国内の集客数No.1を誇る女子プロレス団体スターダム。その所属レスラーの一人である中野たむは、人気・実績ともにトップクラスだが、そこに至るまでの道のりは険しいものだった。その半生を前後編に分けて振り返る。インタビュー前編。

地下アイドルを経て半ば強制的に始めさせられたプロレス
中野たむの人生は挫折の連続だった。
3歳から始めたバレエは、中学時代に努力ではカバーできない才能の差を感じて諦めた。次に夢見たダンサーは、職業として食べていくことの難しさや競争率の高さから限界を感じていた。そうしたなか、地下アイドル「カタモミ女子」の新メンバーに誘われた。
「その頃は店舗型アイドルが流行っていて、お店でお客さんの肩もみをしながらライブ活動も行うというものでした。お店は繁盛しているのに、ライブのお客さんは増えない。週5~6日、朝10時から夜10時まで働くようになって、お店のほうがメインという状態でした」
モチベーションの差にも悩んだ。アイドル活動を主軸にするため、有志のメンバーで独立してアイドルグループ「info.m@te(インフォメイト)」を結成。順調に進むと思った矢先、プロデューサーが急に”飛んで”しまう。
幼い頃から責任感が強かった中野は自然と、CDやチラシの作成、楽曲制作・レッスンの依頼、振り付け、会場の手配などを全部一人で抱え込むようになった。
ライブ当日の朝4時頃になっても、家で延々とCDを焼く作業が終わらず「何をやっているんだろう。こんなことしていて、(アイドルの聖地ともいわれる)武道館なんて立てるわけない」と感じていたという。
「頑張っても、頑張っても、先が見えない真っ暗闇みたいな感じでした」
精神的にもかなり追い詰められ、まさにドン底だった中野。
アイドル活動に限界を感じ、もう辞めようと思っていた頃、たまたま出演した舞台の共演者に紹介されたのが、女子プロレス団体「アクトレスガールズ」の代表、坂口敬二だった。
「関西弁で『たむ、お前スターになれるで。1回練習見に来てみいや』と言われて。アイドルの頃にプロレスを1回だけ見たことがあって、そのときは怖くて泣いてしまっていたので、もちろんすぐ断ったのですが、坂口さんの押しが強くて……。
練習を見に行ったら『みんな紹介するで、練習生や』とほぼ強制的に参加させられました。でも参加したら、選手のみんなが『たむちゃんすごい!こんな子今までいなかった』ってすごく褒めてくれるんですよ」
これまでのバレエやダンスの経験が生きたのか、急な練習にもかかわらずマット運動や3分間の倒立なども難なくこなせて、エルボーの打ち合いも意外と平気だった。「これならできそうだし、輝けるかもしれない」と感じたという。
「アイドル時代のファンに『メジャーデビューまで頑張るから応援してね』と伝えていたのに、結局何もできないままに終わったという悔しい思いがありました。プロレスなら、もしかしたらファンのみんなに恩返しができるかもしれない。だから続けてみようと思ったんです」

3月22日愛知県安城市生まれ。アイドル活動を経て、2016年にプロレスラーデビュー。2017年に女子プロレス団体「スターダム」に所属。2020年にリーダーとして「COSMICANGELS」を結成し「アーティスト・オブ・スターダム王座」を戴冠。史上最多となる7度の防衛に成功し、週刊プロレス主催のプロレスグランプリ「ベストユニット」に3年連続で輝く。2023年には団体最高峰のベルト「ワールド・オブ・スターダム王座(赤いベルト)」と「ワンダー・オブ・スターダム王座(白いベルト)」を戴冠し、史上2人目の赤白2冠王者となり、東京スポーツ新聞社制定「2023年度プロレス大賞」女子プロレス大賞受賞。X:@tmtmtmx Instagram:@tam_nakano
体がダメになっても、最後に見つけたこの道をやりきりたい
