名優ほど舞台裏の姿を見せたがらぬもの。しかし、シャンパーニュのクリュッグは違う。年に一度、世界中から専門家を招き、前年収穫のベースワイン(原酒)を試飲させるばかりか、アッサンブラージュの済んだ発泡前の最新キュヴェまで試飲させてくれる。さながら魔術師が自らトリックを明かすかのようだ。特に2024年は、新しくなった大道具、小道具までも披露される特別なセッションだった。
創設者の名を冠した新・醸造施設
クリュッグの新しい醸造施設が、フランス・シャンパーニュ地方のアンボネイ村に完成した。その名も「ヨーゼフ」。メゾンの創設者、ヨーゼフ・クリュッグに由来することはいうまでもない。
2棟3層構造の施設は延床面積9500平方メートル。クリュッグのお家芸のひとつ、原酒の発酵に使われるオーク樽が8つのセラーに整然と並び、その下には区画、品種ごとに管理される330器のステンレスタンクが設置されている。
「構想から7年。あまたのヒューマンアドベンチャーを乗り越え、夢の施設が完成しました。これは次世代へつなぐためのプロジェクトであり、環境への対策も万全です」と、セラーマスターのジュリー・カヴィル氏。
時代を反映して、このヨーゼフもサステナビリティに配慮した設計。それは外観にも現れ、銅色に塗られた切妻屋根の建屋は、人口1000人足らずの小村の風景にすっかり馴染んでいる。施設に隣接するブドウ畑は、クリュッグの偉大なブラン・ド・ノワールを生み出すあのクロ・ダンボネだ。
環境への負荷を抑えることはこのプロジェクト最大のテーマで、「HQE(高度環境的品質)」の環境認証を取得。騒音対策や水のリサイクルのほか、空気の流れを効率的にすることで、空調による電力消費を極力抑えることにも成功した。
また働く人々の負担軽減もサステナビリティの一環。樽を積み上げるのは最大2段までとしたうえ、専用のラックシステムを導入し、樽の移動や澱引き時の労働負担を大幅に減らしている。
リリースは早くて2031年の“179エディション”を試飲
さて、ヨーゼフの見学を終えた後は、真新しいテイスティングルームで、さまざまなベースワイン(原酒)を試飲する。2023年はどうやら簡単な年とはならなかったようだ。
「夏は猛暑のうえ雨がたくさん降り、土中に溜まった水分のせいでブドウが肥大しました」と2023年の作柄について説明するカヴィル氏。
「ひと房の大きさは平均220グラムで、これは例年の2割増し。収穫量は多い一方、ブドウは水分で希釈され、糖度の低い年となりました。さらに酢酸菌も発生したので、健全なブドウを選ぶことに専念しました」
クリュッグでは品種別はもちろん、クリュごと、さらに同じクリュでも区画別に分けてベースワインの醸造を行っている。この日はオジェのシャルドネやヴェルジーのピノ・ノワール、クリュッグのアッサンブラージュでははずせないサント・ジェムのムニエなど、2023年のワインを8種類ほど試飲。
筆者はほぼ毎年のようにクリュッグのベースワインを試飲しているが、2023年のワインが前年の2022年と比べて極端に水っぽいかと問われれば、そうした感じは受けなかった。というのも、ここで試飲したワインは今後のアッサンブラージュでリザーヴワインとして使われるもの。熟度や酸度の点で一定の水準に達しているのは当たり前なのだ。
さらにアイのピノ・ノワール2019年やメニルのシャルドネ2013年などリザーヴワインも試飲。そして、およそ7年後、市場にお目見えするであろう「クリュッグ グランド・キュヴェ 179 エディション」がグラスに注がれる。
もちろん、発泡前の白ワインである。
どんなに難しい年であっても、いざアッサンブラージュを終えれば、紛うかたなきグランド・キュヴェに仕上げてしまうのが、カヴィル氏率いるクリュッグ醸造チームのすごいところ。生き生きとしたフレッシュ感を保ちつつ、フレーバーの複雑性、重層性、味わいの奥行きがこのワインにも備わっている。
難しい年なのでリザーヴワインに頼ったものと想像したが、リザーヴワインの量は37%と平均的。しかし、品種構成は例年にない比率となっていた。シャルドネ45%、ピノ・ノワール38%、ムニエ17%。クリュッグといえばピノ・ノワールだが、3品種のうち最大を占めるのはなんと白ブドウのシャルドネ。グランド・キュヴェのアッサンブラージュでは異例だ。
