師匠か、恩師か、はたまた一生のライバルか。相思相愛ならぬ「相師相愛」ともいえるふたりの姿を紹介する連載「相師相愛」。その貴重な対談の数々をまとめて振り返る。※2017年6月号、'18年6月号、'19年12月号掲載記事を再編。固有名詞や肩書き、年齢等のデータは掲載時のまま
「大学の談話室以来」髙島英也×小松信一 対談
髙島 農学部の談話室で、いつも輪の中心にいたのをよく覚えてる。私はいつも隅っこにいて。
小松 パッと顔を見ると青あざや傷をつけて、ボーッとしてたなぁ(笑)。どうしたんだと思ったら、ラグビー部だと聞いて。
髙島 小松は歌を歌わせてもうまかった。テノールでね。農場の一泊実習なんかでも、よくフォークを歌ってたなぁ。
小松 勉強じゃなくて、遊びの担当だったから。でも、学園祭の模擬店の時は、ちゃんと手伝ってくれたじゃないか。
髙島 餅つきのつき手が足りなかったやつだな(笑)。
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「バレー部とバスケ部」松原健二×内海州史 対談
バレー部なのに、なぜかバスケットがうまかったんですよ、彼は。体育の授業の試合で、遠くからシュートを決めまくる。強烈な印象でした。大学時代には一度、映画館でばったり会って。彼は覚えていないみたいだけど、その時『普通の人々』を上映していたのを覚えています。
お互い正反対なんです。僕のいたバスケ部は練習が厳しかったけれど、彼のいたバレー部は緩め。僕は理系で彼は文系。最初に就職したのも、お堅い日立とお洒落なソニー。ところがアメリカのビジネススクールに行って、お互い転職を重ね、20数年ぶりに同じゲーム業界の人間として会うことになったわけです。
プレイステーションをアメリカに広げたサムライのひとりで、「キングダム ハーツ」の仕掛け人。有名人でしたが、国籍問わず人とすぐに仲良くなるフランクさがあって。それでいて、新しいことにどんどん斬りこんでいく感性鋭いチャレンジャーでもある。彼がかつて過ごしたセガに今いるのも、不思議な縁です。
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「バイブスが合う」川崎健一郎×村上臣 対談
インターネット黎明期だった学生時代からプログラミングを習得していて、ビジネスもやっていた。臣のインターネットの話は授業よりも深くて面白かったし、ワクワクしましたよね。ただ、こんなバケモノがいる世界では自分が通用するわけがない、と私に技術の世界を早々に諦めさせてくれた男でもあるんです(笑)。
就職してからは、たびたびメディアの記事で見かけていました。ヤフーに会社ごとジョインしたり、孫正義さんに直談判したり。頑張ってるんだな、と思っていました。でも驚きはなく、さすが臣だな、という気持ちでしたね。
驚いたのは、彼が外資の世界にやってきたこと。20年近く違う道を歩み、グルッと回って同じ外資の社長。これは、と思って連絡したんです。リンクトインを使って(笑)。会った時、今後どうするのか聞いたらひと言、「名刺、なくすよね」。いきなりでっかいビジョン。風貌も変わってませんでしたが、バケモノぶりも変わってなかった(笑)。これからが楽しみです。
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