まだまだ謎に包まれた男、福田淳(あつし)。なぜだかいつも周りの人間から頼られ、案件を持ち込まれ、奔走する。そして常に国内外を飛び回り、一日一日を本気で楽しむ。多岐にわたる企業の経営を担い、タブーをタブー視せず、変化を模索する男の人生哲学とは? 第11回目は自分の人生を生きるとは? その時間の使い方について。

時間を奪っているのは「決めない」自分の曖昧さ
僕が初めて腕時計を持ったのは、小学校高学年の頃でした。父がヨーロッパ出張のお土産にスイス製のデジタル時計を買ってきてくれたのです。金色のベルトに鏡面仕上げのようなケースがついた未来的デザイン、まるで大好きなSF映画から飛びだしてきたようなその時計を見た瞬間、胸が高鳴ったのを覚えています。
それ以来、腕時計は僕の人生において大切なものになりました。デジタルから機械式までいろいろと持ちましたが、選ぶ基準はいつも、父からもらったあの時計のように、「高揚するかどうか」ということ。「時間」は人生で与えられたもっとも価値のあるものです。そして時計は自分の人生の制作進行の役割を果たしてくれる。時間をどう使うかは、同じ「時」に見えても、実はその人の過ごし方で変わるものだと思います。
意識して生きていないと人生の時間は消えていく
時間って空間の中に溶けこんでいるものだと思うのです(アインシュタインの理屈もそうなんですよ!)。時間を効率化しようとすると、その空間にあった文化のようなものも失ってしまう。例えば鉄道が走っていない地域では、皆さんクルマで移動されますよね。ゆえに大きな道路ができてA地点からB地点までクルマを飛ばせば10分になった。すごく便利ですが、目的地にたどりつくだけで、途中の風景がなくなってしまったともいえる。その風景をすっ飛ばしてしまうことで、そこにあった商店街や街並みが消えてしまうこともあるかもしれません。時間の効率化を求めることは、ある空間にあったはずの時間をなくすことにもなる。そういうふうにも考えられると思うのです。
中東のある地域では、友人に会いに行くのにアポをとらない習慣があると聞きました。1時間かけて移動して友人の家に行けば、アポなしだと留守の場合もあるでしょう。それならそれで、いいそうです。ふと今、会いたくなったから行く、その体験価値を大事にしているから、会えなくてもいいんだそうです。友人に会いに行く時間、その途中で見る景色。確かにそこには豊かな何かがあるような気がしますよね(そう考えると効率ばかり考えて過ごす時間って発想が貧しいのかも!?)。
そもそも、人間のクリエイティヴィティは「暇な時間」に発動すると僕は思います。散歩している間、寄り道している時に、ふとアイデアが浮かぶことも多いですから。そして人類の進化もまた「余暇をつくる」歴史だったのです。原始時代は狩りに行って一日が終わります。それが現代では冷蔵庫で食事を保管して電子レンジでチン。昔に比べて私たちは先人の努力により膨大な余暇を与えられているのです(AIも我々に余暇をくれることでしょう!)。
でも、なぜでしょうか。「時間がない」と常々言ってしまうのは。旅行に行きたい、遠方にいる友人にも会いに行きたい。でも「時間がない」「忙しい」と諦めてしまう。便利な家電やスマホがつくってくれた時間は、いったいどこに消えてしまったのでしょうか。
これはきっと、自分の人生をきちんと生きていないせいかもしれません。他人のことばかり意識して暮らしていると、人生の時間は無為に消え去ってしまう。すべてがクリエイティヴィティのない暇つぶしになってしまう。旅に出たいなら、まずフライトを予約してしまえばいいんです。それをすれば、自分の時間が生まれます。東京に住んでいて、久しぶりに登山がしてみたいなら次の休みに筑波山あたりに登ってみる。「下山したら温泉も行きたいな」と考えて地図を広げるでしょう。そうやって自分が求めていた時間と空間が、ひいては自分の人生が、広がっていくんです。時間を奪っているのは、仕事でもスマホでもない、「決めない」自分の曖昧さ、なのだと思います(最高の暇つぶしを見つけましょ!)。
