戦後初の三冠王で、プロ野球4球団で指揮を執り、選手・監督として65年以上もプロ野球の世界で勝負してきた名将・野村克也監督。没後4年を経ても、野村語録に関する書籍は人気を誇る。それは彼の言葉に普遍性があるからだ。改めて野村監督の言葉を振り返り、一考のきっかけとしていただきたい。連載「ノムラの言霊」39回目。
「愚痴」と「ボヤキ」
野村克也といえば、「ボヤキ」である。
愚痴とボヤキは似ているが、「愚痴(グチ)」とは、言っても仕方のないことを言って嘆くこと。自分の中に溜まった不平不満を他人に漏らすことだ。
一方、「ボヤキ」とは他人に聞かせるのではなく、ひとりでぶつぶつと小言を言うような状態である。
野村は自らをこう評した。
「捕手の習性だ。打者の弱点ばかり探しているから、自然と性格がそうなってしまう。捕手というのは理想主義者、完璧主義者でなければならない。理想と現実は重なりそうで重ならない。そのギャップが私をボヤかせるのである」
野村は捕手のマスクを被った時、まず完全試合を狙い、四死球を出したら次にノーヒットノーランを狙い、安打を打たれたら次に完封試合を狙った。
捕手として2921試合に出場しながら(選手としては3017試合)、1度も完全試合やノーヒットノーランの大記録は経験できずじまいだった。
しかし、リードで多くの投手を育て上げたのは、そのような理想や向上心があったからに他ならない。
「ワシからボヤキをなくしたら野村でなくなってしまう。ボヤキは永遠なり、だ」
楽天監督時代の「ボヤキインタビュー」、そして野球評論家時代の「ボヤキ解説」は、理想と現実のギャップをこれでもかと語って、野球の奥深さを伝えてくれた。
野村のボヤキが名捕手を育てた
野村はヤクルト監督時代に古田敦也、阪神監督時に矢野燿大、楽天では嶋基宏(3人とも捕手)を、攻撃時のダグアウトで自分の横に座らせてボヤき続けた。
「次の球種はフォークやな」
「ランナーは次、走ってきそうや」
古田は「最初は全然分からなかった。なぜ、当たるのだろう」、矢野は「ボヤキを聞いて、感じて考えなさいということだと思った」と後に語った。
嶋には、野村がこう教えた。
「リードに困ったら外角低目が基本だ。基本があって応用がある。『観察力』と『洞察力』を大切にしなさい」
打者が投球を見逃した時、そのタイミングの取り方、スイングの体重のかけ方、仕草を観察し、打者の狙い球を洞察しなさいということなのだ。
「ノムラ野球」とは、打ち勝つよりも「投手力を含めた守りの野球」だが、実は配球論を学ぶと防御面より攻撃面ですぐ効果が表れる。
古田はプロ2年目に落合博満(当時中日)を振り切って、首位打者を獲得。リードも成熟し、プロ3年目の1992年にヤクルトはリーグ優勝した。
矢野は、野村の阪神監督就任1年目に打率3割を初めて打った。そして2003年に、チーム18年ぶりのリーグ優勝に導いた。
嶋は野村の薫陶(くんとう)を3年間受け、野村が退任した翌年の2010年に打率3割を記録。2013年には正捕手として、楽天球団創設9年目でのリーグ優勝、日本一を成し遂げている。
捕手出身監督は中嶋聡と阿部慎之助
現在、12球団における捕手出身監督は中嶋聡監督(オリックス)と阿部慎之助監督(巨人)のふたりだ。
中嶋は実働29年現役のプロ野球記録を持ち、監督就任後はリーグ3連覇を成し遂げている。捕手のマネジメント能力を活かした采配は、すでに実証済みだ。
阿部は現役時代通算2000安打、ゴールデングラブ賞4度受賞の名捕手であった。新監督として巨人4年ぶりの覇権奪回を目指す。どういう采配を見せるか興味深い。
現在、捕手として実績があるのは2023年WBCに出場した甲斐拓也(ソフトバンク)、中村悠平(ヤクルト)、大城卓三(巨人)、年ゴールデングラブ賞の坂本誠志郎(阪神)、若月健矢(オリックス)、そして梅野隆太郎(阪神)もいる。
特に古田と嶋(現ヤクルトコーチ)の流れを引く中村、矢野の流れを引く坂本のリードには味がある。
他にも「井端弘和ジャパン」に選ばれた坂倉将吾(広島)、山本祐大(DeNA)、古賀悠斗(西武)らは捕手として伸び盛りだ。
どの捕手も野村のようにボヤくかどうかは別にして、投手をどのようにリードしチームを上位に押し上げていくのか、楽しみである。
まとめ
野村のボヤキは理想主義、完璧主義からきていた。言わんとすることは、「観察力」と「洞察力」を大事にし、常に上を目指していくことが大切だということだ。
著者:中街秀正/Hidemasa Nakamachi
大学院にてスポーツクラブ・マネジメント(スポーツ組織の管理運営、選手のセカンドキャリアなど)を学ぶ。またプロ野球記者として現場取材歴30年。野村克也氏の書籍10冊以上の企画・取材に携わる