2021年3月よりスタートしたのは、日本各地を舞台に、冨田酒造(滋賀県)、花の香酒造(熊本県)、白糸酒造(福岡県)、仙禽(栃木県)、新政酒造(秋田県)という5つの蔵とともに、松本日出彦氏が日本酒を作り上げるという前代未聞の取り組み。日出彦氏の活動から垣間見えたのは、新たな価値を生み出すための思考回路と、日本酒業界の未来だった。連載第2回目「花の香酒造編」(全5回)。
職人同士だからこそ共鳴するもの
松本日出彦が武者修行として第二の地として訪れたのは、熊本県の北に位置する和水町(なごみまち)の花の香酒造。明治時代後期に、神社に湧き出る岩清水と神社の田んぼで収穫された米から日本酒をつくったのが始まりで、2014年に酒づくり100周年を迎えた蔵だ。6代目当主であり、杜氏である神田清隆氏が今回の取り組みの発端となった人物だという。
「今の酒類業界は、商品開発、製造、管理部門などの分業制によって、本当の意味での職人は育たないと感じています。日出彦さんは、自社プロダクトをすべて理解しながら、価値あるものを見極められる審美眼を持った数少ない職人。自分の生まれ育った蔵を離れざるを得なくなってしまったとしても、僕は日出彦さんが日本酒業界にとって絶対に必要な人物だと思ったんです。日出彦さんが酒づくりを続けられることを第一優先に考えたかった。前向きな行動を1日でも早く取れるように。余計なお世話ですけど勝手に身体が動いていました(笑)」(神田氏)
もともと二人は個人的な親交が深かったわけではない。過去に仕事で数回会っていた程度。ただ互いのつくった日本酒は飲んでいたこと、そして原材料である米を自身で作るために田んぼにアプローチしていたといった「仕事人としての共鳴」があった。日出彦氏は職人同士、互いにつくった酒を飲めば通ずるものがあるという。
「酒を口に含んで、その酒質を美味しいと感じた瞬間、原料に対するこだわりや丁寧な仕事といった背景が見えてくるんです。今回お世話になる5蔵さんは全て、酒に常に向き合っているのが伝わってくる。だから各蔵の方々と一緒に酒をつくらせてもらえる機会をもらえたことに感謝しかないですし、自分が来たことで何か少しでもお返しできればと常に考えています」
伝統産業で、経営者に最も必要なこととは?
酒づくりを始めて15年、杜氏としては10年を経た日出彦氏。今まで原料に勝る技術はないと、米の旨みを引き出す酒づくりを追求すると同時に、徹底的な蔵の改革に挑んできた。
「他の蔵元さんと大きく違うところがあるとすれば、先生や先輩の教えがあったうえで、僕は現場の導線などの環境づくり、チームづくり、そして経営的な意思決定の体制に至るまで、考えを全て現場に落とし込んできました。この3つが1つでも欠けてしまえば、決していいものづくりにはなりません。限られた人間、時間、場所で最高の仕事をするには、理にかなったやり方でないと、自分たちが表現したい味にはならない。いかにシンプルにするかが試されています」
伝統産業である日本酒を今後、日本のアイデンティティとして守っていくだけでなく、さらに国内外で発展させ、より魅力的なものにしようとするならば、機能的な道具を使って少人数化することよりも大事なこと。
「シンプルな仕事であればあるほど、無駄なものが入らず、米と水そのものが本来持っているものを美しく表現できるんじゃないかと思っています。ただ、日々アップデートしていかなければいけません。今回お世話になっている5つの蔵の皆さんは、現場の環境づくり、チームづくり、経営判断という3つが噛み合っているからこそ、すぐに意思決定できているのだと感じました。
最終的にどう前に進めるのか、それは経営者の覚悟、腹です。腹を持って進めた時に、どうなるのかなんてわかってやってる人はいないし、それが本当にそうなのかと検証していたら、今の時代は刻一刻と変化している。我々日本酒づくりのような伝統産業は、新興産業ではないからこそ余計に切実にそのことを感じています」
苦しみの中から生まれた新たなチャレンジ
