PERSON

2020.10.23

河瀨直美の最新作『朝が来る』が公開に! 世界的映画監督はなぜ、奈良に暮らし続けるのか?

10月23日(金)に公開となった映画『朝が来る』の監督を務める河瀨直美さん。27歳で監督した『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭新人監督賞、その10年後『殯(もがり)の森』で同映画祭グランプリを受賞し、新作映画には常に世界の映画界の注目が集まる国際的映画監督となった今も、故郷奈良に暮らし続けている。世の人々の心をとらえて離さない映画づくりの秘密をうかがった。

河瀨直美さんポートレイト

自分の足元を深掘りし続ける、それが作品をつくるということ

私は日常生活をすごく大事にしているので、ホテルは日常とは少し離れた空間だから、そこでどれだけフレンドリーにしてもらえるか、家族的にしてもらえるかが大切なポイントなんです。そういう意味でも、こちらは滞在するのが楽しみなホテル。昨日来た時も、玄関に飾られていた春を告げるお花、マンサクが光を浴びている姿がとても美しかった。自分の家でも季節のお花は欠かしません。玄関もリビングも床の間も、植物園かというぐらいです(笑)。

今も、故郷である生まれ育った奈良市に住んでいます。近くに耕作放棄地があるのでお借りして、田んぼもやっています。自分が食べる分のお米は自分でつくる。そういう日常の自分の暮らしが、私の映画づくりを支えています。やはり作品には、自分自身が出てくるものだから。つくり手は、日常の生活をどう営んでいるのかが重要だと、私は思っています。

私自身を掘り下げることは、人間とは何かを知ること

映画を撮るようになったのは、バスケットボールのおかげです。中学から高校三年生まで、全身全霊を捧げるというか、本当に寝ても覚めてもバスケ一色でした。現役最後の試合で一刻一刻過ぎ去る時を止めることができないもどかしさにただただ涙があふれました。

だから、その“時”をとじこめることのできる映像に出逢ったのは、奇跡的でしたね。記録性のある映像に携わるためにビジュアルアーツ専門学校の映画科に入り、8ミリフィルムカメラを手に大阪の街をルポルタージュしました。もう出逢うことのないその瞬間がカメラを通して再現されたのはまるでタイムマシンを手に入れたかのようで、衝撃を受けました。

私は両親が幼い頃に離婚し、母方のおば夫婦の養女として育ちました。自分はどこから来たのか、生まれてきた意味は? そのようなことを考えているなかで自分を知ること、私自身を掘り下げるということは、人間を知ることでもあります。私にとってそれを追求する場が、映画制作だったのだと思います。

普段、「私は自分の父を知らない」っていう話をしても、友だちは「へえ、そうなんだ」くらいの反応でしたが、父を探すドキュメンタリー『につつまれて』を観てくれた友だちが、自身のこと、家族や人生のことを深く語ってくれるようになり、対話がすごく深まったんです。映画は私の一生の仕事になると、その時、思いました。

そして、あれから30年を経て、今50歳という節目で東京2020オリンピック大会公式映画の監督という仕事が舞い込んできました。映画を撮る以前、バスケ以外のことは何も知らないアスリートだった私からすると、このために私は映画を撮ってきたんだと運命を感じて。自分の魂も肉体もスポーツに捧げ、高みを目ざすアスリートは本当に美しい。今回単なる記録ではなく、スポーツを通して生きる喜びを分かち合う、そんな眼差しを残したいと思っています。

河瀨直美さん撮影現場

子育てと介護をしながら、カンヌグランプリを受賞する

映画を撮り続けてきましたが、子どもが生まれて育児に専念するために仕事をセーブした時期がありました。その子が2歳になる頃、またふつふつと映画が撮りたくなって、脚本を書き始めたんです。

その時期、私は2歳の子だけではなくて、92歳の認知症を患う戸籍上の母を抱えていて。介護と育児だけでも大変なのにその上、映画まで。けれど自分のなかに湧き上がる欲求が抑えられない。だったら、それができる環境を自分でつくろうと。プロデューサーも自分で担うことにしました。

出資者を募るのは国内だけでなく、かねてより河瀨映画を支援してくださっているフランスの制作会社に直談判しに行きました。子育ては創意工夫の時間なんです。こうしなければならないという社会のルールがあっても、赤ちゃんがそのルールにはまるわけがなくて。そのつど臨機応変にどう対応するかを見極めること。その体験を通して仕事にも生かせる学びがあったと思います。

脚本段階から極力ナイトシーンを省きながら物語を成立させることやSTAFFにもあらかじめ自らの状況を伝えておくことで現場の支援を得られました。朝息子を保育園に預けて、その足で養母と一緒に撮影現場に入る。ケアハウスの入所者として養母に出演してもらいました。そうして完成した『殯(もがり)の森』は、カンヌ映画祭でグランプリを受賞しました。

常識を壊しながら新しい常識をつくっていく

6年前、スピルバーグ監督が審査委員長としてカンヌ映画祭の審査をした時、彼が「僕たちはいつまでもHUNGRYでいようね」って言ってくれたんです。あの巨匠が今もなおHUNGRYであり続けることを自分に課している。すごいなあと思うし、自分もそうありたいと思った。だから私は奈良に暮らし続けているのかもしれない。都会から少し離れた静かな場所で、人や情報に翻弄されることなく、自分のクリエーションを深掘りする時間が必要なんだろうと思います。

実は昨日、今年公開される新作『朝が来る』の最終仕上げが終わったところなんです。つくっていく過程は、ほんとうに生みの苦しみでした。今回、今までの映画づくりになかった挑戦をしています。撮影場所は全国6ヵ所で、俳優はその地で暮らし、馴染むということを行いましたし、撮影は100時間以上に及びます。それを2時間半に凝縮するというのは苦渋の決断の連続で。

でも、映画づくりに携わった初めての時のように、もう一回原点に戻ったような感覚のなか、仕上げました。一人の人間と人間がどうつながっていくかという、今まで追い続けてきたテーマです。今回は特別養子縁組という切り口ですが、それは入り口に過ぎなくて、血がつながっていなくても、文化が異なっても、新しい価値観のなかで、自分なりの幸せをみつけられるんだと。

男女はもちろん、子どもがいるかいないかは関係なく、どんな立場からも観ていただける映画になっていると思います。家族はつくっていくもの。そんな想いをもって完成した映画が誰かにとっての一筋の光のような存在でありたい。常識は新しくつくっていける。そう願いながら、これからも映画をつくり続けます。

「朝が来る」場面写真

2020年10月23日(金)に公開した最新作『朝が来る』。特別養子縁組で“我が子”を得た夫婦を軸に親子とは何か、子どもにとっての本当の幸せとは何かを問うヒューマンミステリーの傑作。

Naomi Kawase

奈良を拠点に映画をつくり続ける。一貫した「リアリティ」の追求はドキュメンタリー、フィクションの域を越え、カンヌ映画祭をはじめ各国で受賞多数。世界に表現活動の場を広げながらも故郷奈良にて「なら国際映画祭」を立ち上げ、後進の育成に力を入れる。東京2020オリンピック競技大会公式映画監督に就任。2025年大阪・関西万博プロデューサーに就任。

※東急ホテルズの情報誌『COMFORTS』Vol.76 2020年3月1日発行)より。
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TEXT=石川拓治

PHOTOGRAPH=淺田 創

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