「元気ハツラツ! オロナミンC」と、崑ちゃんの声が響くと撮影現場は一気に笑いで温まる。94歳にして、現役。笑いに涙の混じる筋金入りの“話芸”に和田秀樹も思わず感激~! 元気に長生きしている大先輩にその秘訣を聞く人気連載、大村崑6回目。【対談記事はコチラ】

森繁久彌さんの話
大村 対談の1回目で森繫の親父さんは怒らなかったという話をしましたよね。絶対に人の前で怒らない。家で怒ってるかどうかはわからんけど(笑)。
和田 (笑)。
大村 親父さんは、ぼやくんですよ。例えば、宝塚劇場の向かいに行きつけのレストランがあって、そこに「朝、集合」と言われてみんなが集まってくる。親父さんはいつも同じイスに座って同じ野菜カレー食べるんです。うまいんですよ、これが。僕らも同じメニューをね。だけどある日、ちょっとおいしくなかったの。親父さんもひと口食べて「おかしいな。ちょっとこれ作った人呼べ」って。
和田 たいへんだ。
大村 呼ばれてコックさんが来た。「これ、おぬし作ったの」「はい」、「味見した?」「はい」。「これ味見したの?これプロの味かな?みんなおいしゅうないと言うてる。いつもここでみんな食べてるのに、おかしいな」ってぼやいてね。「おまはんの喉ちんこ、俺が手術してやろか」って。
和田 (笑)。
大村 そしたら支配人が飛んできて「すいません、今日のお代はいただきません」と言うんです。親父さんは「違う。そうじゃない。お金は払うよ。俺は作った本人に、いつもおいしいものがなんでおいしくないのかと考えてほしいねん。な、考えてみて」と。それでお店を出てから「なあ、1週間後にあの店に行こう。いいな、みんな集まれよ」って言うんです。
和田 いいですね。お芝居を見てるみたいに情景が浮かぶ。
大村 そう。芝居をしてるんですよ。たから次も行けるわけ。で、行きました。食べました。今度はおいしいんですよ。で、「呼べ」となって、コックさんがカチカチに緊張して来る。そしたら今度は全員が拍手で迎えて「うまい」「うまい」と言う。親父さんは「やっぱりすごいな。手術したな、喉ちんこ」って言うからみんな笑うてね。そんなことする人やねん。
和田 素敵な話です。
大村 やっぱり親父さんは特別な人だと思いますね。今もたまにその店に行って、野菜カレーを食べるのよ。涙出まっせ。親父さんの味食べて、ドーッと。ちょっと泣きたいなと思ったら、あそこ行って食べるねん。
和田 素敵な人ですね。

