2020年12月31日付で松本酒造の取締役を退任し、松本酒造を去ることとなった松本日出彦氏。日本酒「澤やまつもと」で知られ、京都・伏見の地から新たな幡手として、日本酒業界を牽引していくひとりだった日出彦氏はすべてを失った。「松本日出彦という職人を失ってはいけない」そんな想いで5つの蔵、冨田酒造(滋賀県)、花の香酒造(熊本県)、白糸酒造(福岡県)、せんきん(栃木県)、新政酒造(秋田県)が立ち上がる。
2021年3月よりスタートしたのは、日本各地を舞台に、ともに日本酒を作り上げるという前代未聞の取り組み。日出彦氏の活動から垣間見えたのは、新たな価値を生み出すための思考回路と、日本酒業界の未来だった。連載最終回「新政編」(全5回)
ピンチの時の思考法
武者修行の最後の舞台となるのは、秋田県の新政。八代目蔵元として新政の製造総指揮をとり、数々の改革を断行して、従来とは一線を画す日本酒造りを行う佐藤祐輔氏の元へ。奇しくも、日出彦氏含め、白糸酒造の田中氏、せんきんの薄井氏、新政の佐藤氏の4人は蔵に戻り、自身で酒を造り始めた時期が重なるという。ちょうど焼酎ブームが巻き起こった2006年、2007年頃のことだ。
「皆スタートは厳しかったよね。当時は日本酒なんて誰も飲まないような雰囲気で、新政の経営状況も危機的状況でした。今思えば、その頃が一番のピンチだったんじゃないかな。酷い状況だからこそ、腹を括った上で、好き勝手にやらせてもらえたんですが、僕の場合は自社を立て直すという目的だけではどうしてもパワーが出ない。自分でやったことがちゃんと何かの役に立って、評価されることでないと。そういう意味では、すぐに地元の秋田県産の米だけに切り替えたり、新政酒造の蔵が発祥となった6号酵母しか使わないとか、結構思い切りましたね(笑)。もう異常に大変だと、悩みがなくなる。もう一度やれと言われたらやりたくないですけど、楽しかったですね」(佐藤氏)
日出彦氏にとっては、この1年がある意味、試練の時だった。自身の日本酒造りを改めて考え、向き合い、行動し続ける日々。
「確かに、忙しすぎてクリアしなければいけないタスクが多すぎると、悩む暇がないんですよね。千本ノックのように一個一個真剣にやっつけていくから、もう無我夢中。僕は父親と二人三脚で、現状を変えていく試みを断行してやってきました。僕はまだその延長線上にいる感じで、振り返る状態でもないのですが。今まで経験してきたこと、磨いてきた感性をこれからもっといい形で具現化させていきたい。今回の武者修行でお世話になった祐輔さん(新政酒造)、薄井さん(せんきん)、神田さん(花の香酒造)、とみぃさん(冨田酒造)、そして田中(白糸酒造)と何げなく会話させていただくなかで、自分の中にどんどん皆さんの言葉が染み込んできました。ようやく進むべき方向性が見えてきたところです」
酒造りの軸となる二人のバックボーン
突出した活躍をする仕事人は、自身が持つバックボーンの背景に支えられた強い信念に揺るぎがなく、周りを魅了する力を持つもの。ジャーナリストとして活動し、酒類総合研究所での研究生生活を経て、2007年末に蔵に戻った佐藤氏も、学生時代からDJを続け、大学卒業後、東京農業大学短期大学部を経た日出彦氏も、まさにそれに当てはまる。
「ジャーナリズムの役割って、調べてまとめて、世の中にない新しい価値観を提示したり、時にはメインストリームに逆らいます。僕の日本酒造りはその考え方が反映されたものなんじゃないかな。いろんな文献を漁って、これはすごい! と面白い文献を発見した場合、今リバイバルしたら最高においしくなるんじゃないかとか、みんなが同じ方向に向かっているなら自分は逆に行ってみようとかね」(佐藤氏)
信念を支えるバックボーンは人それぞれだが、日本酒のオリジナリティとして表れると思うと面白い。
「DJで一番大事なのって、グルーヴ感なんですよね。一番盛り上がって気持ちいいのって、その場で音を組み合わせて、お客さんとリンクした時。その瞬間の感覚で進んでいったほうが、真理に近づくのではないかと僕は思っているんです。だから、酒造りで言えば、僕は誰よりも現場にいるタイプですし、現場で次々に起こる問題に向き合うたびに、方向性をその都度探っていきます。今、自分が造りたいお酒は13%台。味のボリュームはもっと軽く、もっと美しくできるはず。現場で感じ取ったフィーリングを大切にしたいんです」(日出彦氏)
日出彦氏と佐藤氏のスタイルはまったく異なるが、一緒の現場に立ったときに、エキサイティングな体験になったことは言うまでもない。二人の一番特徴的な違いは「もろみ運び」だという。今回のコラボレーションは、新政と日出彦氏の折衷案。できるだけ日出彦氏のフィーリングを大切にしてもらえたという。取材当日、日出彦氏が絞る時期を提案した際、予定よりは速かったが、すぐにGOが出て翌日に絞ることが決定した。
「ありがたいです。このすごいスピードこそが、現場力なんですよね。そもそも決めていた計画どおりにいかないっていうか。今回の5蔵の皆さん、本当に柔軟に対応していただけて感謝しかないです」(日出彦氏)
ゴリゴリの仕事人
