2021年のシーズンを最後に現役を引退した阿部勇樹。彼は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。今回は、2021年1月から2月にかけて連載されたオシム編をまとめてお届けする。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~】
阿部勇樹、殻を破るきっかけをくれたオシムとの出会い
2003年、イビチャ・オシムさんがジェフ千葉の監督に就任されました。2006年には日本代表監督を務めることとなったオシムさんとの出会いは、阿部勇樹という選手だけでなく、僕というひとりの人間に対してもとても大きな影響を与えてくれたし、今後もその影響が僕の人生において、重い意味を持つと確信しています。
「勇樹、キャプテンに指名されたから」
オシムさんが就任し、しばらく経ったころ、江尻篤彦コーチからそう告げられました。当時21歳だった僕がキャプテンを務められるのか? そんな不安も抱きましたが、同時にこれは自分が変われるチャンスだとも感じました。
続きはこちら
オシムに見いだされた阿部勇樹の稀有な才能とは
イビチャ・オシム監督は、「走らないとサッカーは成り立たない」と言い、最初はとにかく走るトレーニングばかりが続いた。チームとして走れていないと判断されたからだと思います。走れる体力を作ろうということだったのでしょう。
まず、走ること。
そのうえで、「いつどこへ走るのか」という「考えるプレー」を求められるようになりました。相手にとってイヤなところ、危険な場所へ走り込み、脅威となるタイミングで走りだすことを相手と自分たち、そしてゲームの状況を考えて行動しろということです。
続きはこちら
阿部勇樹が人生の師・オシムから学んだこと
「私の経験からして、このままチャンスを失い続けると負けるぞ」
2003年3月15日、ナビスコカップのセレッソ大阪戦。その年、監督に就任したオシム監督のもとで、初めての公式戦。相手のオウンゴールで僕ら千葉は1-0とリードしてハーフタイムを迎えていた。そのロッカールームで、イビチャ・オシム監督はそう口にした。
予想通りにならないように必死で戦ったが、後半に入り2失点し、僕らは敗れた。
続きはこちら
阿部勇樹、8年ぶりにオシムと再会して思ったこと
2018年、シーズンオフを利用して、僕はイビチャ・オシムさんに会いにサラエボへ向かいました。2010年のワールドカップ南アフリカ大会直前にグラーツで行ったイングランド代表戦のときに会って以来だから、8年ぶりの再会となりました。
最初に会ってから、15年ほどの時間が流れていたけれど、オシムさんにとって僕は子どものようなもの。「もっと走らなくちゃだめだよ」という言葉は相変わらずでした。もう30代後半になっていた僕は、普段は「ベテラン」という立場を意識せざるを得ないし、ベテランとしての振る舞いを考えていたけれど、オシムさんの前では20代初めの若造に戻ってしまうのです。
続きはこちら