「脆弱で重く野暮ったい2023年を、洗練され、まろやかで骨格のあるリザーヴワインで補いました」とカヴィル氏は説明する。
「クリュッグ グランド・キュヴェ 179 エディション」には、11の異なる年にわたる206種類のワインがアッサンブラージュされた。最も古いワインは2007年のクラマンのシャルドネだ。
同時に「クリュッグ ロゼ 35 エディション」の発泡前ワインも試飲。グランド・キュヴェに単に赤ワインを加えたものではなく、ロゼ専用のアッサンブラージュが行われる。
「タンニンやストラクチャーの強い赤ワインを受け入れられる白ワインを用意する必要がある」という。
ロゼの品種構成はシャルドネ41%、ピノ・ノワール43%、ムニエ16%で、アイ、マルイユ・シュール・アイのピノ・ノワールから造られた赤ワインが9.5%加えられている。異なる6つの年にまたがる47種類のワインをアッサンブラージュ。最も古いワインは2018年と、ベースワインの数も古さもグランド・キュヴェと比べると圧倒的に控えめだが、赤ワインとのカウンターバランスを取るためと理解した。
「クリュッグ グランド・キュヴェ 179 エディション」も「クリュッグ ロゼ 35 エディション」も今はランスの地下セラーで寝かされ、市場に登場するのは早くても2031年。どのようなシャンパーニュに仕上がるのかが楽しみだ。
そしていよいよ、ところをランスのメゾンに移して、最新リリースのクリュッグをテイスティングする。ちなみにヨーゼフではティラージュ(瓶詰め)までが行われ、瓶内二次発酵と熟成はこれまでどおりランスの地下セラーで続けられる。
まずは「クリュッグ グランド・キュヴェ 172 エディション」。ベースとなるのは2016年で、この年は開花期に雨が降り、夏は暑かった。通常、クリュッグではクロ・デュ・メニルのシャルドネから収穫が始まるが、この年はマルイユ・シュール・アイのピノ・ノワールのほうが早かった珍しい年という。
ピノ・ノワール44%、シャルドネ36%、ムニエ20%のアッサンブラージュ。リザーヴワインの量は多く、42%にもおよぶ。
美しい黄金色の液体の中を舞い上がるきめ細かな泡。マイヤーレモン、ピーチ、ネクタリンに、ジンジャーやアカシアのハチミツ。ドライフルーツやスパイスなど、グラスから溢れ出るフレーバーの数々に圧倒される。口に含めばフレッシュさを少しも損なうことなく、まろやかさと複雑さが口中で共鳴し、ミネラル感を伴うエレガントな余韻が長く続く。まさに200人の楽団による交響曲のよう。
続いて同じく2016年をベースとする「クリュッグ ロゼ 28 エディション」。ピノ・ノワール58%、シャルドネ25%、ムニエ17%とピノ・ノワールの比率がべらぼうに高い。ピノ・ノワールの比率には10%の赤ワインも含まれる。
このアッサンブラージュを物語るかのごとく、赤い果実が口の中で炸裂する。リッチで凝縮感に富み、極上の泡立つブルゴーニュを飲んでるかのよう。
「ヴィンテージ」は日本ではすでにリリースが始まった2011年。いわゆるシャンパーニュの当たり年とはいえず、ヴィンテージを出したメゾンは少ない。しかし、カヴィル氏はいう。
「クリュッグでは良い悪いでヴィンテージを判断しません。その年ならではの個性があるかないかで決めます」
メゾンがこの年につけたニックネームは「Spirited Roundness(活き活きとしたふくよかさ)」。そのニックネームどおり、フレッシュさやミネラル感、果実のまろやかさとボディの豊かさが渾然一体となったスタイルで、13年の熟成による円熟味も相まり、クリュッグラヴァーを納得させるヴィンテージに仕上がっている。
個々のベースワインやアッサンブラージュした発泡前のワイン、そして最新のグランド・キュヴェを試飲してつくづく思うのは、クリュッグというメゾンの卓越したクラフトマンシップ。新たな醸造施設が完成し、今後どのように発展していくのか。まずは「クリュッグ グランド・キュヴェ 179 エディション」がリリースされる7年後に注目だ。