2020年、初めて書いた小説、『わからないままで』で第52回新潮新人賞を受賞し、デビュー3作目となる『息』が、本年度の三島由紀夫賞の候補作となった小池水音氏。その最新作は、山田洋次監督がメガホンをとり、国民的スター・吉永小百合が主演を務める映画のノベライズだ。小池氏にとって新たな一歩となった、その挑戦について語ってもらった。 #1#2
最新作は、山田洋次監督の映画『こんにちは、母さん』のノベライズ
日本映画界の巨匠、山田洋次監督の90作目となる新作映画『こんにちは、母さん』。東京の下町を舞台に、夫に先立たれ長年ひとりで暮らしてきた母と、妻と娘との関係に悩む息子を中心に、家族とは何かを問いかける作品のノベライズが、小池氏の最新作となる。
「プロデューサーの方からお声がけをいただいたのですが、はじめはとても悩みました。まず、『男はつらいよ』をはじめ山田洋次監督の作品を長く、深く敬愛してきたので、あまりにも恐れ多かった。それに、いわゆる純文学の小説を書いてきた自分が、果たして映画作品のノベライズをできるのだろうかとも思いました」
しかし、作品のテーマが家族であることと、恋をした母と仕事に悩む息子、大学になじめない孫というシチュエーションを聞き、「自分が書けることがあるかもしれない」と、心を決めた。
小説を書くこととノベライズはまったくの別もの
ノベライズを手がけることが決まってからは、脚本を手に、撮影現場にも足を運んだ。脚本にははっきりと書かれていない登場人物の想いや意図を、山田監督が現場で出演者に伝えるのをメモし、出演者の表情や動作も観察。それらを加味したうえで仕上げる映画のノベライズは、基本的には自分の中だけで構築する小説とは、まったくの別ものだったという。
「これまでの小説では、登場人物のセリフでも『』(鉤括弧)を使わず、地の文と連続させる書き方が多かった。心情も描写を通して表現することが多いので、そもそも登場人物同士の会話もあまり出てきません。でも、ノベライズならば、映画内でのセリフのやりとりを大切にしたい。自分の新しい文体を探し出すような挑戦でした」
何より悩んだのが、現場の空気感をとりこむ匙加減だ。監督が出演者に伝えたこと、出演者自身が表現したこと、そのすべてを文字に起こしてしまうと、小説としては描写し過ぎになってしまう。また、映画では細やかな説明が不要なエピソードも、小説ではしっかり描かないとリアリティが伝わらないケースもある。山田監督の世界観を生かしながら、小説家として何をプラスし、何を省略するか。それをひとつひとつ検証する作業になった。
「山田監督からは初めに、『一人称にしてみるのはどうだろう?』と具体的なご提案をいただきました。映画はカメラという三人称の視点から描かれるものですから、いち登場人物の視点に絞ることで、ノベライズならではの余白が多く生まれてきます。第一に、この映画に込められた本当に豊かなものを、読むことで追体験できること。その上で、ノベライズならではのものを味わっていただくこと。広い意味でのエンタテインメントについて、書きながら考えたこの機会は、小説家として貴重な経験になりました」
そう言った後、小池氏は現場での忘れられないエピドードを明かしてくれた。
「なるべく邪魔にならないようにしながら、こそこそとメモを取っていた時に、吉永小百合さんが『お仕事のこと聞きました。がんばってください』と声をかけてくださいました。自分は映画そのものに関わる立場ではないのですが、この素晴らしい作品を小説にさせていただく身として、全力を尽くしたい、恥じないものにしたいと、思いを新たにしました」
大監督から薫陶を受け、大女優からエールをもらった小池氏。最終回(5月11日公開予定)は、彼にとって小説家とは何か、そして、“仕事”に対する想いについて話を聞く。