2020年、初めて書いた小説、『わからないままで』で第52回新潮新人賞を受賞し、デビュー3作目となる『息』が、本年度の三島由紀夫賞の候補作となった小池水音氏。将来を嘱望される小説家は、いかにして生まれ、どこへ向かうのか。純文学界期待の新星に、いち早くインタビューした。
50代か60代で小説を出せればと思っていた
1968年に創設され、中村文則氏や田中慎弥氏など日本を代表する作家を多数輩出してきた新潮新人賞。3年前、文学賞初応募にして見事受賞を果たしたのが、小池水音氏だ。
「大学時代から、50代か60代で小説を出せるようになれればという気持ちは漠然と抱いていました。そうなるには20代のうちに何か書いておかないといけないだろうと思い、1年くらいかけて完成させたのが、受賞作の『わからないままで』です。2019年の1月頃から書き始めたのですが、平日は仕事をしているので、書けるのは主に休日。年末にようやく形がまとまってきたので、3月末締め切りだった新潮新人賞に応募したのですが、思いがけず賞をいただけ、とても嬉しかったですね」
処女作となった『わからないままで』は、端正で美しい文章とともに、その独特な構成が話題となった。主な登場人物は、ひとりの男と、その妻と息子、そして、男の姉の四人。最初の章には、「父親」と「息子」が登場し、それから約10年後を描いた第二章では、妻と別れたその父親を「男」と表記。第三章は、少年だった頃の男の話が、姉を主体に「弟」として綴られる。その後の章でも同様に、固有名詞は一切出てこず、時間が行ったり来たりしながら、男と妻、息子、姉それぞれの視点で物語が展開される。
視点も、時間も、章ごとに変わる独特の手法。それは読み手を困惑させるどころか、想像をかきたて、読むことのおもしろさを深めてくれる。そうした“効果”を狙ったのかと思いきや、「その時の僕には、この書き方がしっくりきただけ」と、小池氏。
「最初は、“僕”という一人称を使っていたのですが、書いているうちになんだか引っかかってしまって。それで、“父親”とか“男”という人称に変えたところ、しっくりときたんです。時間が行き来することについても同じで、最初の章で出てくる父親の10年後を次の章で描いてみたら、物語がすっと動き始めてきた。章ごとに、視点も、時間も変わることが、この作品にはなじんだのだと思います。
固有名詞をつけなかったことに狙いがなかったわけではありませんが、感覚的なことがやはり大きな理由でした。例えば、“タケシ”みたいな名前をつけてしまうと、実在の人物を思い浮かべたり、その名前が持つイメージに引っ張られたりと、名前にまつわる情報が当時、求めていた読み心地の妨げになると感じたんです。選評や書評などで、固有名詞をつけていないことが結構注目されていたので、名前がないこと自体も“情報”として入ってしまうんだなと気づかされました」
テーマに据えたのは「自分の奥から取り出した一番大切なもの」
綿密なプロットを立て、戦略的に“仕掛け”を施すのではなく、自分の内から湧き出るものが、一番自然にしっくりくる形で言葉を紡ぐ。それが、小説家・小池水音の現在の在り方なのだろう。こちらの質問に、誠実に、丁寧に答えてくれる人柄同様、創作の姿勢も、まっすぐという印象を受ける。
「新人作家なので、一作一作が勝負だという気持ちはもちろんありますし、世の中がどんなものを求めているかも意識はしています。でも、意識したからといってどんなものでも書けるわけではありませんし……。書く前は、近未来SFでも何でも書ける気がするんですけれどね(笑)。
だから今は、自分に何が書けるのかを、探りながら書いている感じです。2作目は、時系列で話を展開し、3作目では、主要な登場人物に苗字と名前という固有名詞をつけるなど、いわゆる小説の形式を一作ごとに確かめつつ進んでいます」」
デビュー作に次いで発表した『アンド・ソングス』は、シンガーとして注目されるものの、病によって“歌うための声”を失ってゆく女性の半生を、2022年に上梓した『息』は、10年前に自死した弟への想いを抱え続ける女性と、それぞれの形でその死に苦しんできた両親を描いた。『わからないままで』も含め、この3作に共通するのは、“大切な何か”の喪失、そして家族という存在だ。それは、今の小池氏にとって「自分の奥から取り出した、一番大事なもの」だという。
「長く書き続けていきたいと思ってはいますが、この先小説家として続けられるかどうかはわかりません。もしかしたら、打席に立てるチャンスは限られているのかもしれない。ならば、まずは自分がやるべきことを真正面から取り組もうと考えた末、行きついたのが、近しい人との別れであり、家族というテーマでした」
そのテーマは、小池氏自身の体験から生まれたものだ。次回は、その体験について語ってもらおう。