放送作家を中心に活躍する傍ら、NSC(吉本総合芸能学院)の講師として10年以上にわたって人気投票数1位を獲得している桝本壮志さんが、人気芸人・クリエイターと対談する本連載。今回のゲストはNSC大阪校13期で同期だった、次長課長・河本準一さん。駆け出し時代の青春の日々や、多くの大御所から可愛がられる河本さんの社交術、生活保護受給問題や感極まって涙を流した先輩芸人への思いなどを全7回にわたって聞いた。第6回。
「この世からいなくなりたい」気持ちを止めてくれた4人の後輩たち
桝本 変な話、生活保護騒動が加熱している最中は「もうすべてから逃げ出してこの世の中からいなくなりたい」と思ったこともあった?
河本 本当にそう。特に、とろサーモンの村田(秀亮)、ソラシドの水口(靖一郎)、レギュラーの松本(康太)、天津の木村(卓寛)、この4人がいなかったら、たぶん僕は死んでる。ほんまに、そういう考えも浮かびました。
それを4人が早めに察知してくれて、夜中に車を出して1日コテージを借りて僕を連れ出してくれた。そこで他愛もない話をして、死ぬほど涙流しながら、「お笑いをしましょう」って言ってくれて。この4人の後輩は僕の恩人です。だから、彼らのことは僕が一生面倒を見ていきたいと思ってる。
桝本 この話は初めて聞いた。
河本 僕は図太くテレビや舞台も出れるものは出続けていたけど、家族にも危害が及びそうな状況になった時は、さすがに考えちゃって。その時、最後に出てくるのって「自分がいなくなること」なんだよね。それで家族が助かるなら、と。でも、死んでわびることが答えじゃないって4人が分からせてくれた。
彼らは「生きて、生きて、生きまくってください。それで先陣きって死ぬほど笑い取って、前以上のポジションまでのし上がってください。そうしないと後輩の自分たちの仕事もなくなりますから」って言ってくれた。「次死ぬって言ったら俺らで殺しますわ」とも(笑)。
桝本 ええなぁ。
河本 自分がやったことが十分あかんというのは分かってる。けどひとりになって、孤独で、真っ暗になった時って、本当にすぐ「そっち」が浮かんじゃう。でも、生きて、生きて、生きまくって、笑いを取って帰ってこなきゃいけない。僕も徳井(チュートリアル・徳井義実)も井上(NONSTYLE・井上裕介)もフジモン(FUJIWARA・藤本敏史)も、みんなそう。家庭もあって、仕送りとかもせんとあかんわけ。だから、何とかしないといけない。
桝本 準ちゃんのこういう他人を思いやれるところ、18歳の頃から変わっていない。そして失敗も受け入れて前を向いて生きているんで、こういう芸人にこそ光が当たってほしいなと僕は思ってる。
パキスタン人の男性が話した「志村けんへの感謝」
河本 その話で思い出したんだけど、まだ志村けんさんがご存命のときに、とても印象深いことがあった。
僕がひとりで銭湯に行った時、パキスタン人のおじさんが「志村けんと会うことある?」って僕にロッカーで話しかけてきたんだよね。当時はけんさんがバリバリ現役で飲み歩いている時期で、僕はけっこう可愛がってもらえて、竜さん(ダチョウ倶楽部の上島竜兵)と3人でよう飲みに行っていたから「会いますよ」って言ったら、「くれぐれも志村けんにお礼を伝えてください」と彼が話をはじめた。
その人は28年間、日本で中古車販売してきたんだけど、一時は大量の借金を抱えて、奥さんと「もう死のう」と心中を決めた日があったそう。それが、死ぬつもりの日にテレビを付けたら、志村けんという男が白塗りで出てきて大暴れしていたと。「あなたを見て死ぬのがアホらしくなった。そう伝えてください」と言われて。
これが本当にすべてだなと思ったね。僕らは視聴者から何もコメントをもらえないけど、「実はどこかで誰かを絶対に生かしているんだ」って、自分で思わなきゃって。それが、前に話したICUに入って以降の僕の考え方につながるんだけど、だからこそ自分で自分を褒めてあげないといけないと思ってる。どこかで「河本、よかったで」と言ってくれている人がいても、その声が僕に届かないなら、まず自分で今日の自分に100点をあげようって。
そのパキスタンの方は日本語もカタコトで、「志村けん」って呼び捨てだったけど、「分かりました、けんさんに伝えておきます」と僕は言った。その話は本当に刺さったし、もちろん志村さん本人にも話した。ゆっくり焼酎を飲んで、焼き鳥を食いながら「やっぱり芸人っていいよな」って。けんさんはカッコいいんです。ああいう白塗りをして、世間からバカにされても、誰か生かしてるのが本当の芸人の姿だと思う。
桝本 準ちゃん、いい背中見せてもうたんやなぁ……。
河本 僕がそういうことに気づけたのは、東京に来て、カッコいい先輩たちに出会えたから。生活保護の件は、僕はもう認めていることなんで、いくら書いてもらっても構わない。禊が終わったとも思ってない。でも、どこかで誰か1人でも救えているんだなと信じながら生きるのが、僕の道なんです。
※7回目に続く