ニューヨークにあるアクターズ・スタジオは、数多くの役者を輩出する、アメリカでもっとも権威のある俳優養成所。そして、ここの名誉学部長であり、世界中で人気のトークショー番組「Inside The Actors Studio」のホストを務めるのがジェームズ・リプトン氏だ。日本では「アクターズ・スタジオ・インタビュー」のタイトルで長年NHKで放送され、知る人も多いはず。そして、このリプトン氏こそ、番組のファンを自負する十八代目中村勘三郎が実際に会って芝居について語り合いたい、と思っていた人物。彼に確かめたかったのは、歌舞伎はこれからどこに向かうかだった——。長きにわたり勘三郎を追い続けたノンフィクション作家・小松成美がルポした、ゲーテ伝説の企画を振り返る。第3回。※GOETHE2007年10月号掲載記事を再編。掲載されている情報等は雑誌発売当時の内容。 【特集 レジェンドたちの仕事術】
破廉恥でショッキング。でも歌舞伎には人間が描かれている
3年振り(前回のニューヨーク公演時以来)に再会したお二人にたっぷりとお芝居の話をしていただきます。まず、なぜ勘三郎さんは、海外公演の場所をニューヨークに決めたのですか。
勘三郎 今から28年ほど前、24歳だった僕は亡き親父と、ビーコン・シアターで『連獅子』を舞ったんです。そのときのニューヨークのお客さんは、皆さん前のめりになって観てくれたんですよ。椅子の背から背中を離している。そのほかの都市も回ったんだけど、劇場にいて舞台を観る姿勢がまったく違っていた。だから、「勝負するなら、ニューヨークだ!」と決めていました。
——そのときに素晴らしい出会いがあったとか。
勘三郎 当時のアクターズ・スタジオの校長先生であるリー・ストラスバーグの家に招待してもらったの。そこでロバート・デ・ニーロと、ピーター・セラーズ、アル・パチーノに会ったんです。デ・ニーロが僕に「今、日本でどんな映画が流行ってる?」と話しかけてきて。それで僕は「『ロッキー』が大ヒットしています。面白かったですよ」と答えたら、彼、真剣に怒っちゃった。それでね、自分を指さしながら「俺の『レイジング・ブル』を観てくれよ!」って力説するわけ。
——真剣に怒っていた?
勘三郎 そうなんだよ。その時に僕は思ったのね。まだ、若造の僕にハリウッドスターが真剣に向き合ってくれている。その姿に感動して、格好いいなと思った。
リプトン 確かにデ・ニーロは精悍で正義感の強いひとかどの俳優ですね。
勘三郎 パーティの最後、みんな歌舞伎に興味があるって言ってくださったんで、「ぜひ観に来てください」と言ったら、ほとんどが仕事でNGだったんです。だけど、デ・ニーロだけがね「OK!」と。彼は自分で切符を買って本当に観に来てくれたんですよ。2日後、楽屋に花を持って現れた。デ・ニーロのおかげでさらにニューヨークが好きになったんです。
リプトン とても素敵な話ですね。
伝統に胡坐をかく、そんな風潮が歌舞伎を衰退させる
——リプトンさんは『法界坊』をご覧になってどのような感想を持ちましたか。
リプトン オーディエンスは、完全に魅了されました。『法界坊』はエキゾチックなだけでなくミステリアスなだけでなく、大きな世界を包括している。私の生涯においても、あまり観られないレベルの高い舞台でした。芝居の場面、ひとつひとつを覚えていますよ。今も寝る前にはいろんなシーンが蘇ってきて、きっと10年後も忘れることがないでしょう。
勘三郎 ありがとうございます。3年前、初めてお目にかかったとき、リプトンさんは「私は白い化粧はしていないけど、君のハートは受け止めたよ」と言ってくれた。長い通しの芝居をニューヨークのような場所でやることは本当に冒険でした。一幕だけ、つまり『ロミオとジュリエット』ならばバルコニーのシーンだけをやって、「これが歌舞伎です」というのは違うと思ったから。通し狂言をやることを決めたけど、それが理解されるかどうか、100%の自信はありませんでした。リプトンさんのあの言葉が、今回の公演の支えだったんです。