しかし、デビュー戦を数日後に控えた練習で首にケガを負ってしまう。頚椎椎間板ヘルニアと診断され、医者からはこのまま続ければ半身不随になる可能性があるとまで言われた。
「デビューもできないまま終わるのかと絶望状態でした。夢をつかもうと思っても、つかみかけたところで全部消えてなくなっちゃう。バレエもダンスもアイドルもダメで、私って全部ダメなんだなって……」
当時を振り返る中野の目から、涙がこぼれ落ちた。
「でも、ひとしきり泣いたら『もう、諦めるのを止めよう』って思えてきて。『ここで諦めたら、私は何者にもなれなくて、本当にここで終わる。それなら、体がダメになる可能性があったとしても、最後に見つけたこの道をやりきりたい』と考え、デビュー戦に出場することを決めました」
首の痛みが抜けないまま迎えたデビュー戦。
対戦相手はアクトレスガールズのエース、安納サオリ。持てる限りの全力を出し切ったが、当然のごとく負けてしまう。
しかし、その全力で戦う姿勢に感化された観客の拍手は鳴りやまず、試合後の売店には多くのファンが並ぶようになった。
「私は感情表現があまり得意じゃなくて、ダンスや歌でなら表現できると思っていました。でもなぜか、プロレスのほうが比じゃないぐらい表現できるし、自分でさえ知らなかった本当の気持ちもリングの上だと出せる。
普通、悔しさや怒りがあっても、泣きわめいたり、人を罵ったり、叩いたり、物を壊したりはしないし、できない。でもプロレスラーなら、お客さんの気持ちを乗せて一緒に戦えるんですよね。
これまでいろいろ経験してきましたけど、自分にとってプロレスが最高峰のエンターテインメントだなと思います」
その後、アクトレスガールズだけでなく他団体にも参戦するようになり、大仁田厚との興行で電流爆破も経験。
病院に救急搬送されることもあったが、死の危険と隣り合わせだからこそ、生きていることを感じられる。次第に「プロレスラーとして本物になりたい」という気持ちが大きくなっていった。

憧れの岩谷麻優と同じ目線に立ちたくて新ユニットを結成
そして自身の求める本格的な試合を行うため、スターダムへ移籍。ヒールユニット「大江戸隊」に加入するも、またも首を悪くして長期欠場してしまう。
復帰戦となった試合は、敗者が強制的にユニットを脱退させられる試合。そこで中野は負けてしまい大江戸隊を強制脱退することに。
行き場のなくなった中野に手を差し伸べたのが、“スターダムのアイコン”と呼ばれる岩谷麻優だった。そして、岩谷率いる正規軍「STARS(スターズ)」に加入する。
「私のプロレスは、全部岩谷麻優でできていると言っても過言ではないくらい。初めてベルトを取ったのも岩谷麻優とだし、辞めたいって泣きわめいた時も岩谷麻優が引き止めてくれたから、プロレスを続けられました」
STARSで過ごすなかで、岩谷に憧れてパートナーになりたいと常に思っていた中野。しかし、岩谷が選ぶのはいつも他のメンバーで、自分が正式なパートナーに選ばれることはなかった。
次第に「岩谷麻優にとっては、私はまだ弱くて可愛い後輩のたむちゃんなんだな」と気づき、岩谷と同じ目線に立つためには、「同じことをするしかない」と考えた。
そこで、岩谷がかつて自分に手を差し伸べてくれたように「私も誰かを導いてあげる人になりたい」との思いから、2020年11月に新ユニット「COSMICANGELS(コズミック・エンジェルズ、通称コズエン)」を結成する。
メンバーはリーダーの中野に加えて、新たにスターダムに参戦してきた白川未奈、ウナギ・サヤカの3人。間もなく同年12月にはSTARSから独立した。
「3人ともアイドル出身ということで最初は舐められていて、アンチのお客さんも多くて大変でしたね。白川とウナギも移籍してきたばかりで、キャリアが浅く何もできないから、タッグマッチでも私がほぼリングに出ている感じでした」
その後、早々に6人タッグのベルト「アーティスト・オブ・スターダム王座」を戴冠したが「なんでこんな弱い奴らが……」と反感も多かったという。
