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2026.01.25

林陵平という斬新なサッカー解説者は、どのようにして生まれたのか

林陵平という解説者が登場する前と後では、サッカー観戦の質が明らかに変わった。林の解説で試合を見ると、サッカーへの理解度がぐいと上がったように感じるのだ。斬新な解説スタイルが生まれた背景と、独自の武器を磨く方法を、選手時代、監督時代、そして現在の3つのフェーズで語ってもらった。【1回目】

林陵平という斬新なサッカー解説者は、どのようにして生まれたのか

24時間サッカー漬けの売れっ子

林陵平が、日本のサッカー観戦を変えた。

こう書いても、決して大げさではないだろう。彼がどれだけ活躍しているのか、2025年12月13日の仕事ぶりを振り返ってみよう。

まず前日の12月12日夜に、都内のスタジオでwowowの『チャンピオンズリーグダイジェスト!』に出演。明けて早朝5時からはU-NEXTのスタジオでラ・リーガ第16節のレアル・ソシエダ対ジローナをライブで解説。7時過ぎに試合が終わると、J1昇格プレーオフ決勝のジェフユナイテッド千葉対徳島ヴォルティスを解説するために千葉県のフクダ電子アリーナへ電車で移動。試合終了後はDAZNのスタジオに戻り、21時から22時30分まで『ドヨサカ ─土曜はサッカーで夜更かし─』に生出演。これが終わると今度は23時入りで午前0時からプレミアリーグ第16節のリバプール対ブライトンを解説。

いったい、いつ寝ているのか……。

これだけ引っ張りだこになるのには、理由がある。それは、林が「なぜ」をわかりやすく伝えられるからだ。たとえば、「いまのはいいパスでしたね」という程度の発言なら、競技経験がなくてもできる。林は、両チームの構造の違いによってここにスペースが生まれ、Aという選手の技術と戦術眼からいいパスが生まれた、という理由解説をするのだ。しかも端的でわかりやすい言葉を用いて。

さらには、“未来を予知する”能力にも長けている。通常の解説であれば、「押し込まれているので押し返したいですね」ぐらいで終わってしまうけれど、林は違う。「Aという選手をBという選手に替えたほうがいい」とか、「Cという選手がもう少し高い位置を取るとボールを持てるようになる」などと修正方法を明言するのだ。ハーフタイムに、世界の名将が林の言ったとおりに戦術を修正したことは、一度や二度ではない。

前置きが長くなったけれど、この唯一無二のサッカー解説はどのように生まれたのか。そして自分だけの武器をどのように磨いているのか。選手時代、東京大学ア式蹴球部の監督時代、そして解説業に専念している現在の3つのフェーズにわけて、サッカー解説を変えた男に話を訊いた。

林陵平/Ryohei Hayashi
1986年東京都八王子市生まれ。ジュニア(小学生)、ジュニアユース(中学生)、そしてユース(高校生)とヴェルディのアカデミーで育ち、明治大学へ進学。2年生からは主力として活躍、同大学サッカー部を関東リーグ優勝に導いた。卒業後は東京ヴェルディをはじめ、柏レイソルなどでフォワードの選手として活躍。2020年に引退すると東京大学ア式蹴球部の監督に就任。監督と並行して行ったサッカー解説の解像度の高さがサッカーファンの間で注目され、一躍人気解説者となった。現在はサッカー解説業に専念、サッカー観戦や戦術にまつわる書籍も上梓している。新著『林陵平のサッカー観戦術2 ー試合がもっともっと面白くなる極意』(平凡社新書)。

食事を変えたら動きが変わり、大活躍

林は、小学生の頃から東京ヴェルディの育成組織で育ち、明治大学サッカー部を経て2009年に東京ヴェルディでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートした。以後、柏レイソル、モンテディオ山形、水戸ホーリーホックなどでフォワードとして活躍する。

選手時代を振り返って、プロになれたことや長く現役生活を続けることができたターニングポイントはどこだったかを尋ねると、林はしばらく考えてから「大学時代だと思います」と答えた。

「明治の1年生のときはまったく1軍の試合に出られなくて、BチームとかCチームの試合に出ていました。でもプロになるのなら、2年生で試合に出て3年生の時点で活躍していないと話が来ない。だから2年生のときになんとかしなければいけないと思って、それまでも筋トレなどのトレーニングはやっていましたが、食事を変えると成長できるんじゃないかと考えました。自分で栄養学を学んで、揚げ物や甘い物を避けるようにしたらすごく身体が動くようになって、2年生の後期から試合に出られるようになったんです」

ちなみに、長友佑都は明治大学サッカー部での同期だ。

「長友も1年生のときは出ていなくて、2年生の後期から一緒に出るようになって、確か10勝1分の負けなしの結果を出したんです。そして3年生のときに43年ぶりに関東大学リーグで優勝して、横浜FCの特別指定選手に選ばれるようになりました。だから食事を見直した学生時代が、自分のサッカーの大きな転機になったと思います。引退したら好きなものを食べようと思っていましたが、いまも揚げ物や甘い物は食べないし、お酒も基本的には飲みません」

サッカーの試合を一切見ないという選手も多いけれど、林の場合は選手時代からサッカーを見ていたのだろうか。こう質問すると、林は「子どもの頃からめっちゃ見ていました」と即答した。

「レアル・マドリーが“銀河系”と呼ばれていた時代から、ずっと見ていました。練習が終わって家に帰ってから録画していた試合を見るという毎日です。トレーニングがあるからチャンピオンズリーグの夜中の試合は我慢して、情報をシャットアウトして練習が終わってから録画を見ようと思っているのに、ロッカールームで結果を言われちゃうのが一番イヤでしたね(笑)。高校生の頃は友だちと1日中、海外のサッカー選手しりとりをやっていたり、とにかくサッカーが大好きでした」

つまりサッカー小僧がそのまま年齢を重ねたわけで、冒頭に紹介したようなハードスケジュールも「まったく苦になりません」と語る。「好きこそものの上手なれ」を地で行くサッカー愛が、唯一無二の解説パフォーマンスが生まれた理由のひとつなのだ。

「柏レイソルに在籍していたときにクラブワールドカップの試合があって、僕は試合後に相手チームのサントスのロッカールームに乗り込んで、ネイマールのシャツをもらいましたから(笑)。あと10番をつけていたガンソという選手からはパンツをもらって、いまも上下とも自宅にあります」

とにかくサッカーが好きで、海外サッカーにも通じていた林は、現役時代に海外の試合の解説を担当している。現役選手がゲストとしてではなく解説者として出演するのは珍しいケースだろう。また、サッカー専門誌に戦術のコラムを持つなど、選手時代から現在につながる素養を持っていたことがわかる。

いくつかのチームを渡り歩いた林が現役引退を考えるようになったのは2020年、34歳のときだった。

「2020年のシーズンはレンタルでザスパクサツ群馬でプレーしていました。コンディション的にはまだできると思っていたけれど、自分の中では次のステージに向かうタイミングかなと感じていたんです。次の仕事はなにも決まっていませんでしたが、サッカーに関わる仕事ができるはずだという自信があったので、引退を選びました。最終節がアウェイの京都戦だったんですけど、前日の移動で京都駅に着いてバスに乗るときに東京大学の学生から電話が来て、来年、監督をやってもらえませんか、という話をもらいました」

林陵平本人よれば、東京大学ア式蹴球部の監督を務めた経験が、現在の解説スタイルの礎になっているという。次回は、東大の監督として学んだことを語ってもらう。

2回目に続く

TEXT=サトータケシ

PHOTOGRAPH=鈴木規仁

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