累計120万部を突破した書籍『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(KADOKAWA)、いわゆる“ビリギャル”で受験業界、そして子を持つ親たちに衝撃を与えた坪田塾の坪田信貴先生。第2弾となる書籍『勝手な夢を押しつける親を憎む優等生と、東大は無理とバカにされた学年ビリが、現役合格した話』(通称 ビリギャル2/サンマーク出版)の発売にあたり、多くの親が抱くであろう疑問を率直にぶつけてみた。ここでは、のべ1300人以上の子ども、そして彼らに深くかかわる親を見てきたなかで気がついた“呪縛”について解説してもらう。5回連載の1回目。【その他の記事はこちら】

目指すのは1番ではなく平均点!?
坪田信貴先生が運営する坪田塾への入塾を希望する親子には、必ず面談が設けられている。
2025年12月に発売された著書『勝手な夢を押しつける親を憎む優等生と、東大は無理とバカにされた学年ビリが、現役合格した話』のなかに登場する5人の学生たちの面談風景でも、まさにさまざまな子に対応する“子別”指導ならではの多種多様な家庭の状況が描かれている。
「坪田塾に来る親御さんから受けるのは、成績が悪いから何とかしたいというご相談です。そんな親御さんに何か目標はありますか?と聞くと、一番多いのが『せめて平均点が取れるようになってほしい』ということなんです。
でも、なぜ平均点なのか? 僕はそこがすごく疑問なんです。『一番になろう』だったらまだわかります。でも子どもにしてみても『よし俺は平均になるぞ』って、モチベーションは上がらないじゃないですか(笑)。なぜか平均値を目指す呪いに取りつかれてしまっているんです。
また平均値は、家庭によっても変わります。この本のなかで言えば、親が医者なので医者になることを強要されている高校生が出てきますが、その家庭にとっては医者になること、それが平均なんです」
生まれる前から刷り込まれる平均値の呪縛
そんな平均値の呪縛は、実は子どもが生まれる前から始まっているのではないかと坪田先生は分析する。
「母親にかかる大きな責任が、その発端だと思うんです。妊娠中はお腹の子どもが順調に育っているか、お母さんの体重管理ができているか、10ヵ月間ずっとチェックしなくちゃいけない。さらに生まれてからも検診に行けば、子どもの成長を母子手帳の成長カーブに照らし合わせて、平均値のなかにちゃんと入っているかどうかを見られ、発語や運動や行動もチェックされて、標準から離れていないかをチェックされる。ずっと“平均値でなければならない”と訓練させられるわけです」
妊娠から乳幼児の、まさに命が関わっている期間だから、平均値や標準をストイックに守ろうとすることは、母親として褒められることはあっても、そこに誰も疑問を挟むことはない。
しかしそれに慣れてしまうことで、知らず知らずのうちに、子どもを平均値にちゃんと入れることが当たり前となり、呪縛のようにまとわりついているのではないかというわけだ。

教育者、経営者。これまでに1300人以上を「子別指導」し、心理学を用いた学習指導により、偏差値を短期間で急激に上げることに定評がある。上場企業の社員研修や管理職研修なども含め、全国の講演会に呼ばれ、15万人以上の人が参加している。テレビやラジオでも活躍中。第49回新風賞受賞。著書に、120万部突破のミリオンセラー『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(ビリギャル)がある。
平均は親自身、そして各家庭の基準でしかない
「さらに言えば、よくあるのが、父親が医者や弁護士、経営者などの家庭の場合、その母親、いわゆる祖母は子育ての成功者とみなされる。となると、そんな優秀な息子なのにその子どもが優秀じゃないのは、外から入ってきた奥さんの血筋や教え方が悪いとなってしまうことも。そう言われないために、母親は子どもに頑張って欲しいと期待が過剰になってしまうこともあるんです。
“平均のなかに収めなければ”という呪縛のなかで子育てすることは本当に大変なことだと思います。だから『平均点を目指す』という目標はもはや呪いなんだと、まず親御さんに自覚して欲しいと思うんです。
医者になることが平均だと考えてしまう家庭があるように、究極の平均とは結局は自分の基準でしかない。子どもと自分を比較して『パパはもっとできたのに』とか、逆に自分は子どもの頃出来が悪かったので、子どもに『勉強しないとパパみたいに、ママみたいになっちゃうよ』などとつい言ってしまう。親が勝手に呪いをかけているんだと感じています」
ビリギャルが1年で偏差値を40上げて慶應に現役合格したように、この著書のなかでも親が、そして先生が子どもを信じることで、バカだと自分を卑下していた翔太は東大に合格し、高3で九九からはじめた健太も、そして引きこもりを続けていた美咲も真剣に進むべき道を見つけていく。
いつの間にか親にしみついてしまった呪いを軽々と超える、それが子どもの無限の可能性なのだ。

