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2023.11.08

【野村克也】育成の中途半端さは、選手を骨の髄まで腐らせる 

戦後初の三冠王で、プロ野球4球団で指揮を執り、選手・監督として65年以上もプロ野球の世界で勝負してきた名将・野村克也監督。没後3年を経ても、野村語録に関する書籍は人気を誇る。それは彼の言葉に普遍性があるからだ。改めて野村監督の言葉を振り返り、一考のきっかけとしていただきたい。連載「ノムラの言霊」21回目。

野村克也連載第21回/中途半端は、骨の髄まで腐らせる

中日の根尾はどう育てるのか?

「中途半端な育成」と言っては失礼だが、真っ先に思い浮かぶのは根尾昂(大阪桐蔭高→中日)ではないだろうか。

2018年のドラフトでは、遊撃手兼投手の根尾を中日、日本ハム、巨人、ヤクルトの4球団が指名し、抽選で中日が交渉権を獲得した。

ちなみにこの年のもう一人の人気遊撃手、小園海斗(兵庫・報徳学園高)はオリックス、DeNA,ソフトバンク、広島の4球団が指名し、抽選で広島が交渉権を獲得した。

さて、高校時代の根尾は1年夏からレギュラーとなり、甲子園では2年春、3年春に全国制覇の“胴上げ投手”の栄誉に浴する。3年夏は甲子園決勝で“金足農業旋風”を巻き起こした吉田輝星(現・日本ハム)からバックスクリーンにライナーで叩き込む豪打を見せた。

2013年から2017年まで大谷翔平(花巻東高→日本ハム)が“投打二刀流”で大成功を収めていたこともあり、根尾にも二刀流の期待が高まっていた。

しかし入団時、根尾自身が「ポジションは遊撃一本で行かせてください」と遊撃に専念する意向を宣言。

新人の2019年は2試合。2020年は9試合、プロ通算17打席目に初安打をマーク。プロ3年目の2021年開幕戦、8番レフトでスタメン出場。

「遊撃としては守備が不安。遊撃には京田陽太もいるし、外野なら根尾の強肩を活かせる」というチームの判断だった。

実は、高校出の遊撃手としては前出の小園と根尾でナンバーワン遊撃手の評価は二分されていた。しかし、「遊撃手としては短い距離を投げることに難がある」という根尾評もあったようだ。

それでもこの年、DeNA・大貫晋一から初本塁打をマーク。しかも満塁本塁打という球運を持っているところを見せたのはさすがだった。

72試合に出場。成績は169打数30安打で打率.178、1本塁打16打点。評価は外野手としてはパワー不足だった。

2022年、立浪和義が新たに中日監督に就任。高卒新人ながら遊撃ゴールデングラブ賞受賞という立浪だけに、根尾をどう育てるかに注目が集まった。

これまでの根尾は、投手、野手の両方で素晴らしい才能を感じさせたことで育成プランが定まらず、伸び悩みにつながったとも考えられる。

プロとして一人前になるには数年かかると言われているなかで遊撃、外野、そして投手と転々とした根尾。すべてのポジションで中途半端になってしまった感じがある。

2022年4月21日、遊撃手に再コンバートという司令が下った。シーズン途中に野手から投手へ異例の転向ながらも、5月21日には投手として初登板を果たし、この年は投手として25試合登板0勝0敗1ホールド、防御率3.41という成績を残した。

根尾はコンスタントに150キロをマークする投手としてのポテンシャルを持っている。

2023年は2軍で23試合に登板し0勝7敗、うち先発は9試合、防御率3.43。1軍では9月18日の広島戦と9月30日の巨人戦の2試合に先発、0勝0敗、防御率0.71。プロ初勝利を挙げられなかったが、来季に大きな期待を抱かせる内容だった。

リリーフから始まった投手人生は、先発投手としての道を歩み始め、2024年の飛躍を感じさせる。

強打の遊撃手から“生きる道”を見つけ出した土橋と元木

野村克也がヤクルト時代の二塁手・土橋勝征は、入団時、千葉県屈指の強打者だった。地方予選で5本塁打(県記録)をマークし、投手兼遊撃手の土橋は甲子園未出場ながらドラフト2位指名の高評価を受けた。

だが、野村の考えでは打者は「長距離打者」と「短距離打者」の2種類。だから「中距離打者」など存在しない。野村にはどうしても土橋が長距離打者には思えなかった。

しかも当時のヤクルトの遊撃には池山隆寛、三塁にはボブ・ホーナー、ダグ・デシンセイとメジャーを代表する選手が入団、さらに人気者の長嶋一茂も控えていた。

「育成の中途半端は選手を骨の髄まで腐らせてしまう」

野村は土橋を「二番・二塁手」で起用した。1995年と1997年の優勝で、土橋は“陰のMVP”だった。1995年はセ・リーグトップの32二塁打。1997年は規定打席未満ながら107安打で打率.301、61打点を叩き出した。最終的に通算1000安打も達成している。

もう一人。元木大介(巨人)は大阪・上宮高時代、甲子園で6本塁打をマークしたスラッガーだった。

巨人入りを熱望していた元木は、1989年ダイエー1位指名を拒否。1年間の浪人生活を経て、翌1990年ドラフト1位で巨人入りを果たした。

1992年から一軍で出場。内野すべてのポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして活躍した。

オールスターゲームでは、初出場の1998年は遊撃手、翌1999年は三塁手にファン投票で選ばれる。キャリアハイは1998年。114試合118安打、打率.297、9本塁打55打点。得点圏打率1位と勝負強かった。右打ちも巧みで、長嶋茂雄監督から「くせ者」「スーパーサブ」と評された。

この1998年、巨人の中心選手は松井秀喜、清原和博、高橋由伸、広澤克実、石井浩郎らホームラン打者があふれていた。元木は自分の“生きる道”を見つけたのである。

新庄監督の「アンダースロー転向」の提案で開花した投手

根尾同様、遊撃手としての送球という観点からすれば、中日の荒木雅博も守備が不安だった。熊本工高時代は遊撃手だが、肩の腱が出ていて右肩が上がらない。横からのスローイングが多い二塁手なら問題ない。

2007年日本シリーズ第5戦、山井大介から岩瀬仁紀の継投・完全試合。最後の二塁ベース寄りのゴロを無造作に一塁送球したかのように見えたが、イップス気味のところがあるので、逆に思い切ったプレーをしたようだ。2004年から6年連続二塁手ゴールデングラブ賞に輝き、井端弘和との“アライバコンビ”で一世を風靡。通算2000安打も達成した。

前出の元木と同期の日本ハム監督・新庄剛志は、サイドスローの鈴木健矢に対し、アンダースロー転向を提案。プロ2年間で未勝利だった鈴木は、3年目2勝、4年目の2023年6勝と大いなる飛躍を遂げた。

遊撃手として生きるのか、強打者として生きるのか、投手ならどうやって生きていくのか。

過去、潜在能力を顕在化させた例は多い。根尾のブレークを期待したい。

まとめ
選手が歩むべき“方向性の指示”は、指導者の最大とも言える仕事である。部下は上司の指示に従うのだから、将来の発展のために“中途半端な育成”ではなく、的確な方向性を示さねばならない。

著者:中街秀正/Hidemasa Nakamachi
大学院にてスポーツクラブ・マネジメント(スポーツ組織の管理運営、選手のセカンドキャリアなど)を学ぶ。またプロ野球記者として現場取材歴30年。野村克也氏の書籍10冊以上の企画・取材に携わる。

TEXT=中街秀正

PHOTOGRAPH=毎日新聞社/アフロ

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