80'sサウンドをルーツに持ちながら、邦楽と洋楽の垣根を超えていく4人組ロックバンドI Don't Like Mondays.のボーカルYUの新連載「大川放送局」がスタート。ステージ上では大人の色気を漂わせ、音楽で人の心を掴んでいく姿を見せる一方で、ひとたびステージを降りた彼の頭の中はまるで壮大な宇宙のようだ。そんな彼の脳内を巡るあれこれを、ラジオのようにゆるりとお届け。
第1回 「ありがとう大川」
何年か前、田舎に住むばあちゃんが訪問販売の営業マンの口車にのせられ、ボールペンを注文した。
すると「ありがとう大川」という謎のメッセージがぽつりと印刷されたボールペンが何百本にもわたり、大量に家に届くという事件になった。苗字は、大川というので、全くのお門違いというわけではないのだけれど、なぜこの意味深な言い回しが印刷されることになったのか、誰が誰に対するメッセージなのか、全貌は謎に包まれたままである。
あまりにも沢山届いたので、親戚中に配られ、勿論僕の手にも十本ほど渡ってきた。
僕は幼き頃から文房具には割とうるさく、日々使うペンにはそれなりのこだわりがある。これまで自分で買った物、貰った物も含めるとそれなりのコレクションがあり、もちろんそれなりに高価な物もある。そんなある日、通称「ありがとう大川」というボールペンは彗星の如く現れ(ペンは油性である)そして、僕のペン立てにぬくぬくと並んでいたコレクションたちを見事に蹴散らした。
まあ要は、とても書きやすかったのだ。そして、とても軽かった。
人生は思いがけない出来事の連続である。ボールペンに残されたメッセージが思いがけなかったり、思いがけない書きやすさがあったり、顔の割に胸が小さかったり(ミスチルの引用)。
バンドマンの僕がゲーテでコラムを書くことになったり。
確かに全てが想定内の人生、というのを楽しむのはかなり難易度が高い。幸運だろうが、不運だろうが。思いがけないからこそ味わえるスリルというものがある。要はサプライズなのだ。(好きか嫌いかは置いておいて)
ペンはとっくに使い切ってしまったので、今ではもう使っていない。そんな中、初めてコラムの連載というお話をもらった。何を書けばいいのやら、家の絨毯に寝転がってゴロゴロ考えていたら、ありがたいことに、この「ありがとう大川」のペンの話を思い出した。
改めて大川、筆をとる。
ということで、初回はこのペンの話を書くことにした。
これからは定期的に僕の独り言をつらつらつらと発信する放送局(そんな崇高なものではないけれど)としての連載にしたいと思う。思いがけぬほど、役に立つ内容になるかもしれないし、思いがけないほど、役に立たないものになるかもしれない。(後者の可能性が極めて高い)
そのうち「ごめんなさい大川」と印刷したボールペンを読者の方にはプレゼントすることになるかもしれない。
追伸
この間、ふらっと立ち寄った神社の受付の所に同じメーカーのボールペンがコロコロと転がっており、あ。と思った。