1931年兵庫県生まれ。昭和30年代、テレビ軽演劇『やりくりアパート』『とんま天狗』などの主演を務め一世を風靡する。大塚製薬オロナミンCのCMで国民的タレントとして地位を確立。現在は講演活動に全国を駆け回りながら、映画にも出演。著書に『崑ちゃん90歳 今が一番、健康です!』など。
大村 青山斎場で芸能関係の人の告別式があるとね、大勢集まって来るでしょ。先頭に森繫の親父さんがいる。そのうしろに僕がおる。フジテレビの露木(茂)さんが司会。「弔辞、森繫久彌殿」って呼ばれて、親父さんはスッと階段上がっていく。
和田 錚々たる顔ぶれの視線を浴びて挨拶するわけですね。
大村 みんなに一礼してね、祭壇の前に進む。紙なんか見ませんよ。大きな遺影をじーっと見つめて手を上げ「なぜ死んだ」とひと言。僕がうしろで「死んだから来たんでしょ」って言うとみんながワーッと笑う。この笑いが欲しいのよ。あんな場でもなんとか笑わそうとする。
和田 プロですね。
大村 遺影に向かって散々語り掛けて「ありがとう。今に俺も追っかけるからな。お疲れさんでした。さよならさよなら」と名演説ですよ。そのあと喪主のほうへ向かう1歩目で足がもつれるんです。マネージャーが慌てて走って来て肩を貸し、二人で寂しそうな顔でゆっくり歩く。これも芸なんですよ。
和田 そうなんだ(笑)。
大村 舞台から降りた後もね、僕が親父さんのクルマの前で待っていると、通り過ぎようとするから「親父さんご苦労さんです」って声かけるでしょ。パッと見て「あんたどなた」って。「どなたって大村崑ですわ。お忘れですか」「崑ちゃん、えっ?あんた崑ちゃんか、崑ちゃん死んだと聞いたで」って言うんですよ。周囲の人がそれ見て森繫久彌と大村崑がコントやってると笑う。それ7回やったのよ。
和田 いろんな方の葬儀で?
大村 そう。専門家がやるからだんだんうまくなる。「なぜ死んだ」から始まり「崑ちゃん死んだと聞いたで」まで一緒なのよ。仏さんは違うし、来てる人も違うからネタ一緒でもわからへんねん。だけど8回目はない。本人が死んじゃったからね。
和田 寂しいですね。
大村 うん。今僕がしてるこのメガネはね、親父さんからもらったの。6つもらったかな。
和田 そうなんですね。
大村 僕と親父さんの目の度が一緒なんですよ。不思議でしょ。だからレンズを替えずにそのまま使える。森繫の親父さんが見てた景色と僕が見た景色は一緒なの。だからうれしいのよ。
和田 いい話ですね。今の話もそうですけど、大村さんはご自身が元気なだけでなく、周りを元気にする力があります。そこがすごいですよね。
大村 それを持ってなかったら、お客さんがついてきてくれませんからね。

99歳の女性にも恋。僕の終点は103歳
大村 マンションに99歳のおばあさんがいてね。仲良かったんです。あるときね、廊下を向こうから首のない人が歩いていくる。なんやろ思うたら、杖ついて前屈みになって歩くから首がないように見えたんやね。
和田 ああ、なるほど。
大村 それが初対面。「初めまして。お元気ですね」と挨拶したら、僕の顔見て「あら、崑ちゃん。テレビいつも見てましたよ」ってきれいな声で言うの。言葉がはっきりしてる、耳も達者、口も達者。それからマンションのレストランでときどき一緒に食事をするようになりましてね。
和田 いいですね。
大村 その人、きれいに食べるのよ。食堂の食器は金属製だからご飯粒が付きやすい。だけどその人はね、お箸で上手に食べる。ネギなんかでサッと落としたりしてね。
和田 恋ですね(笑)。
大村 そう。これも恋やね(笑)。1月10日が誕生日だと聞いたんで「百歳のお祝いしましょ」と言うと「そんなことせんといてください」とはにかんでね。正月、僕は伊勢志摩に行って1月6日に帰ってきたら、その人の姿が見えない。何日か見かけなくて心配してたら、掲示板に「1月7日お亡くなりになりました」と。
和田 百歳の目前で。
大村 友達になったのにね。年取ると、そういうことがあるから寂しいよね。
和田 だけどその人も最後まで元気で、幸せだったと思いますよ。
大村 僕は103歳かな。前は102歳って言うてたけど、このごろ103歳になった(笑)。
和田 終点の話ですか。

精神科医・幸齢党党首。1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒業後、同大附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー等を経て、和田秀樹こころと体のクリニック院長に。当対談連載をまとめた『80歳の壁を超えた人たち』をはじめ、『80歳の壁』『幸齢党宣言』など著書多数。
大村 そう。今94だから、終点まであと9年ぐらい。「あんな元気やったのに朝死んでた」って、そういう死に方しようと決めてるの。だけど105歳までいったらどうしよう。
和田 (笑)。やっぱり考え方が明るいです。大村さんの話を聞いてると元気になります。今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました。
大村 いやいや、こちらこそ。今日はありがとうございました。

