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2026.02.27
死んだら「私」はどうなるのか? 自我と認識の秘密を脳科学でひもとく
「意識」は行動を司るとされているが、実際には選択の多くを“無意識”が動かしているという。では、「自分で選んだ」という感覚は本物なのだろうか? 睡眠研究の第一人者である筑波大学の櫻井武教授が、意識の役割と“自分”の正体に迫ったサイエンス新書、『意識の正体』。本書より、一部を抜粋してお届けします。
死の向こうにある「世界」への疑問
――死んだらどうなるのだろう。
この問いは、ときに静かな水面に落ちた一滴の雫のように、意識の底に波紋を広げることがある。
多くの人にとって、死の恐怖は痛みや苦しみだけではない。
その奥には、「自分」という灯りがふっと消えた後の闇――その向こうが見えないことへの恐れがある。
けれど私が時おり抱くのは、それとも少し違う。
“私が死んだ後も、この世界は在り続けるのだろうか?”
“続くとすれば、その世界は私が今見ている世界と同じ顔をしているのだろうか?”
“もし人類という種そのものが消えたら、世界は静かに幕を閉じるのではないか?”
この疑問は、最後にはひとつの場所に行き着く――「意識とは何か」。そして意識を問うことは、同時に「自己とは何か」を問うことでもある。なぜなら、意識を問う上で「自己」を考えることは不可欠と思われるからだ。

現実は脳が描いた物語かもしれない
一方で、私たちが“現実”と呼んでいるものは、感覚器官が拾った断片を脳が縫い合わせ、色を塗り、物語として仕立て上げた幻影のようなものだ。
私たちは、目の前の世界が、誰もいなくても厳然と存在する客観的な実在だと信じたがる。「私」がいなくなっても、太陽は昇り、街はざわめき、時は流れ、歴史は紡がれる――ほとんどの人はそう考えるだろう。
だがその確信は、私には少し頼りない。
“現実”は、脳という小さな劇場で上演される一幕にすぎないのかもしれない。
頰を撫なでる風も、遠くの笑い声も、花の香りも――外界の変化が電気信号となり、神経回路を伝って脳によって再構成された「私だけの世界」だ。
世界はひとつではない
色も音も匂いも、物質に本来備わった性質ではなく、脳が創り出す仮の姿である。
私たちの知覚は、世界のほんの薄皮をなぞっているにすぎない。
可視光線は電磁波のごく一部(波長にして380〜780nm)で、その外側には紫外線や赤外線、X線、電波が果てしなく広がる。
色(光の波長)を感知する網膜の錐体細胞の分布は人によって異なり、同じ「赤」を見ても、その鮮やかさや温度感はわずかに異なるかもしれない。
世界はひとつではなく、人の数だけ重なり合っている。

神経科学者ウォルター・J・フリーマンはこう言った――「脳は外界をただ受け取る受動的な器ではない。経験と文脈をもとに、意味を創造する能動的な舞台だ」。
私たちが見ているのは、外界そのものではなく、脳が描いた意味の風景なのである。
哲学者ヒラリー・パトナムの「水槽の脳」として知られる思考実験のように、もし私が電極につながれた脳で、与えられた信号を現実と信じているだけだとしたら――私はそれを見抜けるだろうか。
壊れるのは意識か、世界か
現実の見え方は、脳のわずかな損傷で劇的に変わることがある。
1983年、運動視野を損傷した女性の世界から、“動き”が消えた。
コーヒーは突然カップからあふれ、車は一瞬で目の前を通り過ぎる――彼女の時間は連続ではなく、断片的な静止画の連なりになった。これは「動作盲(どうさもう)」という症状だ。
世界の動きですら、脳が紡ぎ出す演出なのだ。
さらに、脳の一部が損傷すると、世界の半分そのものが消えてしまうことがある。
「半側空間無視」と呼ばれる症状では、患者は右または左半分(左半分のことが多い)の空間をまったく意識できなくなる。目は正常に見えていても、その空間は患者の意識の地図から欠落しているのだ。この現象は、私たちが経験する現実が、脳の内部で構築されたものであることを雄弁に物語っている。
これらは、意識そのものが直接壊れてしまったわけではない。むしろ、意識という舞台に届くべき外界からの情報が、損傷によって途切れたり歪んだりしているのである。
そして、舞台に届いた素材をもとに“現実”を組み立てるのが意識の役割なのだ。その素材のほとんどは無意識の過程で組み立てられている。
意識は世界を成立させているのか
脳の小さな劇場からさらに視野を広げれば、量子力学の奇妙な庭に足を踏み入れる。
量子は観測されるまで“あらゆる可能性”として漂い、観測の瞬間にひとつの現実へと定まる。
もしこの原理が宇宙全体に関わっているのなら(巨視的実在性の破れ)――観測に意識が伴うのであれば、意識は世界の存在そのものと密接に結びついているのかもしれない。
そう考えると、「私」がいなくなったとき、世界はどうなるのかという問いは、途方もなく深い。
人間は、素粒子から宇宙の果てまでを測ろうとし、そのスケールを意識の中に広げてきた。だが、ヒトの知能と文明をはるかに超えた高次の知性がもし存在したなら、彼らから見れば、人間の宇宙像などまるで蟻が描く地上の地図のように小さく、限られたものだろう。
その外には、私たちの想像を超えた構造をもつ別の現実――マルチバース――が広がっているかもしれない。

そして今、私たちは人工知能(AI)という新しい知性と出会っている。
それがもし進化し、ヒトを超えた知性と意識を得たなら、宇宙の姿はどれほど変わるのだろうか。
私が感じる世界には、色や音や温度といった確かな実在感――クオリア――が宿っている。
それは意識が灯っている証だ。
クオリアの謎を解くには、意識の本質を探るしかない。
そしてそのためには、意識が沈黙する瞬間――睡眠、夢、仮死、冬眠、死、そして無意識の深淵――を覗き込む必要がある。
無意識を見つめることは、意識を解き明かすための遠回りのようで、最も近道なのかもしれない。
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