PERSON

2025.01.27

人気サッカー漫画『フットボールネーション』生みの親、大武ユキとは何者か

1990年のデビュー以来、30年以上に渡り、漫画家として活動してきた大武ユキさん。現在も連載中の『フットボールネーション』は累計発行部数200万部を誇り、熱烈なファンを数多く持つ。ところが、漫画家になったのは、「なんとなく流れで」と明かす。その経緯とは。3回目。

大武ユキ/Yuki Otake
神奈川県出身。女子美術短大卒業後、漫画家になり、1990年、大学サッカーを描いた『サッカーボーイ』(ペンネームは柴田文明)で本格的にデビュー。1993年、ペンネームを大武ユキに変更。現在、『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて『フットボールネーション』を連載中。熱狂的なサッカーファンで、FC東京、横浜FC、FCバルセロナ、チェルシーFCのサポーターでもある。

デビューのきっかけは“スカウト”だった

大武ユキさんのデビュー作は、1990年、『小説Wings』に掲載された『サッカーボーイ』。しかし、本人に確認すると、「うーん、そうなのかな。その前から、同人誌などで作品を発表していたので、どれがデビュー作なのか、自分でもよくわからないんです(苦笑)」という答えが返ってきた。

「子供の頃から漫画は好きで、少女漫画から少年漫画まで、ものすごく読んでいました。中学高校時代は漫研(漫画研究会)に所属し、友人たちと漫画を描いて文化祭で売ったり、コミケに出したりしていましたしね。でも、漫画家になりたいと思っていたわけではないんです。親の勧めもあって美大に進学しましたが、そこの漫研はレベルが高過ぎて、『私にはムリ!』と思って、入らなかったくらいですから」

そんな少女がなぜ、キャリア30年以上、累計発行部数200万部超えのベストセラーを手掛ける人気漫画家になれたのか。

「女子美術短大在学中に出した二次創作の同人誌がきっかけで、漫画情報誌の『ぱふ』の編集者の方と知り合いました。その後、編集部に出入りするようになり、『オリジナルを描いてみないか』と誘われて。いわゆるスカウトデビューですね。当時はそれが珍しくなくて、私のような形でデビューした人は周りにも、けっこういた気がします。

ちょうどバブル期の売り手市場だったので、就職先はどこかしらあっただろうとは思います。でも、就職活動は一切せず、編集部に頼まれるままに、なんとなく漫画を描いていたんですよ。いわば、流れで漫画家になったようなものですね。

でも、今思えば、私に普通のお勤めはムリだったかも。当時から、朝起きるのが、ものすごく苦手だったから(笑)」。

ちょっとツンデレな愛猫、totoは11歳、ブリティッシュショートヘアーのオス。名前の由来は、スポーツくじのtoto。

漫画家としての覚悟が決まったのはデビューから6年後

なんとなく流れで漫画家になり、オファーがあれば作品を描く。その間も、大武さんのサッカーに対する情熱は冷めることなく、むしろ高まる一方で、お気に入りの選手が大学を卒業し、全日空サッカークラブに入団すると、JSLの試合も観戦するように。ワールドカップイタリア大会のアジア予選、日本VS香港を現地で観戦するなど、日本代表もウォッチし、FCバルセロナなど、海外サッカーにものめりこんだ。

「これは今もなんですが、1日の予定を立てる時に最優先しているのがサッカー観戦。プレミアリーグの生中継を含め、観たいサッカーの試合と別件が被ってしまったら、別件の予定をずらしてもらっているくらい(笑)。ここ数年は忙し過ぎて、推しのFC東京や横浜FCの試合を、なかなか生で観戦できないのが悩みですが」

漫画よりもサッカーにウェイトを置いていた大武さんが、漫画家として“覚悟”を決めたのは、1996年、高校サッカーを舞台にした『我らの流儀』の連載がスタートした頃。ペンネームも、本名に近い「大武ユキ」に変えた。

「ペンネームを変えたのは、親を喜ばせたかったから。私が漫画を描いていることが、けっこう嬉しかったみたいで、周囲に触れ回っていたらしいんです。本名を彷彿させるペンネームだったら、親も自慢しやすいかなって(笑)。

父は建築家で、母は美容師。二人共、手に職を持っていたからか、私が漫画家を生業にすることに一切反対しませんでした。そもそも、美大に進学するのを勧めたのは父。私が、普通に大学に進学し、普通にお勤めをして…というタイプではないと、わかっていたんでしょうね。父の周囲には、クリエイティブな仕事をしている女性がたくさんいて、彼女たちをカッコイイと思っていた節もある(笑)。私にも、そんな風に仕事をしてほしかったのかもしれません」

最初に好きになったのは、1986年、第65回全国高校サッカー選手権で優勝した東海大一高のDFで、後に日本代表となった大嶽直人選手だったそう。「DFやボランチが好きなので、点の取り合いより、ガチガチに守り合う試合が大好物です」。

もっとも、「覚悟が決まった=漫画家として有名になりたい」というわけではなかった。サッカーをはじめ、自分が好きなテーマを“楽しく”描き、そこそこ食べていかれればいい。『我らの流儀』連載開始後も、大武さんは、ずっとそのスタンスで仕事と向き合ってきた。

そのスタンスを大きく変えたのが、『フットボールネーション』であり、主人公の沖千尋をはじめ、主要な4人のキャラクターだった。

彼らを世に出したい、出さねばという想いで、大武さんは人生初となる“売り込み”をし、何度断られてもあきらめることなく、ネームを編集部に持ち込み続けた。最初の持ち込みから8年後の2009年に、ようやく連載がスタートしたのは前述(連載第二回)の通りだ。

「この作品は、より多くの人に読んでもらいたいという気持ちが強いんですよね。おこがましいかもしれませんが、この作品が多くの人の目に触れることで、日本のサッカーが少しでも変わるんじゃないかと、本気で思っています」

『フットボールネーション』に熱い想いをかけている大武さんだが、2020年8月号から約1年、連載を休止。理由は、乳がんの治療に専念するためだった。

インタビュー連載最終回では、がんに罹患してからの人生観・仕事観の変化などについて語ってもらう。

※4回目に続く

TEXT=村上早苗

PHOTOGRAPH=鈴木規仁

PICK UP

STORY 連載

MAGAZINE 最新号

2025年3月号

自分らしい、靴と鞄

GOETHE(ゲーテ)2025年3月号

最新号を見る

定期購読はこちら

バックナンバー一覧

MAGAZINE 最新号

2025年3月号

自分らしい、靴と鞄

仕事に遊びに一切妥協できない男たちが、人生を謳歌するためのライフスタイル誌『ゲーテ3月号』が2025年1月24日に発売となる。今回の特集は“靴と鞄”。エグゼクティブが実際に愛用するものから、オンとオフを格上げし、ライフスタイルを充実させる「自分らしい」靴と鞄を紹介する。表紙にはSnow Manの目黒蓮が初登場。

最新号を購入する

電子版も発売中!

バックナンバー一覧

SALON MEMBER ゲーテサロン

会員登録をすると、エクスクルーシブなイベントの数々や、スペシャルなプレゼント情報へアクセスが可能に。会員の皆様に、非日常な体験ができる機会をご提供します。

SALON MEMBERになる