日出彦氏いわく「ゴリゴリの仕事人」であるという佐藤氏。自身の目指す日本酒造りに必要なことならば、大変なことにも真正面から向き合い、有言実行する。ストイックという言葉では片付けられないほど、人生を掛けた長期的な目線を持つ。代表的な例として、秋田県の秘境である鵜養(うやしない)に広大な無農薬田をもち、膨大な手間暇がかかる木桶での仕込みを採用していることが挙げられる。
「酒蔵をマネジメントしていくっていうことを強く意識している方だなっていうのを、自分が蔵を離れて、余計にわかるようになってきました。『ビジネスも発酵だ』と(佐藤)祐輔さんが言っていたことが心に残っています。長期的な視野で、紆余曲折ありながら、もともとあった伝統的価値をさらに大切にしていくという考え方です。いわば、長期低温発酵型のビジネス。現場にもその考え方が落とし込まれていて、効率よりも、真に価値のあるものへの飽くなき追求に取り組まれているところに、本当に頭が下がります」(日出彦氏)
2016年、佐藤氏は新政の酒造りの責任者である杜氏を原料部門長に任命。本気で鵜養の地域の無農薬の田んぼを作ろうと決断をした。次々と策を打ち出す。
「明確なポリシーの中でのアイデアなんですよね。昔から無意識にやりたいと思っているようなことをできる段階になったときに、すぐに行動へ移す。例えば、木桶を欲しいけど、経営状態の問題などですぐ買えなかったり。生酛をやるためには乳酸菌の勉強もしなきゃいけないとか。一つクリアしたら、また次の一つに取り掛かる。全てが繋がっているんです。数年内に全量を木桶仕込みにする予定なんですが、今度は、木桶の職人さんが廃業してしまうと聞いて、発酵産業全体の大問題だから木桶の工房をつくらなければと(笑)。やりたいことが尽きることはありません」
空中分解しそうでも、支えられて生き延びられた
武者修行をする中で、もう一人、日出彦氏の精神的支柱となっていた人物がいた。元サッカー選手で、現在は久保建英選手や永里優季選手のパーソナルトレーナーでもある中西哲生氏だ。新政が業界を代表するほどの活躍を見せていた時のこと。
「(佐藤)祐輔さんが秋田の米だけを使って、伝統的な製法である生酛で日本酒を造ると発信した時、自身に負荷をかけて新政が目指すお酒をしっかり伝えた上で、プロダクトを組まれていたことに衝撃を受けました。当時の僕は、お酒造りをしていくときに、おいしい味の落としどころみたいなところをもっと自由に探したかったので、軸を決めてしまうとそれができなくなってしまうのではないかというジレンマがありました。
そんな時、哲生さんに『軸は動かさなきゃ駄目だ』と言われて。サッカーの世界では日本人選手は手足が短いですよね。だから、外国人選手に対抗しようと思ったら、軸足を常に動かさないと、リーチが間に合わないと。だから、体の使い方として、軸足は動かしていいんだよっていうのを、僕は自分の生き方に落とし込む形で聞こえたんです。僕の場合は、松本日出彦として、酒と向き合うスタイルを追求すればいいんだと、心が自由になりました。空中分解しそうなときに、先輩方に救われて、この半年間、生き延びることができたんです」
日出彦氏は今、まさに日本酒のニュースクールの真っ最中、創成期だと力説する。
「日本酒の味、蔵としてのマネジメントの観点からしても、全てスタイルが変わってきていています。祐輔さんを中心として、令和のニュースクールの日本酒が生まれようとしているんです。コロナで飲食店さんが大変な状況ですし、日本酒を取り巻く環境も危機的状況ではあるんですが、お酒を造る現場としては、めちゃくちゃ盛り上がってる。だから、悲観はしてなくて、もっと面白くなるぞ、これからと。
業界に変革が起こるとき、その中心には変えるエネルギーある人がいるじゃないですか。だから、祐輔さんは間違いなくその中心にいる人。ただ、その周りにいる僕らも真似ではなく、自分たちの源泉である土地に思いを巡らせて、自分だったらどうするのかを真剣に取り組んで、少しずつ実を結んできています。日本酒業界の仕事そのものが変わる時期に差し掛かっていると実感しています」
2022年「日々醸造(にちにちじょうぞう)」が誕生する
怒涛の武者修行を経て、2022年1月、松本日出彦氏は京都の地で、ついに「日々醸造(にちにちじょうぞう)」という名の日本酒蔵を創業した。2022年春頃には「日日(ニチニチ)」ブランドでの日本酒のリリースも予定し、「日々醸造」新酒リリースに先駆け、「武者修業 第二弾」として新たな日本酒を近々販売する予定だ。
「飲食店における酒類の役割、また、米を通して農地を買い支える責任など、日本の『食』と『農業』に対しての、日本の酒蔵の役割の重さを実感しました。その上で、飲食店の皆様や酒販店の皆様、同業者の皆様、農家の皆様など、これまで関わってきた多くの方々のお役に立てる仕事をしよう、と。さらに、長年栽培から携わってきた兵庫県東条の山田錦と、京都の水を用いた酒造りを追求したいと考え、新たなステージでチャレンジする決意を固めました。過去がどうであれ、これからの仕事に全てが詰まっています」(日出彦氏)
武者修行をした5蔵の愛すべき仲間たちへの尽きない感謝を胸に、日出彦氏はどこまでも真っ直ぐに日本酒道を歩む。