長きにわたり十八代目中村勘三郎を追い続けたノンフィクション作家・小松成美が、2007年の伝説のニューヨーク公演をルポした記事を振り返る短期連載、最終回。世界中で人気のトークショー番組「Inside The Actors Studio」のホストを務めるジェームズ・リプトン氏との対談終了間近、突然、リプトン氏は自身の番組の各物コーナー「10の質間」をはじめた。数々のハリウッドスターが名答を残したこの質間に、はたして勘三郎はどう答えたか。※GOETHE2007年10月号掲載記事を再編。掲載されている情報等は雑誌発売当時の内容。 【特集 レジェンドたちの仕事術】
ジェームズ・リプトンから中村勘三郎へあの有名な10の質問
リプトン 私がこの胸ポケットに用意しているものが分かりますか。(取り出して)ほら、このプルー・ペイパー。毎回ゲストにしている恒例の「10の質問」ですが、受けていただけますか。
勘三郎 えっー! あの質問ですか。
リプトン そうです。この質問には心理学的な要素があります。この質問の答えで、あなたがどんな人であり、どんな人生を歩んできたか分かるでしょう。
勘三郎 分かりました。お受けします。
リプトン 好きな言葉は?
勘三郎 好きな言葉は、信じる。
リプトン 嫌いな言業は?
勘三郎 そうだな、つまらない。
リプトン 何に興奮しますか? 何にスリルを感じ、何にかきたてられるか?
勘三郎 芝居ですね。
リプトン じゃあ一番嫌なものは? 最悪だと思うもの。見たくないもの。
勘三郎 戦争かな。月並みだけど。
リプトン アメリカでは月並みではありません。私たちは戦争の当事者として世界に謝罪すべきだと思います。さあ、次ですよ。一番好きな音は?
勘三郎 オルゴールがいいですね。オルゴールが好き。あの音色を聴いていると落ち着くから。
リプトン 嫌いな音は?
勘三郎 ガラスを引っかく音。
リプトン これはポピュラーな答えですね。続いてお待ちかねの質問です。好きな悪態は? 法界坊は悪態ばかりついていましたね「son of a bitch!」と(笑)。
勘三郎 ちくしょう、かな。ちくしょうは、いい言葉でもあるんだよね。最高だってときにも使えるから。
リプトン 自分の職業以外に何をやってみたいですか?
勘三郎 僕の学校の歴史の担当に高橋先生という人がいたんです。その人がすごくいい先生で、「歴史の先生になりたいな」と思った時期がありました。
リプトン 自分に向かない職業は?
勘三郎 裁判官。
リプトン これは私の答えと似ていますよ。私は死刑執行人にだけはなりたくありません。さあ、最後の質問ですよ。もし天国があれば、神様になんと言って迎えられたいですか?
勘三郎 たぶん歓迎されないと思う。
リプトン いや、それは反論します。こんな答えも多いんですよ。「夜8時に主演の芝居の幕が開きますと言われたい」と。俳優は天国でも舞台に上がりたいんですね。
勘三郎 僕は、舞台の上で人をいっぱい殺しているし、平家にもなれば源氏にもなる。貴族もやらしてもらえば泥棒もやる。こんないい加減な商売を神様は許してくれるのかなぁと思うんです。きっと天国になんか行けないよ(笑)。
リプトン ありがとう。とても素敵な答えです。デ・ニーロは、「もし天国に行って神に会ったなら、『ずいぶんいろいろ説明してもらわなきゃならないことがある』と言いたい」と話していました。
勘三郎 「神様に説明してもらいたいことがある」だなんて、やっぱりすごいね、デ・ニーロって。
ジェームズ・リプトン/James Lipton
1926年、アメリカ・デトロイト生まれ。アクターズ・スタジオの名誉学部長にして、作家、詩人の顔も持つ、アメリカ演劇界の重鎮的存在。1994年放送開始の人気トークショー番組「Inside The Actors Studio」では、アクターズ・スタジオの学生を前に、ホストとして多くの映画監督、ビッグスターにインタビューを行う。その真摯なパフォーマンスに満ちた司会ぶりは、ゲストはもちろん、視聴者から圧倒的な支持を受け、番組は世界中で放送されている。
十八代目中村勘三郎/Kanzaburo Nakamura
本名、波野哲明。1955年、昭和の名優と謳われた十七代目中村勘三郎の長男として東京に生まれる。59年、3歳で五代目中村勘九郎として歌舞伎座『昔噺桃太郎』の桃太郎役で初舞台。以後、江戸の世話狂言から上方狂言、時代物、新歌舞伎、舞踏まで、どんな役でも圧倒的な芸をみせる。2005年、十八代目中村勘三郎を襲名。2012年死去、享年57。