2025年は映画6本、ドラマ8本に出演。2026年には初の連続ドラマ主演にも挑むなど、存在感を増し続ける俳優・中島歩。端正な佇まいの奥にあるのは、とぼけたユーモアと、現場を熱くする率直さだった。彼が撮影現場で実感した、自由に意見が飛び交うチームのつくり方とは。インタビュー前編。

「いつかはここで」と願っていた深夜ドラマ枠での初主演
カメラのシャッターに合わせ、184cmのすらりとした長身がしなやかに動く。愁いを帯びた表情も相まって、まるでヌーヴェル・ヴァーグ時代の映画のワンシーンを観ている気にさせられる。
被写体となっているのは、2024年に放映された連続ドラマ『不適切にもほどがある!』で注目を集め、ドラマ、映画、CMと出演作が相次ぐ俳優・中島歩。
ところが撮影の合間、休日の過ごし方を尋ねると返ってきたのは、こんな答えだった。
「この前、オアシスのライブ行って、踊りながら熱唱してきたんですよ。踊るの、好きなんです。デカイから周りの人には迷惑かけていると思うんですけど(笑)。あんなに踊れる曲なのに、踊らないなんてもったいないですよね。だから、あんまり(歌は)聞いていないんですけど」
そんなエピソードを、色気のある低音ボイスで、どこか飄々(ひょうひょう)と語るさまは、どこか“おかしみ”に満ちている。
聞けば、小学生の頃から人を笑わせるのが好きなひょうきん者で、大学時代は落語研究会に所属。インタビュー中も、本人からは“狙っている空気”がまるで感じられないのに、ふとした言葉で場を和ませる——そんなところも、中島歩の魅力のひとつだろう。

1988年宮城県生まれ。日大芸術学部在学中にモデルとして活動をスタートし、2013年舞台『黒蜥蜴』で俳優デビュー。映画『偶然と想像』『ルノワール』など出演作多数。現在放送中のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』に浅井長政役で出演する。
連ドラ初主演で見せた“全力投球”。解放された役者としての感覚
その中島らしさが存分に発揮されているのが、テレ東京系・ドラマ25『俺たちバッドバーバーズ』だ。
表社会では解決できないトラブルを大金と引き換えに請け負う裏用師(リヨウシ)が活躍するアクションコメディで、草川拓弥とのW主演。草川がクールな裏用師を演じる一方、中島は家なし、金なし、力なし。それでも情に厚く、ド正論を臆面もなく放つ元美容師・日暮歩を演じる。
中島にとって今作は、連続ドラマ初主演。実は、ドラマ初出演を果たしたのも、テレ東の深夜枠だった。「いつかはここで主演を」と願っていただけあり、熱い想いを抱いて臨んだという。

「日暮は、思っていることが言動にそのまま表れてしまう、単純で、ちょっと暑苦しいヤツ。台本の熱量を凌駕する気持ちでやろうと思って、過去イチ大きな声を出し続けました。
撮影は真夏で、1ヵ月半ほど。身も心も捧げきって、記憶がないくらいで(笑)」
空気を読むことが求められる今の時代に、正論をぶつける日暮を演じることは、中島自身の解放にもつながったという。
「演じていて、すごく気持ちが良かったです。自分自身が、開放されていく感覚になるというか。観てくださるみなさんの心も、きっと解放されるんじゃないかと思います。
それに日暮の格好をしていると、無敵な気分になれるんですよ。『カッコつける必要なんてないゼ! 思っていることを堂々と言おうや!』みたいな(笑)」

思い切って意見すると、周りからもアイデアが出てくる
日暮のトレードマークともいえるのが、袖をカットオフしたTシャツにロールアップしたジーンズ、マレットヘアという攻めたスタイル。そこには「アイコニックなキャラクターにしたい」という中島の提案があった。
「(脚本・監督の)阪元裕吾さんとは初めてご一緒したんですが、現場の意見を柔軟に取り入れてくださる方で、みんなでワーワー言いあって、すごく楽しかったです。
台本を読んで、少年漫画みたいだなと思って。そのイメージで自前の衣装を持ち込んでみたら、採用してもらえて」
アイデアは、衣装にとどまらない。
「ト書きに“いまだかつてないほどの怒り”と書いてあったので、『小道具を震わせるのってどうですか?』と提案したら、スタッフからも『これも震わせましょう』『こっちはチカチカさせますか』って、どんどんアイデアが広がっていったんです。結構、自由にやらせてもらいました」
自由にやる。それは今回主役を演じるにあたり、中島が意識したことだ。
「俳優がどこまで口を出していいのかわからないですけど、勇気を出して意見を言うと、他の人たちからも、どんどんアイデアが出てくる。大事なのは、そういう空気感をつくることだと思うんです。みんなで議論したほうが、絶対いい作品になるから。最終的に自分の意見は通らなくてもいいんです」

とはいえ、こうした姿勢は、主役を任されたからではない。
「まぁ僕は、自分が主役じゃなくても結構アイデアを提案しちゃうんですけど。だって思いついたら、言いたくなっちゃうじゃないですか。……ある人から言われたんです。『アメリカの現場では、俳優もスタッフも、自分の意見をガンガン口にする。必ずそうしたいというわけではなく、思いついたから発言したみたいな感じなんだけど、中島くんもそれと同じで、無責任にいろいろ言うのがすごくいいね』って。だから、これでいいのかなと思って(笑)」
もっとも、積極的に意見できるようになったのは、年齢とキャリアを積んだここ数年のこと。中島いわく、「周りの呼び方が『中島』『中島くん』から『中島さん』と呼ばれるようになったあたり」からだという。
後編では、「中島」「中島くん」と呼ばれていた20代前半から30代にかけて、不遇の時代を過ごしていた頃について語ってもらう。


