2023年1月、多発性骨髄腫という血液のがんに罹患していることを知った岸博幸氏。余命10年を告げられた岸氏が、闘病の記録や今後の生き方、日本の未来への提案をつづった著書『余命10年。多発性骨髄腫になって、やめたこと・始めたこと。』を上梓する。それを機に、今後の生き方を見直し、「日本のために、もう一度プレイヤーとして汗をかく」ことを決意。その原点について語ってもらった。
国政に関わる人が多い家系だった
火の粉のかからない場所から現状を批評するのではなく、もう一度プレイヤーに戻って汗をかき、日本を良くする。余命を告げられたことで、今後進むべき道が定まったという岸氏。
「日本を良くすることを人生の最終目的に掲げたのは、これまでの人生や携わってきた仕事の影響も大きいだろうと思います」
岸氏の父は地方公務員で、母は、岸氏が幼少期までは専業主婦だったものの、母方の祖父は官僚から国会議員になった人物で、母方の先祖には貴族院議員や警察庁長官、北海道知事を務めていた人もいたそうだ。
「祖父は僕が生まれてすぐに亡くなりましたし、両親は僕が中学生の時に離婚して、僕は母のもとで育ったので、彼らが僕の職業選択に影響を与えたわけではありません。正直なところ、官僚になりたいと思ったことは、就職するまで一度もなかったんですよ。大学を卒業後、通商産業省入省(現・経済産業省)に入ったのは、偶然の産物というか」
通産省の面接を受けたのは“軽い気持ちで”
岸氏が社会に出た1986年はバブル絶頂期。金融機関が花形としてもてはやされており、同級生の多くは銀行や証券会社に就職した。
「実は僕も、とある金融機関に内定をもらっていました。でも、僕は根っからの自由人なのでしょうね。『民間企業は社内でも社外でも頭を下げることが多くて、めんどうそうだな』という気持ちもどこかにあって」
そこで試しに国家公務員試験を受けたところ、運よく合格。「せっかく受かったのだから」と、軽い気持ちで通産省に面接に行ったところ、面接官と意気投合し、入省を決意する。
「当時から官僚を目指すのは東京大学出身者が多かったので、僕のような一橋大学出身は目を引いたのかもしれません。たまたま面接官に気に入られ、僕も、面接官と話をしているうちに『銀行よりこっちの方がおもしろそうだ』と考えるようになりました。
いわば、“なんとなく”と“たまたま”が重なった末に官僚の道に進んだようなものです(笑)。そもそも一橋大学にしても、現役で東大に落ちて、リベンジで受けたところ。母子家庭で貧乏だったから、学費がかからず、自宅から通える国立大学に進もうと思ったのが発端ですしね」
もっとも、入省を決める時、「先祖が国政に関わる仕事をしていた人が多いということは縁があるのだろう」という想いがよぎったのも事実。
「もしかしたら、僕には『国政に関わることをしたい』というDNAが刷り込まれているのかもしれません」
※続く