リプトン ニューヨークで歌舞伎を観ることができたことに感激しています。今回、『法界坊』をニューヨークで上演したのは聡明な決断だったと思いますよ。3年前は歌舞伎のルーツにまでは思いが至らなかったのですが、今回は歌舞伎の根元が分かったような気がします。歌舞伎はつまり庶民のものであり、役者はアーティスト・ピープル(庶民の芸術家)だったんですね。
勘三郎 その通りです。
リプトン 東洋には歌舞伎があるように西洋にはコンメディア・デッラルテがあります。15、16世紀にイタリアで誕生した即興演劇ですが、登場するキャラクターごとに特有の名前、性格、化粧や衣装があります。例えばアルレッキーノはペテン師、ブリゲッラは守銭奴の小悪党でアルレッキーノの相棒、インナモラーティは恋をする若者たち、パンタローネは金に強欲な老商人……。そして、芝居の主人公は皆、上流階級の者ではなく 召使いたち なんです。登場人物たちは、おのおの特有の仮面をつけ、特徴的な演技をします。まさに法界坊はアレルッキーノですね。イギリスで言えばパンチ。
勘三郎 わあ、本当に似ていますね。
リプトン 当時、召使いたちが上流階級を揶揄するこの芝居に人気が集まるんですが、フランスの王様が危険思想だと言って、パントマイムにしてしまうんですよ。台詞を禁止し、サイレントにしてしまう。それでも人気は決して衰えなかった。アルレッキーノを演じる役者は、おのおのメモ帳にいろんな自分だけのギャグを記していたそうですよ。
勘三郎 同じアルレッキーノでも、演じる者によって個性が出るんですね。そこも歌舞伎と似ています。歌舞伎も僕の法界坊と他の役者さんの法界坊では、まるっきり違いますから。
リプトン そうでしょうね。私自身、『法界坊』という戯曲を観てコンメディア・デッラルテとの共通点をたくさん認識しました。ともに卓越した技術手法があり、政治的なメッセージも込められている。そして破廉恥で、言葉も結構汚くて、ショッキング。でもそこには人間が描かれている。勘三郎さんの演じた破戒僧は、最上のアルレッキーノでした。
勘三郎 コンメディア・デッラルテ、ぜひ観てみたいですね。その芝居、今でもどこかで上演されているんですか。
リプトン ええ、イタリアで観られます。
——勘三郎さんはリプトンさんをはじめ、ニューヨークの観客の反応をどう受け止めていますか。
勘三郎 魂で歌舞伎を楽しんでくださっている。それが舞台にまで伝わってきて本当に嬉しいんですよ。残念ですが、今の歌舞伎は伝統芸能という立場に甘んじていて、表現としての自由をなくしているように思うんです。だから、若い人たちは能と歌舞伎の区別がつかない。僕は、まず芝居を楽しんでほしい。大昔の芸能だと決めつけないで劇場に足を運んでほしいんです。リプトンさんはもちろんですが、多くのアメリカのお客さんは、先入観なしに観てくださるでしょう。伝統だけで有り難がるような風潮は、歌舞伎を衰退させるだけだと僕は思う。「歌舞伎は退屈」なんていう先入観を吹っ飛ばすような風を起こし続けたいし、そのエネルギーをニューヨークでもらいましたよ。
ジェームズ・リプトン/James Lipton
1926年、アメリカ・デトロイト生まれ。アクターズ・スタジオの名誉学部長にして、作家、詩人の顔も持つ、アメリカ演劇界の重鎮的存在。1994年放送開始の人気トークショー番組「Inside The Actors Studio」では、アクターズ・スタジオの学生を前に、ホストとして多くの映画監督、ビッグスターにインタビューを行う。その真摯なパフォーマンスに満ちた司会ぶりは、ゲストはもちろん、視聴者から圧倒的な支持を受け、番組は世界中で放送されている。
十八代目中村勘三郎/Kanzaburo Nakamura
本名、波野哲明。1955年、昭和の名優と謳われた十七代目中村勘三郎の長男として東京に生まれる。59年、3歳で五代目中村勘九郎として歌舞伎座『昔噺桃太郎』の桃太郎役で初舞台。以後、江戸の世話狂言から上方狂言、時代物、新歌舞伎、舞踏まで、どんな役でも圧倒的な芸をみせる。2005年、十八代目中村勘三郎を襲名。2012年死去、享年57。