗議している。
そんな星野の第一政権下、1987年から1991年の中日で落合博満はプレーしている。落合は2004年に中日の監督に就任した際、「いかなる理由があっても選手に手を上げてはいけない。守れなかった場合は解雇する」との書類をコーチにサインさせた。
他方、リーグ3連覇を達成した広島・緒方孝市監督が、2019年限りで辞任した。2019年の11連敗中に平手で選手を複数回叩いたとして、球団から厳重注意を受けていた。
野村は気力だけを重視する精神野球を嫌悪した。
1954年にプロ入りして、「気力」「体力」「知力」において、どんなに高度な野球をやるのか野村は期待に胸を膨らませていた。
しかし球団指導者は、何かあればビンタ、正座。練習後、「野村ノート」に書く内容は「野球で大事なのは根性だ!」「打てないなら、球にぶつかって死球で出ろ!」「失敗したら営倉(大日本帝国陸軍時代の懲罰房)にぶち込むぞ!」。
プロ野球界に蔓延(はびこ)る暴力と根性論を徹底的に否定していた野村だが、監督時代に実は一度だけ事件を起こしている。「ポカリ事件」だ。
1992年7月5日、優勝争い真っ只中の巨人戦。4対4の9回裏、一死満塁、サヨナラ勝ちのチャンス。打席に向かう荒井幸雄を呼び寄せ、ヘルメットの上から頭をポカリ! とやったのだ。
「集中力に欠けているように見え、ついカッとなってしまった」
この蛮行に対し、「一人の人間に対し、大観衆の面前で申し訳ないことをしてしまった」と本人に謝罪している。
怒るのではなく叱るのだ。叱るとほめるのは同義語だから
人に物事を教えること自体は簡単だ。しかし部下や学生を統制し、一人ひとりの能力を伸ばし、成果を上げるということは難しい。
野村は、国語教員に転じたプロ野球記者にアドバイスを送っている。
「ひとつ言うなら、感情で怒ってはならない。怒るのではなく叱るのだ。叱るとほめるは同義語だから」
「『褒める』と『叱る』は同義語。情熱や愛情がないと、叱っても、ただ怒られているというとらえ方をする 」というのは、野村の有名な名言だ。選手の能力を引き出したい、成長してほしいから、相手のことを考え、愛情を持って叱る。愛情がなければ人は育たない。
余談だが、その元プロ野球記者・教員によると「学生の一番わかりやすい生活の乱れは茶髪、遅刻に顕著に現れた」という。図らずも、野村がいつも言っていた通りだったそうだ。
野村は意外なほど、選手に打撃の直接指導はしなかった。
いくら昔の三冠王でも、若い選手がリアルタイムで自分の打撃を見ていたわけではない。一度直接指導をすれば、「また教えてくれるだろう」と選手は思う。打てなければ、「監督が言ったように振ったが、結果が出なかった」と責任転嫁する。技術習得は苦労して、試行錯誤してこそ身につくものだ。
野村は「こうしたらどうだ。こういう方法もあるぞ」という考え方、方向性は提案する。それが「ID野球のデータ活用」であり、「野村ノート」だった。
すなわち、文章と言葉で理解させ、納得させることで選手を指導したのである。鉄拳制裁による「恐怖」で選手を納得させることは決してしなかった。
野村は言った。
「人材育成の武器であり、道具は言葉なんだよ」
まとめ
時代は変わる。精神野球時代の「体罰」「言葉の暴力」は厳禁となった。若手には「怒る」のではなく「叱る」のだ。「叱る」と「ほめる」は同義語だから。そして、人材育成の武器であり、道具は「言葉」だ。「言葉を若手に理解させ、納得させなさい」と野村は言う。
著者:中街秀正/Hidemasa Nakamachi
大学院にてスポーツクラブ・マネジメント(スポーツ組織の管理運営、選手のセカンドキャリアなど)を学ぶ。またプロ野球記者として現場取材歴30年。野村克也氏の書籍10冊以上の企画・取材に携わる。