「アート」とひと口に言ってもその幅は広く、過去、現在、未来と続く、非常に奥深い世界だ。各界で活躍する仕事人たちはアートとともに生きることでいったい何を感じ、何を得ているのか。今回は、画家・杉戸洋氏の想いに迫る。【特集 アート2023】
永遠と理解できないものをそばに置いておきたい
具象と抽象の間を行き来するような独自の画風で、1990年代から多くの人を魅了してきた画家・杉戸洋氏。
「生活空間の中で、ともかく自分の絵は見たくない」と語る、杉戸氏の自宅リビングの壁には、1989年ヴェネツィア生まれの画家、アンジュ・ミケーレの大きな作品が飾られている。銀色の支持体の上にアクリルで描いた円が並んでいる絵画は、見る角度によってその表情を大きく変える。
「自分が制作する問題だらけのキャンバスと壁を年がら年中眺めているけど、他人の絵を見る時はまったく別の感覚になる。わけもわからず見入ってしまうもの、見続けても永遠と理解できないものをそばに置いておきたい」
太陽と鶴が描かれた最初に買ったミケーレ作品とは、2015年の個展で出会った。ひとつ手に入れたらまた欲しくなり、自宅がある名古屋でも東京でも部屋で作品を眺めている。
「これも(トップの写真)ただ丸を描いているだけなんですよね。時々絵の具の垂れがあったり、小さな筆ですごく効率の悪い描き方をしてる。どこから始めたんだろうとか考えたり、見ているといろいろ疑問が湧いてきて質問したくなるんだけど、『静かにして』と絵から言われているようで……このわからなさ、淡々とした力強さに惹かれます」
アトリエでも制作に使わない壁にはいくつか作品がある。電気のスイッチのそばには、農婦として暮らし、70代から絵筆をとったアメリカの国民的画家グランマ・モーゼスことアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスの絵。ニューヨークで見つけたこの作品は、人物や馬などがいない珍しい風景画だ。
今回の取材で、杉戸氏はあることに気づいたという。それはこの素朴な作品がアトリエに入る前と出る時に、必ず目に入る位置にあること。つまり、部屋の電気のスイッチのように、気持ちの切り替えと解放に、必要不可欠なものであった。その下にあるのは、同じ時期に描かれた無名の日本人画家による植物の絵。
「自分が生まれる前に描かれたもの、それらを重ねておくことで現在をよく見ようとしている」
アトリエで音楽をかけるステレオの上には、東京藝術大学の同僚でもある小林正人のドローイングなども飾られている。
こうした杉戸氏のコレクションの発端は、作家としてデビューした’90年代半ばに遡る。
ニューヨークで開いた最初の個展を見に来た、同じギャラリーに所属していたモーリーン・ギャレースの作品を、売れた自身の作品の対価の代わりに譲り受けたところから始まった。
杉戸氏は、愛知県立芸術大学の日本画科を1992年に卒業後、過疎地の山に畑とアトリエを持ち、木こりの仕事で生計を立てた時期があった。
その数年後、海外でのアートフェアなどに参加するようになると、重労働の代わりに自身が描いた絵でお金を得ることになる。
「美術で入ったお金は、美術で使い切らないとバチが当たるような気がして」と、駆けだしの作家として初任給のように得たお金で、「他人の作品と引き換える」ようになった。
オランダ生まれの彫刻家マーク・マンダースのドローイングや、スウェーデンの画家マンマ・アンダーソンの作品も、その頃海外の画廊で購入したものだ。
杉戸氏の家の飾り棚には、マンゴーや梅干しの種も並ぶ。
「種を眺めるのが好きで取っておくのですが、絵とともに生活をしていると、絵も種もあまり変わらない存在になるというか。桑原(正彦)さんの絵はスルメのようなものに、西村(有)さんの絵は回転し続ける風鈴のようなものに変わっていく。自分の絵もいつか種のような、なんでもないものに捉えてもらえたら」
杉戸氏による制作とコレクションは、そうした目に見えない力が作用する豊かな循環のなかに続いている。
最初に手に入れたアート
モーリーン・ギャレースの作品
コレクション方法
ひとりの作家につき2点以上
収集のはじまり
初めて自分の作品が売れた1996年
購入するアートの特徴
まったくわからない。逆にそれだからいい
他人の作品を買う理由
自分には取得できない何かが隠れているから
画家
杉戸洋/Hiroshi Sugito
1970年愛知県生まれ。1992年愛知県立芸術大学美術学部日本画科卒業。小さな家や空、舟などのシンプルなモチーフを好んで描き、繊細かつリズミカルに配置された色やかたちが特徴。2017年度(第68回)芸術選奨、文部科学大臣賞受賞。