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2024.02.26

ウクライナ問題はここから始まった? 「フメリニツキーの乱」を紐解く

2022年に一気に有名になった国、ウクライナ。ウクライナとロシアの関係を語るうえで欠かせない人物が、ウクライナの軍人・フメリニツキーだ。日本が江戸時代の前期だった頃に活躍した彼の存在こそが、今日までにいたる因縁につながっている。 『胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス教養』(サンクチュアリ出版)の一部を再編集してお届けする。【その他の記事はコチラ】

胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス

国ではなかったウクライナ

私たちはウクライナをあたりまえのように「国」と認識していますが、そもそもウクライナが現在の形で成立したのは1991年。ここ30年ほどの話なのです。

では、それ以前はどんな地域だったのか? この地域は、現在のウクライナの首都・キーウを中心とする強国「キエフ公国」の支配下にありました。

しかしキエフ公国が衰退すると、いくつかの国に分裂し、中でもモンゴル帝国がルーツの「キプチャク=ハン国」が権力を握ります。その後、元キエフ公国の中から現在のロシアにつながる「モスクワ大公国」が生まれ、しだいに強国へと成長していったのです。

そんな流れの中で、ウクライナ地域は「ポーランド=リトアニア共和国」と呼ばれた新興の強国に支配されていました。

この国は多民族国家でしたが、キリスト教の中でもカトリックを主に信仰するポーランド人の力が強く、正教会を主に信仰するウクライナ人との折り合いは微妙でした。

「アウトサイダー」コサックの台頭

ポーランドの強力な支配で、税金・宗教的弾圧・飢えなどさまざまな苦難を抱えていた人々は、荒れ果ててド田舎になっていたウクライナへと逃亡しました。ド田舎とはいえ、ウクライナには広大で豊かな土地があり、ウワサがウワサを呼んで多くの人が住み着くようになります。

この地に住んだ人たちは、狩猟や漁業をして生活していましたが、そのうち自分たちで勝手に軍隊を組織し、「コサック」と呼ばれる集団となりました。日本に置き換えれば、本州での支配に苦しんだ人たちが、未開拓の北海道に移住して自分たちで武装するようなイメージかもしれません。

コサックは周辺勢力と戦うため力をつけます。その力で暴れ回るようになると、コサックの数はますます増えていきました。強大なコサックにはポーランド王も一目置き、対立していたオスマン帝国やロシアとの戦争でも投入されました。

ただ、コサックはその性格上「オレたちは誰の指図も受けねえ!」と自立心が強く、ポーランド王も彼らの統治に苦労したようです。

それでも、国家に登録されたコサックをポーランド軍人として認め、給与を支払う「登録制度」などを駆使して統治。コサックが反乱を起こすこともありましたが、うまく鎮圧して自治や登録コサックの数を制限していきました。

コサックの超エリート、反乱軍のリーダーとなる

コサックが活躍したと言っても、だいたいのコサックはポーランドからの抑圧に不満をいだいていました。ところが、そんな環境でも登録コサックとして出世する人物もいて、その1人がフメリニツキーでした。

登録コサックの家に生まれた彼はハイレベルな教育を受け、複数の言語を操るエリートに成長しました。50代になるまで領地経営などを順調に進めており、ポーランド王からも高い評価を受けたと言います。「コサックの鑑(かがみ)」と言われてもおかしくない人生です。

……が、順調なフメリニツキーの人生は一変します。ポーランドの貴族が彼の土地を略奪し、子どもを殺害したうえ、妻を拉致(らち)するという大事件が起きたのです。フメリニツキーは怒り狂ったことでしょう。「おのれポーランド……ぶち壊してやるぞ!」とばかりに蜂起(ほうき)を決意。各地のコサックに「今こそポーランドから自立しよう!」と呼びかけ始めます。

以前から自治権を削られ、土地を略奪されるなどの被害に遭っていたコサックもフメリニツキーの言葉に感化され、軍勢は次第に増えていきました。さらに、フメリニツキーは仇敵(きゅうてき)だったクリム=ハン国(キプチャク=ハン国の分国)とも同盟し、1万2千ほどの軍となってポーランド軍に襲いかかります。

そして生まれた新しい国

1648年に始まった「フメリニツキーの乱」は、反乱軍の連戦連勝でした。5月に6千のポーランド軍を相手に勝利すると、フメリニツキーは反乱のきっかけともなった略奪された領地を取り戻します。

反乱軍は時間が経つにつれて膨れ上がっていき、夏が終わる頃には8万〜10万の兵を数えるようになったといいます。もとから軍事力はピカイチだったコサックがこれだけ集まれば、ポーランド軍の敗北は時間の問題でした。9月には8万ともいわれるポーランド軍を破り、現在のポーランドの首都・ワルシャワまで迫りました。いったんキーウへと帰ったフメリニツキーは「正教信仰の守護者」「民族の解放者」と熱烈な歓迎を受けたと言います。

ポーランド王もたまらず和平を持ちかけますが、条件面で折り合わず交渉は決裂。

しかしその後もフメリニツキーの勢いは止まらず、ついにポーランド王も白旗を上げ、登録コサックの数を4万まで増やすことなどの譲歩を見せると、フメリニツキーも和平に応じました。

そして、ついにフメリニツキーをトップとする軍事国家(ヘトマン国家という)が誕生。国を持てなかったウクライナ人たちの国家が生まれたことで、彼は英雄となったのです。……が、話はここで終わりませんでした。

利用されたフメリニツキー

こうしてすべてまるく収まったと思いきや、大きな問題が残りました。それは、反乱の過程でコサックたちが増えすぎてしまったことです。

ポーランド側からの条件で、登録は上限が4万しかありませんから、そこに入れなかったコサックたちは不満爆発。その矛先が、フメリニツキーに向いたのです。

その間、ポーランド軍では再建が進み、さらにポーランドの策によってクリム=ハン国の協力も得られなくなると、フメリニツキーはポーランドに惨敗を喫します。

こうして頼るところを失ったフメリニツキーが選択したのは、ロシアとの同盟でした。ロシアの皇帝(ツァーリ)に忠誠を誓うことでロシアの援助を受けたのです。

とはいえ、条件としてはコサックの自治権も残るものであり、フメリニツキーも「一時的な腰かけ同盟」と考えていたようですが、ロシアはこの同盟をうまく利用しました。

ロシアはポーランドとの交渉でヘトマン国家の土地を獲得し、コサックの自治権を制限。ウクライナをロシアの中に組み込むと、ロシアが倒れてソ連が誕生した後も、ソ連の一部になってしまったというわけです。結果的にフメリニツキーは、そのきっかけをつくった人物として評価が分かれています。

強い相手との戦いでは、「条件交渉」が極めて重要。世渡りには駆け引きがいる。

TEXT=齊藤 颯人 SUPERVISOR=本郷 和人、本村 凌二

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