紀里谷和明にはプライベートやオフの時間がないという。起きている時間は何をしていても、常に頭の中で創作が止まらないからだ。今回は紀里谷氏の“人生編”として、これまでの話から未来の話までお届けしたい。ゲーテ統括編集長の舘野晴彦が、映画監督の仕事に身を捧げた、紀里谷和明の人生観に迫った。動画連載「2Face」とは……
“喜び”というものは、“苦しさ”がないと訪れない
紀里谷の映画監督としての道のりは、順風満帆とは言い難いものだった。2003年に初監督作『CASSHERN』を発表後、日本映画界に対する批判的な発言が物議を醸し、事実上日本映画界から追放される。その後、ハリウッドから大作映画のオファーが来たものの、リーマンショックで企画は立ち消え。しかし紀里谷は諦めず、2009年に『GOEMON』で復活する。映画にはどうしても離れられない魔力のようなものがあるのだろうか。
「それは事実で、やはり喜びを感じられるんですよね。多分多くの人たちが、仕事において"楽しさ"は感じられても、"喜び"を感じられてないと思うんです。その喜びというのは、苦しみがないと訪れないんです。スポーツ選手の人たちもそうですよね。たくさんの苦しさを経ての、一瞬の喜びに魅了されている。ある種の病気だと思います。寝ても覚めても映画のことを考えているので」
これまでに4本の長編映画を監督した紀里谷は、若手からベテランまで、多くの俳優たちと仕事をしてきた。その中で出会ったプロ中のプロとの仕事も、彼が映画に魅了される理由の一つだという。
「本番が始まるときに、『よーい、アクション』と言います。お芝居が終わったら『カット』と言います。監督の仕事というのは、『カット』と言った後に『じゃあ、もう1回いこう』と言うか『OK』と言うか、その2択しかないんです。『もう1回』と言うなら何かが違うわけだから、役者に『もうちょっとこうしてください』と指示しなきゃいけない。それは僕の主観なので、非常に曖昧なものなんですよ。極めて微妙なミリ単位以下の話を、ちゃんと理解できるかどうか。そしてそれを実行するには、ものすごい技術が必要なんです。モーガン・フリーマンのようなレベルの人たちというのは、それを0・何ミリ単位で刻んでくる。『こういう領域があるんだな』というものを、見せていただきました」
紀里谷は『世界の終わりから』を最後に、映画監督を辞めると宣言した。それは、作品からも伝わる絶望からなのか? それとも一旦クリエイティブから離れたいというリセットなのか?
「そんな簡単には言えないことで。自分の中で、ものすごく揺れ動いているのは確かです。本当に愛しているんですよ。芸術を、映画を、つまりはものづくりを。本当に愛していることではあるんですけど、これ以上やったら自分が壊れてしまうというのはすごく思いますよね。ちゃんと『辞めます』と宣言しない限り、わからないと思うんです。本当に映画を愛しているのかどうかが」
そう言いながら、自嘲と照れがないまぜになったような、少し寂しそうな笑顔を見せる。それはそうだろう、自分の人生のほぼ全てを映画に捧げてきたのだから。
「振り返ってみると、自分は純粋なものを求め続けていたと思うんです。追い求めて、追い求めて、求め続けたけれど、手に入らなかった。それは僕の能力の問題だと思うんだけど。映画に限らず、生き方も、人との接し方も、作るものも、この社会と世界に対しても、ピュアなものを追い求めていたと思います。ピュアなものが欲しい。ピュアなものの中にいたい。ピュアな領域に行きたい。そういう純粋な衝動があって、そこに向かっていたんだなと思います」
映画で経験した以上の喜びを、見つけようとしているのかもしれない
映画に別れを告げたということは、新たな人生を歩み始めるということだが、先の展望は白紙状態だという。それこそが、彼が映画のことしか考えてこなかった証拠である。
「よくよく考えると10代からこんなことをやっているわけです。創作を考え続けて生きてきました。もうすぐ55歳ですけれども、他のことを何もやっていないんですよね。だから何か違うことをやってもいいのかな、とは思います。わからないですけど、投資家でも、サラリーマンでも、学生でもいいかもしれないし、何もしないのかもしれない。今はまったく決まってないです。何も見えていないです。やることがここまで何も見えていないのは、人生で初めてかもしれません。
苦しみも喜びも、映画作りで経験しました。でも、それ以上の喜びを見つけようとしているのかもしれませんね。わからないですよ。今、ふと思いついちゃった(ことを言っている)だけなので」
喜びには苦しみがつきものだとわかっていながら、"楽しい"ではなく"喜び"を追い求めてしまうところが、彼の性なのかもしれない。55歳になっても、10代の頃と変わらない熱量と純粋さで、紀里谷は葛藤を持ちながら、仕事と人生に全力で向き合っているのだろう。
Kazuaki Kiriya
1968年熊本県生まれ。15歳で単身渡米し、写真家や映像クリエイターとして脚光を浴びる。2004年に映画『CASSHERN』で映画監督デビューを飾り、2008年に『GOEMON』を発表。2015年に『ラスト・ナイツ』でハリウッドデビュー。
Haruhiko Tateno
1961年東京都生まれ。1993年、創立メンバーの一人として幻冬舎を立ち上げて以来、各界の表現者たちの多彩な作品を世に出し続ける。2006年に『GOETHE』を創刊し、初代編集長も務めた。
■動画連載「2Face」とは……
各界の最高峰で戦う仕事人たち。愛する仕事に熱狂する姿、普段聞けないプライベートな一面。そんなONとOFFふたつの顔を探ると見えてくる、真の豊かな人生に迫る。