しかし、同王座の最多防衛記録を更新し始めた頃から、観客の応援の声も増えていき、『週刊プロレス』読者が選ぶ「プロレスグランプリ2021」ベストユニットに輝いた(以降3年連続で受賞)。
その人気の秘訣はどこにあったのか。
「結成当初のコズエンは弱いところが強みなんです。アイドルやいろんな芸能活動で泥水すすってきて、人生の苦悩や挫折をたくさん味わってきた。アスリートではない、普通の女の子たちが、弱いけど頑張ってベルトを守る。
『プロレスラーは強くなければいけない』という概念がありますが、私たちはそういう強さを全面に押し出したプロレスラーにはなれないってわかっていたから、弱さもさらけ出した。弱い私たちが死に物狂いで顔面ボロボロになりながら、かわいさのかけらもなくなって、負けそうになりながらも、強い気持ちと泥臭い根性で勝ちをつかみにいく。
そういうところがファンの方たちの希望になるんじゃないかと思って、そこを見せていくユニットにしていきました」
スターダムが設立されるきっかけとなった、グラビアアイドル・愛川ゆず季のプロレスラーデビュー戦も同様に、アイドルが参戦することへのプロレスファンの反感が強かった。しかし、そこで愛川は体がボロボロになるまで戦って、顔面を腫らした状態で試合後のインタビューを受け、本気であることを見せつけてプロレスファンの支持を得たという。
中野が結成したユニットの構想は、スターダムの原点に通じるところがあったからか、徐々にファンの支持を得るようになっていった。

リーダーの成果は、何人のリーダーを育てられたか
そうして立ち上げたユニットだったが、しばらくしてオリジナルメンバーである白川未奈は別のユニットを立ち上げて独立。ウナギ・サヤカはスターダムから離脱した。
それぞれ別の道を歩むことになってしまい、リーダーとしての力不足を感じて悩んでいたが、父親に励まされたという。
「父は会社の社長をやっていて多くの部下を抱えているんですけど、『リーダーの一番の成果は、何人のリーダーを育てられたかだよ。だからよく頑張っていると思うよ』と言ってくれて。私は間違ってなかったんだと嬉しかったですね」
そこ言葉どおりコズエンのオリジナルメンバーは、それぞれ「リーダー」と呼べるような活躍を果たしている。
白川は独立後、持ち前の英語力を活かして海外進出。アメリカのAEWにスターダム所属として初めて公式参戦し、イギリスのRPWで第9代新統一英国女子王者となった。
ウナギ・サヤカは国内の各団体に参戦して話題を呼び、後楽園ホールで自主興行を成功させるなど独自路線で成功した。
「3人で組んでいたあの頃は、私のプロレス人生において宝物だなって今でも思います。白川とウナギがいたからコズエンがベストユニットになれた。
2人とも言うことを全然聞かない暴れん坊だったし、まだ弱かったけど、あの頃は本当に心強かった。
地下アイドル時代もリーダーでしたが、メンバー間でモチベーションの差が大きくてうまくいかなかった。あの頃のコズエンはメンバーがみんな本気だったし、向いている方向が同じだったなと思います」
ちなみに、中野たむ個人としてのプロレスラーとしての「強み」について尋ねると、ユニットと同様、「弱み」にも聞こえてしまうような答えが返ってきた。
「挫折を人よりも多く味わってきたことが強みですね。やっぱりお客さんって、選手に自分を投影していると思います。今の世の中って生きることに苦しんでいる人が多くて、私は苦しみを投影できる選手だから、ファンの人が感情移入して応援しやすい。
私はその時の感情をカッコ悪いところを含めて、リング上で全部さらけ出しちゃうんですが、そういうところも合っているのかなと思います」
これまで挫折を重ねてきたことが、かえってお客さんに応援されやすい要素となり、弱みが強みになる。こうした価値の転換が起こるプロレスは、中野たむにとって天職だったといえるだろう。