花の香酒造がある和水町は、菊池川流域に位置し、なんと2000年の水稲文化を持つ米の産地。6代目となる神田氏が蔵を継いだのは2011年で、当時経営状態は逼迫していたという。
「ずっと営業だったので、酒づくりのことは全くの無知でした。酒づくりを始めて、今年でやっと6年目。楽だったことはありません。95%ぐらいはいつも苦しい。
ただ、酒づくりを始めて、自分はものづくりがこんなに好きだったんだと気づいてからは、必死ではありますが、楽しいと思えるようになりました。ものづくりをして発見した時に『あぁなるほど』って言う瞬間が一番楽しい。耕さなければいけないと思っていたことも、微生物の力を借りれば耕さなくてもやれるとかね。
元々この町にあるもので酒をつくり、次の世代へと紡いでいく。そんな紡ぎ甲斐のある地元のものづくりをしていきたいんです。だからこそ、この地で栄えたお米ってどんなものなんだろうという疑問からスタートしていきました。
菊池川流域の歴史を紐解いていくと、この地で誕生した肥後米が天下第一の米と言われていた時代がありました。相場で一番高額な時期があったんです。それを想像するとロマンがあるじゃないですか。もしかしたら、今の日本酒の技術で出会ったことがないような未知の日本酒の可能性があるんじゃないかって」
神田氏は産まれた土地(和水町地方)独自の天候や地質、水質だけではなく、この土地にしかない微生物たちにフォーカスした。産土(うぶすな)への想いを軸に、当時のお米について調べるなかで、幻の米と言われる「穂増」を復活させようと試みる。
「江戸末期には日本の米相場を左右するほどの高評価だった『穂増』は、稲の倒伏や、種籾の脱粒が起きやすいことから、次第に多収量の新品種に取って代わられ、消滅してしまいました。そこで農業生物資源ジーンバンクから種子を取り寄せ、復活させた菊池の米農家さんが居ると知り、種子を分けていただいたんです。私たちは40粒から復活させ、ついに2020年に和水町で収穫することを実現できたんです。
花の香酒造では、2020年から和水町の米100%(山田錦80%、穂増20%の作付)で酒を作っています。でもなにせ昔の米だから手間暇がかかる。全て手植えです。なぜ機械でやらないのか。本当に良いものを無施肥無農薬でつくるには、手植えでしかできない一本植、畑苗代、株間が必要だと思っています。手刈りはそこに住む生き物と会話しながら、この場所は土の匂いが違うなとか、土地の特徴を感じることが出来るからです。その奥深さは酒づくりと同じですから先人達への敬意も深まります」(神田氏)
日本酒のつくり手が自身の理想と現実の狭間で葛藤し続け、これだ! と信じた未知を前進する。考えて考えて考え尽くし、自分で手を動かす。ものづくりをする職人たちの宿命は過酷だ。
飲むだけで日本文化の貢献につながる
「神田さんは先輩だし、経験もたくさんされているけれど、今以上に成長できることがあるんじゃないか、という視点で物事を捉えるから、話の全てが前向きなんです。
時にはどん詰まりになることだってある。それを乗り切って、切り拓いていくのって、運もあるし、時代の流れもあるけれど、一番大切なのはパーソナリティだと思うんですよ。燃えてる感じ。例えるなら、神田さんは僕にとってシルベスター・スタローンです(笑)。
人間の生きていく力、周りを巻き込むエネルギー、前向きに向き合うところを感じられて、そばにいるとものすごい力をもらえます」
昨今、急激な自然災害や過疎化によって、日本各地で問題が山積している。神田氏いわく、山の上に住んでいる人がいなくなれば、水路が土砂崩れで埋まっても放置されてしまい、当然地下の水の流れも変わってしまう。地形を守るということも酒づくりの一部なのだ。
日本各地の文化や伝統がついえた時では遅い。果敢に挑む、日出彦氏と神田氏の情熱の共鳴を1本の日本酒で私たちは享受することができる。口にするものにどんなルーツがあるのか、そんなことに想いを馳せて日本酒を味わってみたくなるコラボレーションだ。
連載第1回目「冨田酒造編」はこちら!