パリ五輪で初採用された競技、ブレイキン。その女子の部で優勝したAMI(25)はカルチャーとしてのブレイキンをこよなく愛する。2020年12月に五輪採用が正式決定した際には戸惑いもあったが、日本代表コーチを務める恩師・石川勝之(43)の後押しもあり、スポーツ競技になった五輪に挑戦。葛藤を乗り越えて初代女王に輝いたB-Girlの素顔に迫る。
カルチャーとしての側面を知る者が競技に関わるべき
パリ五輪のブレイキン会場となったコンコルド広場。特設スタジアムの表彰台の真ん中でAMIが夢見心地に浸った。
「全部出し切れてステージを楽しめた。最高って感じでした。本当だったら泣きたいくらい嬉しいはずだけど、ちょっとフワフワしています」
2019、2022年の世界選手権覇者が前評判通りの強さを発揮。決勝で2023年の世界選手権覇者のドミニカ・バネビッチ(17・NICKA)に3-0(6-3、5-4、5-4)でストレート勝ちするなど、危なげない戦いで頂点に立った。「戦うのは練習で、大会はパーティー」。流れるような技と、洗練された回転技で存分に自己を表現した。
ブレイキンは大きく分けてカルチャーとスポーツの2種類があり、AMIはカルチャーを愛する。2020年12月に五輪採用が決まった時は「スポーツという大きなものにブレイキンが押しつぶされるんじゃないか」と不安があり、五輪代表の選考レースに参戦するか悩んだ。
五輪を目指すことを決断したのは、日本代表の石川勝之コーチの存在があったからだ。
ブレイキンを始めた小学5年の頃から指導を受け、高校時代にはオーストラリア、シンガポールなど世界を一緒に転戦。ロシアで師弟ペアバトルに参戦したこともある。
カルチャーを誰よりも愛する石川コーチが、「カルチャーを知る人材がスポーツにも関わらないとブレイキンがダメになる」との使命で日本ダンススポーツ連盟ブレイキン部長に就任し、奔走する姿に感銘。「私も挑戦しよう」と腹を固めた。
従来は「出たい大会に出る」のが業界の常識だったが、五輪出場権獲得には予選レースに出ることが不可欠。重圧のかかる大会が続き「プレッシャーに耐えられず、ダンスがつまらなくなった」と落ち込んだ時期もあった。
優勝者に五輪代表権が与えられる2023年9月の世界選手権(ベルギー・ルーヴェン)でベスト16で敗退すると、舞台裏で号泣。メンタルが崩壊しかけ、本気で引退も考えた。
ブレイキンは自己表現でありアート
その数日後、石川コーチから温泉に誘われた。関東近郊へのプチ温泉旅行は、ふたりの信頼関係構築に一役買ってきた恒例行事。約1時間の車中で「五輪に行けなくても俺らの絆は変わらない。何か変わることある? 踊っているのは勝つためじゃない」と言葉をかけられ、引退を踏みとどまった。
周囲から師弟と言われるが、石川コーチは「弟子という感覚はない」と言い切る。「妹でもない。仲間です」。18歳離れていても何でも言い合える間柄。新時代の選手とコーチの関係が自己表現や楽しむことを念頭に置くブレイキンを象徴する。
AMIはファッションへのこだわりも強く、入場、予選、準決勝、決勝をすべて違う衣装で出場した。子供の頃から裁縫が好きで、中学時代は手芸部。閉会式や帰国時に被っていた日本国旗柄の毛糸の帽子は手作りだった。
ブレイキンは2028年ロサンゼルス五輪では競技から除外されるため、AMIは最初で最後の五輪女王になる可能性もあるが、大きな問題ではない。
「カルチャーもスポーツもいい意味で一緒だった。国とかに関係なく皆が一丸になって楽しむ。違う点は今まで見に来たことのない人が見に来てくれたこと。ブレイキンを知らない世界の人にも伝えられた。今は(スポーツのブレイキンを)やってよかったと思う。ロス五輪でやってほしかった気持ちはあるけど、五輪がすべてではない。私の中でブレイキンは自己表現だしアート」
カルチャーでもスポーツでも、目的は変わらない。すべてのステージを「自分をレペゼンするチャンス」と捉えている。
レペゼンは「represent」を略したヒップホップ用語で「~を代表する・象徴する」「自己表現」を意味する。ストリートでも五輪でも踊れる場所がある限り、魂を込めたステップを踏み続ける。
湯浅亜実/Ami Yuasa
1998年12月11日埼玉県生まれ。姉の影響で小学1年からヒップホップを習い、小学5年でブレイキンを始める。2018年に世界最高峰大会「レッドブルBC One」の初代女王に輝いた。2019、2022年世界選手権で優勝。趣味は編み物、ランニング。毎朝8時に起きてストレッチするのがルーティン。身長1m55cm。