まだまだ謎に包まれた男、福田淳(あつし)。なぜだかいつも周りの人間から頼られ、案件を持ち込まれ、奔走する。そして常に国内外を飛び回り、一日一日を本気で楽しむ。タブーをタブー視せず、変化を模索する福田淳という男の連載、第9回目は自分のスタイルをいかに作りあげていくのか。

1965年大阪府生まれ。連続起業家。スピーディグループCEO、STARTO ENTERTAINMENT創業CEO、ソニー・デジタル・エンタテインメント創業CEO。世界19ヵ国での出版事業、日本でタレントエージェント、LAでアートギャラリー運営、リゾート施設展開・無農薬農場開発、スタートアップ投資など世界中でビジネスを展開する。『好きな人が好きなことは好きになる』など著書多数。
お洒落である人は人としてのエネルギー量が高い
「スタイル」という言葉とともに思いだされるのは、母の存在です。子供の頃、授業参観に現れた母はシャネルの大きなサングラスをかけ、周囲の父兄とは一線を画していました。母は自分のスタイルがあるとてもお洒落な人なんです。けれど小学生の僕にとっては、目立ちすぎてちょっと恥ずかしかった記憶があります。
ファッションとは実に不思議なもので、好きに個性を表現すればいいようなものなのに、一方で極めて社会的な記号でもあります。学生時代はみんな同じ制服を着なければならないし、社会に出ても「TPOに合った着こなし」というある種の忖度が求められるんですから。ファッションがなんだか知りもしない小学生の僕でも、母が周りとは違うセンスを放っていたことを感じ取っていました。
母のサングラスに頬を赤らめていた少年も、現在はTシャツ一枚であらゆる場に出かけています。「Tシャツ一枚」と言うと、ずいぶん無頓着な、と思われるかもしれませんが、実はこのTシャツには僕なりにかなりこだわっています。袖丈、首元の開き、裾の長さ、わずかな寸法の違いが印象を決定づけるものですから、自分の身体のサイズにぴったり合ったものを、生地から選んで40種類ほどつくったこともあるんです。Vネックが好きでしたが、肌が見える部分が多いので、最近は社会性のあるプロジェクトの現場が多いこともあって、丸クビも選ぶようになりました(Vが遊び人で丸が社会人っていうのも意味わかりませんが)。
中東の民族衣装をオーダーメイド!
僕が毎日Tシャツばかり着ているのは、単に暑がりだからでもあります(重ね着は冬でも2枚までが限界!)。それなのに最近、夏は軽く40度を超えるドバイに仕事で行くことが増えています。暑がりの僕が、灼熱の都市でどう「TPOに合った着こなし」をしているかというと、カンドゥーラを仕立てました。これは白いガウンに、白い帽子のようなアラブ諸国の男性の普段着です。身体をしめつけず涼しくて快適、生地の肌触りもよく着心地がすごくいい。そしてこの衣装は、基本的にすべてオーダーメイドです。しかも現地の方が着ているものをよく見ると、襟がついているもの、カフスがついているもの、さまざまある。これはつまり、みんな自分の身体に合ったものを、好きなデザインに仕立てているということ。1枚1枚がオンリーワンなんです。
社会に適合しつつ、そこに個性をさしこむ面白さ。そしてそれぞれの身体にぴったりと合っているって、なんだかとてもお洒落で素敵ですよね。ちなみに現地の若者の間では、頭を覆う布の下にキャップを被るのが流行しています。そんなハズしのアレンジもアリなのか!? と驚き、楽しみながら僕はドバイの街を歩いています。
そもそも、お洒落であることと、人としてのエネルギー量が高いということは比例しているように思います。だって面倒くさいじゃないですか、「カフスどうしよう」とかいちいち考えるのって。けれどそこに楽しみを感じ、エネルギーを注ぐ。お洒落に生きている人は、とてもパワフルですよね。
社会と個性の狭間で自分のスタイルは完成する
先ほどから、ちょこちょこと申し上げているとおり、「自分の身体にぴったりと合うもの」が、僕にとってはもっともお洒落なスタイル。自分の身体のサイズはひととおり暗記していますし、着丈など何㎝のものが自分に似合うのかも数字で把握しています(だから試着しなくても似合うか似合わないかわかる!)。既製品を買った時は、必ずといっていいほどなじみのお直し屋さんに持っていきます。
ここ数年は新宿の小さなお直し屋さんに通い詰めていて、先日は1200円のTシャツに1500円のお直し代がかかり、お直し屋のおばちゃんに「あなた馬鹿じゃないの」と笑われました。それでも自分の身体にフィットしていてほしいから、いいんです。ちなみにそのお直し屋さんにたどりつくまでに数年、何店舗も巡りました。そのおばちゃんがもっとも丁寧で早くて、まさに職人。彼女にやってもらえなくなったら今後着るものがなくなるので、たまにお煎餅を贈ったりしてご機嫌をとっている次第です。
こんな僕でも一応スーツを着ることはあります。以前に関わった会社では、ほとんどの社員がスーツ着用だったため慌てて仕立てたこともありました。その際に「せっかくだからいいスーツを」と思ったのだけれど、いや待てよ、新しく入った奴がいいスーツ着ていたら嫌味だろうか、などぐるぐる考え、結局「それなりに上等なのに比較的リーズナブル」というもので落ち着きました。非常につまらない忖度をしつつも、それでもネクタイだけは華やかなものにしようとか、少しだけ自分を出しました(近年のネクタイは幅7㎝が主流)。
さて、ここまで読んでいただいておわかりかもしれません。僕は、参観日にシャネルの大きなサングラスをかけて現れた母ほどには、まだ潔くはなれていません。社会の視線を気にして、Tシャツの襟ぐりを変えたり、ネクタイのデザインでちょっと冒険してみたり。けれど考えてみれば、社会がなければ、服装なんてきっと気にしないでしょう。周りに人がいなければ忖度する必要もなければ個性を出す必要もないんですから(身体が丈夫で社会を気にしなけりゃターザンみたいに半裸でいい!)。だからこうして社会と個性の狭間でもがきながら、自分のスタイルを見つけること、それそのものが、ファッションではないかと思うのです。そして少し大袈裟に言えば、そうやって楽しみつつもがくことが、僕にとっての「生きる」ってことなのかもしれません。
Editor’s Note|スモールギフトで日々の感謝を示したい
取材中、お直し屋の職人さんにお煎餅を贈ったというエピソードから、話は外れて福田さんの「スモールギフト論」へ。ドバイではデリバリーの配達員の方にチョコレートを、ロサンゼルスではホテルのドアマンにスターバックスのカードを渡したり。日々支えてくれる人たちにちょっとしたギフトを差し上げるのが好きなんだとか。
「何度も配達に来てもらったり、お直し屋の人には急いでもらったりと、わがままを言ってますから。渡す際に、時々『?』って顔されることもあるけど、気持ちを形で示すことはとても大事だと思っています」