慶応義塾大学大学院教授の傍ら、コメンテーターや企業顧問など多方面で活躍する岸博幸氏が自身のTwitter(現X)で、多発性骨髄腫に侵されていることを公表。治療に専念すべく8月末まで都内の病院に入院し、休養することを明かした。入院中の岸氏にオンライン取材を敢行。連載第1回。
5年ぶりの人間ドックで「血液のがん」が発覚
入院から5日目にあたる2023年7月25日午後、PC画面に映る岸博幸氏は、午前中の治療で首筋にカテーテルを指したままという姿ではあったものの、いつもと変わらぬ落ち着いた口調で、病名が発覚するまでの経緯を話してくれた。
「去年(2022年)の半ばくらいから疲れやすくなったなと感じてはいたんですよ。テレビの収録や講演会で地方に行くと、帰りの新幹線や飛行機の中でぐっすり寝込んでしまうことが増えて。でも、もう60歳ですからね。この疲れは、年のせいだろうと思っていたんです。収録や講演はものすごい集中力が求められるので、疲れるのも当然だろうと。
ただ、それにしても疲れがひどい。それで12月に入った頃かな、一度人間ドックでしっかり検査した方がいいという気になったんです。もう5年も受診していないし、ちょうど知り合いから評判のいい医療機関を教えてもらったところだったので」
岸氏が実際に人間ドックを受けたのは今年1月上旬。2日間の日程だったが、初日に血液疾患があると告げられ、血液内科の専門医に診てもらうよう勧められた。岸氏はすぐさま自身が教鞭をとる慶應義塾の系列で、血液内科では日本トップクラスとされる慶應義塾大学病院に検査の予約を入れる。そして、人間ドックの10日後、慶應義塾大学病院を受診したその場で多発性骨髄腫という病名を告げられたのだ。
不整脈を起こし、いつ倒れてもおかしくない!
「血液検査の数値が、とんでもなく異常だったそうです。それで追加の検査をするまでもなく、多発性骨髄腫だと判明しました。ショックだったか? うーん、正直それはなかったですね。むしろ、主治医から『疲れてすぐに寝てしまうのは、年のせいではなく、この病気による貧血のせいだ』と指摘され、なるほどと納得したというか……。治療方針もしっかり示してもらえたから、それほど不安も感じませんでしたね」
多発性骨髄腫は、血液中に存在し、免疫を司っている形質細胞が悪性化する血液のがんの一種。骨折や貧血、高カルシウム血症や腎臓機能の低下などを引き起こし、男性の罹患率は10万人に5.8人とされる珍しい疾患である。オンライン取材で、病名発覚までの経緯を淡々と説明する岸氏だが、実は慶応病院での診察時、主治医からは「今すぐ入院しないと危ない」と告げられるほど病状は深刻だったそうだ。
「『こんな体の状態で今まで通りに仕事を続けたら、不整脈を起こし、いつ倒れてもおかしくない。今日にでも入院して、治療を開始すべきだ』と言われました。でも、2月は休みがほとんどないくらい忙しかったし、テレビや講演会の仕事を直前キャンセルするのは難しい。それで、入院は3月まで待ってほしいと頼んだんですけど、先生からは『命に関わることだから』と、強く反対されて。そうは言っても、仕事を放り出すわけにいきませんからね。自分の状態が相当危ないことは理解しましたけれど、入院時期だけは譲れませんでした」
最終的には、岸氏の意向を尊重し、3月になってから入院することに決定。それまでは薬と注射でなんとか乗り切り、すでに予定されている仕事をこなしつつ、3月はスケジュールを空けるように調整をはかった。
「今思い返しても、一番大変で、ストレスフルだったのは2月ですね。倒れたらおしまいだとわかっていたから、体調を気遣いながら、ギリギリ踏ん張ったという感じです。週に1回は注射と体調チェックのために病院に行き、薬をしっかり服用し、生活習慣も改めました。それまで食事は1日1回かせいぜい2回、水分もあまりとらなかったし、睡眠時間も少なかったんですよ。それでは体にいいはずがない。食後に薬を飲まないといけないこともあって朝昼晩と食べるようにし、水分も頻繁に取って、なるべく眠るようにして。我ながら健康的な生活に変わりましたね。ただね、たばこだけはやめる気はなかったな(笑)」
体調を整え、最初の入院に臨んだ岸氏。
次回(8月15日10時公開予定)は、多発性骨髄腫の治療について。