前回に続き、第3回はYUさんが訪れたモロッコ西部に位置する都市、マラケシュの無形文化遺産「ジャマ・エル・フナ広場」で、彼が実際に目にした驚きの光景の数々をお届けする。連載「大川放送局」とは……
第3回「フナ広場」
1ヵ月という時間は、人が程よくモノを忘れるのにちょうどいい時間なのだと思う。
恋人からの連絡が1ヵ月途絶えたら、大抵の恋愛は終わりを迎えるし、好きな人の顔だって1ヵ月見なければ、どんな顔だったかと色々とぼんやりしてくる。まあ、人の記憶というものはいつだってそうあてになるモノでは無い。 前回僕のコラムが世に出てからだいたい1ヵ月が経過するので、読まれていない方はもちろん、読まれた方も、その記憶というのはほどよく霧の中を彷徨っている頃だろう。(僕の場合は大抵霧の中を彷徨っている)
お察しの通り、今回は前回のお話の続き、旅の話。 モロッコが舞台となります。
とはいえ安心して頂きたいのは、前のモノを読まないといけないとか読み返したりする必要はありません。
――そう。僕はその時、マラケシュのフナ広場にいた。
モロッコのマラケシュという街は新市街地という近代になってからできた街と、旧市街地という何百年も変わらぬままのシーラカンスのような、あるいはネズミのテーマパークの一角のような街で構成されている。
そして、そのフナ広場というのは、その旧市街地の入り口に門番のように横たわった巨大な古代の生き物みたいな場所だ。その先には、張り巡らされた歪な蜘蛛の巣のようなスークと呼ばれる市場が続いている。これもまた巨大であり、地元民でない限りモロッコ人でも奥まで行くと迷うと言われるほどだ。その話はなんとなく昔映像で見た、砂漠のアリ地獄がアリを捕食する姿を僕に連想させた。
旧市街地は1985年に世界遺産になった。
鳴り止まない太鼓。笛の音。
行き交う人々。罵声。
ひしめき合う屋台。 鮮やかな果物たち。 得体の知れない食べ物。
におい。
まるで、それら一つ一つは何ら脈絡の無い音なのに、絡み合うと荘厳な音楽になってしまう。
そんな感じのする場所だった。
広場は2009年、“感じる遺産”として無形文化遺産に登録された。 確かにそこには、歴史的な建造物や造形物などは何も無い。 ただそこには空間があるだけだ。 その空間こそが、人類が残した遺産なのだ。
川の流れの中を歩くように人をかきわけながら歩いていると、ターバンを巻いた男の周りを囲うように人が集まっているのが目に入った。彼はピーヒャラピーヒャラと笛を吹き、その周りには地面から生えているみたいにニョキニョキと蛇が何匹も立っていた。どうやら彼は蛇使いのようだ。
話を聞くと、彼は代々蛇使いの家系で、自分はその5代目にあたるとのことだ。
よくみると、彼の顔は驚くほど蛇に似ていた。浅黒く日焼けたアラブ系の顔。前歯がでていて、吸い込まれそうな魔力的な薄い緑色の眼をしていた。後でガイドさんに聞いたところによると、彼らの家系は自分達には蛇の毒は効かないと赤子の時から信じていて、本当に噛まれても毒が回らないという話だ。信じる力というのは時には毒さえも凌駕するチカラがあるのかもしれない。
ドラクエみたいな世界観だなあと思った。
そして、そのドラクエ的な世界はまだしばらく続いた。
次に僕の目に入ったのは人混みの中、小さな古びた椅子に座った、大きな古びた本を抱えた老人だった。 「彼は何をしているんですか?」 そうガイドさんに尋ねたところ、彼は物語を読んで聞かせることを、生業としている人なのだそうだ。いわゆるストーリーテラー。
もちろんアラビア語なので僕には理解ができなかったし、そもそも色んなところでドンチャン音が聞こえてるので、まともに話を聞くことは出来そうにもなかった。 今となって思うことは、もしあの時あの老人に話しかけていたら、この世界に隠された、異世界への通り穴の場所を教えてくれたかもしれない。 RPGの中ではよくある話だ。
その後、見たモノは正直一番驚いた。
小さなパラソルの下に小さな机と椅子。 そこに老婆が座っていた。
机の上には 何やら小さな白い石みたいな物が山盛りになっていた。老婆がにこやかに手招きをするので近寄ってみると、その白い山がすべて人の歯だということに気がついた。流石の僕もギョッとした。 どうやら彼女は歯を抜くことを生業としている様だ。
手には細い糸の様なものと、机には大きな錆びついたペンチが置いてあった。果たして、ここで歯を抜こうという気になる人がいるのだろうか。机に盛られた歯の数が抜いた人の数を証明していた。それが彼女の功績であり、勲章だった。 盛られた歯たちは、自分たちにも過去には立派な主人がいたのだと主張するように、沈黙していた。
彼女は僕に 「抜きたい歯はないか?」と言った。
もちろん僕は無いと答えた。例え抜きたい歯があったとしても、ここで抜きたくはなかった。ここで抜かれなかった歯たちと同じ様に、僕の歯もほっと胸を撫で下ろしたはずだ――。
この世の中には、想像を超えた仕事がある。(僕に想像力が足りないからなのかもしれないが)
ただ仕事があるということは、同時にそれを必要としている人が存在するということだ。そして、世の中には想像を超えた必要性というものがある。(あの場所でお金を払って歯を抜かれた人たちのように)
そんなことを考えると、僕の価値観は押し入れの中に何年も忘れ去られた鏡餅のようにカチコチに固まってしまっていたわけだ。そして同時に、あの広場を訪れてからある考えが僕の中に深く根を下ろしていたことに気がつく。
それは、仕事とは生きることそのものなのでないか、というものだ。
もし、やりたい仕事が見当たらなかったり、仕事にやりがいを感じなかったりしたら、この広場の話を思い出してほしい。これらの話は紛れもないノンフィクションであり、同じ時代の同じ地球上、この世界の話なのだから。
多分、今日も彼らはあの広場で彼らの仕事をしている。
■大川放送局
80'sサウンドをルーツに持ちながら、邦楽と洋楽の垣根を超えていく4人組ロックバンドI Don't Like Mondays.のボーカルYUの連載「大川放送局」。ステージ上では大人の色気を漂わせ、音楽で人の心を掴んでいく姿を見せる一方で、ひとたびステージを降りた彼の頭の中はまるで壮大な宇宙のようだ。そんな彼の脳内を巡るあれこれを、ラジオのようにゆるりとお届け。