『CASSHERN』、『GOEMON』、ハリウッド映画『ラスト・ナイツ』の監督として知られる、紀里谷和明。彼が「最後の監督作」と宣言した『世界の終わりから』が、2023年4月7日から劇場で公開される。紀里谷は、この作品にどう向き合ったのか。ゲーテ統括編集長の舘野晴彦が、“映画監督”としての顔に迫った。動画連載「2Face」とは……
現実から目を背けた、まやかしの映画はつくれない
紀里谷にとって『世界の終わりから』は、前作『ラスト・ナイツ』から8年ぶりの監督作となる。1年間に何本も作品をつくる監督もいるが、紀里谷は自分が本当に作りたいと思った作品しか世に送り出さないため、制作に時間がかかる。その大変さについて、紀里谷はこう説明する。
「脚本が大事で、お芝居が大事で、カット割りが大事で、アングルが大事で、音楽が大事で、編集が大事です。(すべての準備を整えて)いざ撮影を始めたら、晴れているシーンなのに雨が降ってきた、借りられると聞いていた場所が借りられない、必要だと思っていたロケーションがない。そんなことの連続で、対処しているうちにどんどん予算と時間がなくなっていく。映画作り全体において、いい脚本やいいお芝居が占める割合なんて10%もないんです」
世界的大スターにして名優のモーガン・フリーマンを起用し、チェコ共和国で撮影したアクション大作『ラスト・ナイツ』の現場では、撮影中もスマホを放さず、資金繰りを行っていたという。
「スマホを握ったまま、目の前のモーガン・フリーマンに『よーい、アクション!』と言ってカメラを回す。『カット!』と言って電話に戻ると、『今すぐお前の家を抵当に入れないと明日の撮影はできない』みたいなことを言われちゃうわけです。マイナス20〜30度の環境で、睡眠不足の頭で、重要な決断をしなきゃいけない。そんな現場が終わったら終わったで、完成させるため(編集やCG作業などのポストプロダクション)に必要なお金がなくなってしまい、また金策に走る。映画作りはそういうことだらけです」
『ラスト・ナイツ』を完成させるために“すべてを捧げ”、公開後は「一種の廃人状態になってしまった」という。自分が今後どうするべきかを考えていても、どうしても頭の中でアイデアの構想が始まってしまい、結局紀里谷は映画作りに戻ってきた。
そして完成した作品が、『世界の終わりから』である。主人公は、天涯孤独で、経済的にも苦しく、学校では同級生から暴力行為を受けている女子高生のハナ(伊東 蒼)。日本社会の閉塞感をすべて背負ったような主人公が、世界があと2週間で終わるということを告げられて、世界の終わりを食い止めるために奔走する。
紀里谷はなぜ今、この物語を世に放ったのか。
「現実がここまで絶望に満ちあふれてしまうと、これ以外のものは考えられないですよね。僕には、日本も世界も、どこを見ても絶望だらけに見えるんです。それ以外のことを語ろうとしたところで、結局まやかしに思えてしまう。若者たちから見たら、世界はもっと悲惨に見えると思うんです。だったらそれを描くしかないと、僕は思いました」
この映画で、すべてを言い切った自負はある
終末を描いたこの映画には、政治家の劣化、いじめ問題、貧困問題など、今の日本が抱える問題や現実の事件に着想を得たと思われる描写が多数見受けられる。伝わってくるのは、日本社会に対する紀里谷の絶望だ。
「日本は変わらないし、変われない。老人がいけない、教育がいけない、政治家がいけないと、色々な人たちが色々なことを言いますよね。どれもある意味正しいと思います。しかしなぜそれが解決しないのか。戦争も、日本経済も、ありとあらゆることにおいて対応策や対処法があるのに変わらない。なぜなら、ほとんどの人たちが何もしていないからなんです」
8年前の紀里谷はまだ、「死ぬ気でやればなんとなかる」と、希望を捨てていなかった。この8年で変わったのは彼なのか、それとも世界なのか。
「スティーブ・ジョブスが、自分で作るもので宇宙を驚かせたいと言っていました。そういう気持ちが僕にもあったし、いまだにあります。でも、そういうことはもう必要ないと思っている人たちが多いように感じます。口ではイノベーションが大切だとか言いながら、それに対して代償を払いたくないという人たちが多い。何かを手に入れるためには何かを差し出さなければいけないのに、何も差し出さないままそれが欲しいという人たちがものすごく多いし、それが普通になってしまっている。それじゃダメだよ、ということが言えない社会になってしまっている。
(イノベーションには)努力、汗、なんなら根性が必要です。でも、今そんなことを言ったら、総バッシングでしょうね。『なぜ日本は韓国のコンテンツに勝てないのか』という議題も、韓国のスタッフと仕事をすればわかります。情熱と根性が凄いんです。倒れても倒れても立ち上がってくる。それを日本人は笑うし、嫌う。そりゃ負けるに決まっているんです」
しかし、映画のラストシーンにはかすかな希望が描かれる。それがすなわち、タイトルの"から"が意味するものであり、紀里谷からのメッセージと受け取ることができる。
「願わくば、今の小学生、中学生、高校生くらいの人たちが、社会に殺されないでほしい。僕にできることがあったらやりたいし。この世界には、魂が殺されている人たちが多すぎます」
その「できること」が、この『世界の終わりから』を作ること。紀里谷は原作・脚本・監督だけでなく、プロデューサーとして製作費を調達し、編集作業もして、一人でも多くの人に届けるために、精力的にSNSで発信を続けている。
「自分が言わなければいけないことがあるとしたら、この映画ですべて言い切ったという自負はあります。今の僕に、これ以上言えることはありません」
紀里谷が作る映画は、紀里谷和明という人間と切り離せない。自分の中にない映画を作ることは、彼の表現を借りるならば「まやかし」であり、映画に対する裏切りなのだろう。だから彼の映画からは、魂の叫びが伝わってくるのだ。
Kazuaki Kiriya
1968年熊本県生まれ。15歳で単身渡米し、写真家や映像クリエイターとして脚光を浴びる。2004年に映画『CASSHERN』で映画監督デビューを飾り、2008年に『GOEMON』を、2015年にハリウッド映画『ラスト・ナイツ』を発表。
Haruhiko Tateno
1961年東京都生まれ。1993年、創立メンバーの一人として幻冬舎を立ち上げて以来、各界の表現者たちの多彩な作品を世に出し続ける。2006年に『GOETHE』を創刊し、初代編集長も務めた。
■動画連載「2Face」とは……
各界の最高峰で戦う仕事人たち。愛する仕事に熱狂する姿、普段聞けないプライベートな一面。そんなONとOFFふたつの顔を探ると見えてくる、真の豊かな人生に迫る。