人生の時間に関する最大のテーマは「老後」でしょう。僕には、「老後」という概念がありません。定年になって収入がなかったり、年金を貰うと「老後」なんでしょうか。「老いた後」って書きますけど、老いたその後は「死」ですよね。定年後にコンビニ店員として働くなんてと気の毒がる人もいますが、社会との接点を持ちたいって気持ちでもできますし、人は働いている限り現役なんですよ。長年勤めた会社を辞めて、それより収入が低い仕事に再就職しても、新しい出会いと刺激を感じる感性があれば、人生を楽しめていると思います。「老後」という言葉自体が社会の共同幻想みたいなもの。思い立ったら吉日、今、計画を立てて行けばいいのです(それができない理由に「老後」をつくってはダメ)。
壊れる時計にも人間味を感じる
僕が集めてきた腕時計のコレクション、実は空き巣に入られ、ごっそり盗まれてしまいました。それ以降コレクションは特に持たず、今はメゾンブランドが作ったスマートウォッチを愛用しています。なぜかこれがよく壊れてしまうのですが、でもそんなところに愛着を感じます。接続エラーが出るたびに「こいつ、またやってくれたな」なんて愛おしく、人間味すら感じるから不思議です(アップルウォッチも素晴らしいですが、壊れないから悲しい!)。
ちなみに僕は、たいていの部屋に壁掛け時計を置いていますが、寝室だけにはありません。僕はもう数十年間、何時に寝ようと必ず朝7時に自動的に目が覚める身体なのです。そして目覚めたらニュースを見て、朝食をとり、散歩へ出かけます。歩いているといろいろなアイデアが湧いてきます。クルマでも自転車でも電車でもダメなんです。歩いていると、アスファルトの隙間から春を感じることもありますし、落ち葉がゆらゆらと落ちてきて秋の終わりを感じます。ストリートにいる、大地にいることで自分の人生の時間を大切に使えると自負できるのです(“老後”も“多忙”も自分の考え方ひとつで変えられますよね?)。
空き巣に盗まれた腕時計のコレクションのなかに、父からもらったあのスイスのデジタル時計もありました。今ではなんというブランドのものだったかも覚えておらず、ただあのSFチックな見た目を頼りに、たまに画像検索をしては捜索しています。あの時の空き巣、あの時計だけでいいから、返してくれないかな、そう口惜しく今でも思いだす1本が、僕にはあります(その記憶と父の思い出が同時にでてくるので、盗られたのも悪くないか!)。
Editor’s Note|福田さんが出演するラジオ番組がスタート!
毎週木曜日22時半から、福田さんが明石ガクトさんとともにパーソナリティをつとめるラジオ番組「UMP- 未確認人物倶楽部」(interFM)が始まりました。「Unidentified Mysterious Person」の略でまだ発掘されていない才能を持った人たち(初回はスタンダップコメディアンのユリエ・コリンズ)を紹介する番組になっているそう。長尺版がSpotifyのポッドキャストで聴けます。
「これからは、オープンメディアより、心に届くクローズドメディアが流行ると思います。多メディア時代に目は忙しいけど、耳はまだ余裕がある。そして、ヘッドホンで聴くと“ながら”ではなく心に沁みます」とのこと。ぜひ、チェックしてください。

福田淳/ATSUSHI FUKUDA
1965年大阪府生まれ。連続起業家。スピーディグループCEO、STARTO ENTERTAINMENT創業CEO、ソニー・デジタル・エンタテインメント創業CEO。世界19ヵ国での出版事業、日本でタレントエージェント、LAでアートギャラリー運営、リゾート施設展開・無農薬農場開発、スタートアップ投資など世界中でビジネスを展開する。『好きな人が好きなことは好きになる』など著書多数。

