PERSON

2021.01.16

阿部勇樹、殻を破るきっかけをくれたオシムとの出会い

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。オシム編1回目。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~33】

21歳だった僕がキャプテンを務めた理由

2003年、イビチャ・オシムさんがジェフ千葉の監督に就任されました。2006年には日本代表監督を務めることとなったオシムさんとの出会いは、阿部勇樹という選手だけでなく、僕というひとりの人間に対してもとても大きな影響を与えてくれたし、今後もその影響が僕の人生において、重い意味を持つと確信しています。

1941年ユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボで生まれたオシムさんは、ユーゴスラビア代表選手として、1964年の東京オリンピックにも出場され、1968年の欧州選手権のベストイレブンにも選ばれたストライカーです。

フランスで長くプレーされたあと現役を引退し、その後すぐに指導者としての道を歩かれました。1986年にはユーゴスラビア代表の指揮を執ることになります。1990年ワールドカップイタリア大会ベスト8進出を果たしますが、サラエボ侵攻とユーゴスラビア分裂に抗議するために、1991年代表監督と兼務していたパルチザン・ベオグラードの監督を辞任。戦火よってサラエボに残した家族と何年もバラバラに暮らしていたのです。

1993年にオーストリアのSKシュトゥルム・グラーツ監督に就任し、約10年間を経て、千葉へ来てくれました。

「よく千葉に来てくれた」と感謝の気持ちしかありません。

「勇樹、キャプテンに指名されたから」

オシムさんが就任し、しばらく経ったころ、江尻篤彦コーチからそう告げられました。当時21歳だった僕がキャプテンを務められるのか? そんな不安も抱きましたが、同時にこれは自分が変われるチャンスだとも感じました。

中学時代からジェフの下部組織に所属し、10代からトップチームの一員としてプレーする機会に恵まれました。自分が歩んできた環境に感謝しながらも、考えてみると常に歳の離れた先輩についていくだけだったと感じていました。

「僕がチームを引っ張る」という気持ちも足りず、そこには「甘え」があったんだと実感していました。

世代別代表のチームメイトのなかには、高校を卒業しJリーグで戦っている選手たちの「つよさ」を見ると、自分には「覚悟が足りない」「甘えている」と感じていました。だから、ゲームのなかで、自分から表現する、自分のプレーを出すという意味で、それができていない部分があるんだと。

ここからひとつ前へ、ひとつ上へ進むためには、殻を破らなくちゃいけない。

そう考えていたときに、オシムさんから、キャプテンに指名されたのです。

「なぜ僕だったのか?」

当時、オシムさんに訊ねることもなかったし、オシムさんから説明されたこともなかったけれど、とにかく僕は無言のメッセージを受け取ったと感じていました。そして、キャプテンという立場を与えてもらえたことで、自然と「責任」について考えるようになりました。キャプテンとしての責任だけでなく、プロとしての責任が自然と身についたと思います。プロリーグでプレーしているだけでは、持てなかった覚悟と責任が芽生えたことによって、僕は大きく変わることができました。キャプテン就任が殻を破るきっかけになったんだと思います。

とはいえ、キャプテンとしての言動はまだできていなかったけれど、それでも、「しっかりとしたプレーを見せなくちゃいけない」というピッチ上での意識は変わったと思います。キャプテンマークをつけている人間は、プレーでチームを引っ張っていかなくちゃいけない。ミスをすれば目立ちます。勝利につながらないプレーをすれば、サポーターや世間から叩かれることもあります。それらもすべて引き受ける覚悟が芽生えました。

もちろん、中西永輔さんや坂本將貴(まさたか)さんなど、先輩たちが支えてくれたことも大きかったと感じています。

オシムさんがジェフに課した練習スケジュールには、休日がありませんでした。しかも「ジェフユナイテッド・マラソン・クラブ」といわれるほど、走るトレーニングが続き、選手たちの疲労も高まっていくなか、キャプテンが選手を代表して「オフをください」と監督に直訴することになりました。

「休むのは引退してから休めばいい」

結論としては、練習が休みになることはありませんでした。「休みがほしいとお願いしたら、逆に説教されちゃった」ということです(笑)。

でも、「なぜ練習しなければならないのか」「なぜ走る練習なのか」などと熱心に語ってくれたオシムさんの言葉からは、本当に僕ら選手のこと、そしてジェフ千葉というチームのこと、ひいては日本のサッカー、Jリーグのことを考えられているんだという愛情、温かさを感じたのも事実です。

身長190センチを超える大柄な体形のオシムさんは、練習中でも、チームでの食事でも、鋭い眼光で僕らのことを見ています。そのオーラからは、厳しさが伝わってきました。けれど、豊かな愛情の持ち主で、父親のような存在でした。

そんなオシムさんのもとで、変わったのは僕だけではありません。ジェフ千葉も大きく変わりました。2005年、2006年とナビスコカップ連覇を果たし、リーグ戦でも上位争いを行うチームになりました。

あれから20年近くが過ぎましたが、未だに「なぜキャプテンに指名したか」についてオシムさんと話したことはありません。

オシムさんは「先を見る力」に秀でた方でした。「先を読む」ともいえるでしょう。千葉の現状を把握し、そこに足りないものをトレーニングによって加えることで、的確な強化が行えたんだと思います。そんなオシムさんの眼には、僕に足りないものが映り、それを補うためにキャプテンを任せてくれたのかもしれません。理由はわからないけれど、あのときキャプテンに指名してもらえたことには、とても感謝しています。

TEXT=寺野典子

PHOTOGRAPH=Getty Images

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